「出てこい。そのコタツから」

「おい、ユキト。雪が降ったぞ。辺り一面を覆うほどの、大雪が降ったぞ」

「……」

「雪が降ったんだ。降ったんだよ。真っ白なんだよ」

「……」

「白い白い。白いぞぉ」

「……」

「おい――何が言いたいか、分かるよなぁ?」

「……知らん。帰れ」


 深々と雪が降り積もる寒い日にも、懲りずにコイツはやって来る。

 幼馴染みであり、同僚。さらに、アパートのお隣さんでもある男――ナオキ。

 今日は何やら、雪に興奮している様子だ。


「知らん、とはご挨拶だな。先月交わした約束を、もう忘れてしまったのか? ヒドい隣人だ……だが、優しい俺が丁寧に思い出させてやろう」

「やめろ。お前との約束は、記憶の彼方へ消えてしまった。もう二度と思い出せない」

「安心しろ、ユキト。俺はハッキリ覚えているぞ。お前が百回忘れたなら、俺が百回思い出させてやろう」

「ちょっと格好良い言い方をするな。忘れたほうがいいことも――」

「『雪が降ったら、一緒に雪だるまを作る!』――それが、俺とお前との約束だ!」

「忘れさせてくれよ!」


 くそぅ……どうして、そんなどうでもいい約束を覚えているんだ?

 雪だるまって。

 雪だるまって……!

 はずかしッ!


「ナオキ。くだらない約束は忘れろ。お前には、もっと思い出すべき記憶があるはずだ」

「おい、くだらないとはなんだ! 俺の記憶は、すべて等しく大切な思い出だ!」

「じゃあ、先月貸した千円を返せ」

「くだらないな。何だその記憶は」

「俺の大切な千円を忘れてんじゃねーか!」


 都合の悪いことだけ忘れてるじゃん。

 そういう記憶力が一番厄介なんだよ。

 一体、頭にどういうフィルターがかかっているんだ?


「さぁ、ユキト。そのコタツの中から出てこい。俺と交わした約束を果たすため、外へ行こう」

「おい、サラッと流すな。俺の千円をサラッと流すな」

「流したわけではない。千円は、後で必ず返す。いろいろ遊んだあとで、必ず返す。約束だ」

「お前、一週間前もまったく同じ表情でまったく同じこと言ってたぞ」

「はぁ……ユキトよ。それは本当に、最優先すべきことか?」

「すべきことだろ、千円は」

「雪だるまより、優先することか?」

「することだろ!」


 あぁ、もうダメかもしれない。

 二度と返ってこないかもなぁ、あの千円。

 借りたお金を返すことよりも、雪だるま作りを優先する大人。そんな奴に千円を貸したこと自体が、間違いだった。


「見ろ。ここに俺の財布がある。愛用のガマぐちお財布だ。この中には、きっちり千円が入っているぞ――というか、千円しか入っていない」

「千円しか入っていないのか……しかも、ガマ口か……」


 いや、いいんだけどさ。

 財布の趣味は、人それぞれだし。


「これはつまり、どういうことか?」

「……どういうことなんだ?」

「いつでもどこでも、返せる準備は出来ているということだ!」

「じゃあ今すぐ返せ」

「だが、外を見ろ! 雪を見ろ!」

「返せって!」

「雪を見るんだぁ!」

「…………くぅ」


 耐えろ。耐えるんだ、俺。

 追及したところで、コイツは人の話なんて聞かない。

 ナオキがある程度の落ち着きを取り戻した時――その時が、チャンスだ。

 必ず、あのガマ口から千円を取り返してみせる!


「雪? 雪が何だって言うんだよ。近年稀に見る降雪量だと聞いたが……それがどうかしたのか?」

「降雪量は問題じゃない。そうじゃないんだ。問題は――時間、だ」

「はぁ……時間」

「時間が経つと、雪はどうなる?」

「そりゃまぁ……消えるだろ」

「そうだろうが! だが、千円はどうだ? 千円は消えるのか?」

「消えない、けど……」

「そういうことだろう!」

「どういうことだよ!」


 いや、まぁ、分かる。

 いずれ、雪は溶けるからな。

 そうなってしまえば、雪だるま作りのチャンスは失われる。最悪、まるまる一年は機会が来ない。

 でもさぁ……とにかく嫌なワケよ、雪だるまとか。

 いい年して雪だるま作りに精を出すのは……なんていうか、ちょっとさぁ……。

 考えるだけでも、恥ずかしいっていうかぁ……。

 ぶっちゃけ、照れちゃうっていうかぁ……。


「……ちょっと待て。俺は本当に、そんな約束をしたのか? 『雪が降ったら、一緒に雪だるまを作る』――なんて、そんな恥ずかしい約束」

「おいおいおい。この期に及んで、まだ誤魔化そうというのか? 往生際の悪い奴だ……諦めろ。お前は、雪だるまを作るしかないんだ」

「しかない、ってことはないだろ。いや、ほら……俺、本当に約束した記憶が無いんだよねぇー。そんな約束、本当にした? お前の記憶違いなんじゃないか?」


 苦しい言い訳だよな……分かってる。

 実は、俺もハッキリ覚えているさ、その小っ恥ずかしい約束を。

 でも、丸め込まないと!

 何とかかんとか、丸め込まないと!

 雪だるま、作りたくない!

 ……というか、コタツから出たくない。


「はぁ……ユキト。ユキトよ。お前は頭が良い男だが、惚けるセンスは無いようだな」

「な、なんだと!」

「お前は覚えているのさ。雪だるま作りの約束を、ハッキリとな」

「く、くそぅ! なんか知らんがムカつく! 理由を言えよ、理由を!」

「お前は『俺が千円を借りたこと』を覚えていた――そうだな?」

「そ、そうだけど……」

「じゃあ覚えているはずだ。何故なら、『俺が千円を借りた日』と『雪だるま作りの約束をした日』は、同じ日だからな!」

「あ――そ、そうだったあぁぁァ!」


 そうだ、あの日。

 先月、ナオキが俺の誕生日会を開いてくれた、あの日。

 買い物中のナオキに、俺は千円を貸した。

 そして、誕生日会のあと、酒で酔っ払った俺は、こう言ったのだ――「雪が降ったら、一緒に雪だるまを作ろうぜ!」と。


「フフフ……残念だったな、ユキト。お前は認めるしかないのだ。恥ずかしい約束を、認めるしかないのさ」

「何てこった……」

「楽になれよ。どれだけ大人になっても、お前には遊び心があるということだ。隠しきれない、雪だるまへの想いが、な」

「いや、無いけどね、たぶん」

「あるさ。そうでなければ、たとえ酔っ払っていたとはいえ――『一緒に雪だるまを作ろう!』なんてセリフが、飛び出すハズないからな」

「無いってば! 無い無い!」


 あぁ……一度、誤魔化そうとしたのが、余計に恥ずかしい!

 もうこうなったら、意地でも雪だるまなんて作らないぞ!

 コタツに頭まで潜り込んでやる!

 冬眠だ、冬眠!

 春までおやすみ!


「さぁ、そろそろコタツから出てこい、ユキト。一緒に、秘めた遊び心を満たしに行こう」

「嫌だね。誰が出るもんか」

「ほらほら、早く準備しないと、先に雪だるま作っちゃうぞー?」

「勝手に作ってくれ。俺は外には行かん。コタツと結婚するからな」

「おいおい。いい大人が、コタツと結婚とか……恥ずかしくないのか?」

「いい大人が、『雪だるま作ろう』とか言ってはしゃいで、恥ずかしくないのか?」

「なに言ってんだよぉ。それは、お前が言ったセリフだろぉ?」

「うるさい!」


 いけないいけない。

 反応したら、コイツの思うツボだ。

 もっとコタツに潜ろう。

 コタツと一体化する勢いで。


「ほらぁ、コタツなんていつでも入れるじゃないか。さっさと遊びに行こう。先に雪合戦、始めちまうぞ」

「嫌だって。コタツと別居するのは、まだ早い。……どうやって一人で雪合戦をするのか、気にはなるが」

「あぁ、もう! そろそろ観念しろ! 先にカマクラを作ってしまうぞ!」

「嫌だっつーの!」


 というか、コイツは結局、何をしに行くんだ?

 雪だるまなのか?

 雪合戦なのか?

 カマクラなのか?


「分かった……分かった分かった。なら、最終手段だ。そんなにコタツから離れたくないなら、奥の手を使うしかないな」

「おくのてぇ? いやいや、無理だな。引き離せないよ――俺とコタツ、ベッタリだから。付き合いたての中学生カップルくらい、ベッタリだから」

「出来るさ、いとも簡単に。作戦はこうだ――お前が外に出ないなら、雪が中に入る」

「……え? いや、どういうこと?」

「だから、部屋の中に雪を持ってくるんだよ。そうすれば、遊び放題だろ?」


 ……マズいな。

 話が嫌な方向へ向かっている。

 ナオキの発想力が、俺の常識を飛び越えようとしている。

 やめてくれ。

 俺の常識を軽んじるのは、やめてくれ。


「あのな、ナオキ。それはちょっと、ルール違反じゃないか? 雪を持ってくるとか……それ、ただの嫌がらせだぞ」

「だから、奥の手なのだ。お前が約束を破るなら、こうするしかない。雪を持ってくれば、雪だるまも雪合戦もカマクラも、やりたい放題じゃないか――この部屋で」

「その部屋の主が、やめてくれって言ってんだけど? 他人の部屋でやりたい放題するのは、いけないことなんだぞ」

「たしかに、いけないことだ。だが、友人との約束を破ることも――いけないことなんじゃないのか!?」

「うッ! それは、そうかもしれないが……」

「ユキト、選んでくれ。これが最後の選択だ」

「さ、最後……」

「潔く外へ出て、健全に雪遊びをするか――」

「うぅ……」

「持ち運ばれた雪で、部屋をビショビショにするか――」

「…………」

「選ぶんだ、ユキト」

「…………はぁ。仕方ない。俺の負けだよ」


 コイツは、やると決めたらやってしまう男だ。 常識だろうが非常識だろうが、やっちゃうと決めたら、やっちゃう奴。

 きっと、本当に雪を持ってくる。しかも、手加減無しに相当の量を持ってくる。

 ここで再び断れば、俺の部屋はお陀仏だろう。目も当てられない雪景色の出来上がりだ。

 ……まだ、引っ越したくはないからね。


「行くよ。行くとも。約束は約束だ。恥ずかしくても、全力で雪だるまを作るよ」

「よく言ったぞ、ユキト。さぁ、きちんと防寒をして、外へ行こう」

「……ん? あれ? ちょっと待てよ……」

「どうした?」

「借りた金を早く返さないのも、いけないことなんじゃ――」

「行くぞ、ユキト! 雪が俺たちを呼んでいる!」



 *



「いやぁー、作った作った。満足だよ満足、超・満・足。毎年、雪だるまを作ってきたけれど、今年のが最高傑作かもしれないな」

「そうかい。そりゃ良かったよ……でもさぁ、十体も作る必要はあったのか? 作りすぎだろ……近くで遊んでいた小学生がビックリしてたぞ」


 俺たちの前には、個性豊かな雪だるまが十体。

 作っているうちに夢中になってしまい、続々とだるまが誕生してしまった。

 なんだかんだ言っても、雪遊びは楽しい。

 やっぱり、あるのかもねぇ――隠しきれない、遊び心が。


「雪だるまだって、一人じゃ寂しいだろ? いいじゃないか、こう……家族団らん、って感じで」

「ま、いいけどさ。俺も、童心に返ったみたいで、意外と楽しかったし」

「あぁ。充実した雪遊びだったと言えるだろう」「それじゃ、そろそろ帰ろう。さすがに寒くなってきた」

「そうだな――あ、コンビニ寄っていいか? 何か温かいものを買おう」


 体の芯まで冷えきった俺たちは、ホットドリンクのコーナーに引き寄せられた。

 俺は、温かい緑茶を購入。

 ナオキは――袋にいっぱいのホットココアだ。


「随分とたくさん買ったな、ホットココア。缶とペットボトルを合わせて、八本か……そんなに飲みきれるのか?」

「飲めるとも。冬の醍醐味はやっぱりコレだよ、コレ。外で遊んで冷えきった体を、ホットココアで温める。コレに限るよ」

「なら、いいか……あ、そういえば、そろそろ本当に千円返せよ。雪遊びは、もう充分に満喫しただろ?」

「そうだったな――あっ」

「どうした?」

「ユキト、すまん……」


 ガマ口のお財布が口を開く。

 中に入っているのは――十円玉が数枚だけ。

 キレイな空洞である。


「ホットココア買ったときに、使っちゃった……」

「…………」


 消えたじゃん、千円、

 誰だよ、千円は消えないとか言った奴。

 …………俺かぁ。

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「今日はどうした、ナオキ」 ちろ @7401090

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