第7話 ありがとう

 近年、浮浪者が増えていることが社会問題となっているが、そのほとんどが少数民族系の帝国民だ。帝国民になったはいいものの、なかなか文化や習慣の違いについていけなかったり、馴染めなかったりして、職にありつけない者が多い。また、職を得ても、続けることができない。その後も何人か浮浪者がマナの側に寄ってきては肉を分けてもらおうとするが、同じようにことごとくはねつけられていた。


 まだ頭に血が上りきっていない感じがするが、自分がどうなっていたのかは大体把握した。マナがナイフで父親の亡骸の腹を切りつけ、中から内臓のようなもの(いや内臓なんだろうけど、詳しい部位はわからない)が飛び出したのを見て以降の記憶はない。どうやら俺は卒倒してしまったようだ。どれくらいの時間倒れていたのかはわからないが、人一人調理する時間分だけは倒れていたことは確かだろう。


 俺は半身を腕で支えて起こし、マナの食事風景を見ていた。輝く銀髪を振り乱し、真っ白い肌をした口の周りを肉の脂だらけにしながら貪り食っているマナの顔が焚火に照らし出されている。あれ、人の脂なんだよなぁ、とどこか冷静に眺めている自分が妙におかしかった。


 そんな風にしてマナを見つめていたら、向うでも俺が起きたことに気付いたらしく、手招きで俺を呼んだ。まだ少し頭が揺れる感じがするが、立ち上がり、マナの元まで行く。すると、いきなり肉を差し出された。「食え」という。

 俺は言い知れぬ嫌悪感に襲われた。人を食うという風習、それを有するマグ族、そしてそこに属する目の前の少女に対しても、たまらない嫌悪感を感じた。悪寒が走ったくらいだ。


 俺は、自分は他の民族の風習に関して寛容であると思っていた。マグ族の人食いに関しても、もちろん自分が食われるのは嫌だが、それはそれで一つの文化だ、と思っていた。ところが、いざ肉を目の前に差し出され、自分が人間の肉を食うという、他の民族の文化に飛び込むことになりそうになった時、俺はそれに対して言い逃れようのない拒絶反応を示してしまう。


 自分としても意外だった。こんなはずではなかった、とも思った。眩暈が少しした。まだ完全に頭が起きていないので、立ちくらみのようなものもあったのかもしれない。自分が二つに割かれるような錯覚も感じた。俺はその場にしゃがみ込んだ。


 俺の嫌悪感は確実に表情に出ていたはずだ。俺は思ってることが顔に出やすい。案の定、マナはそれを察したらしい。その言語の理解が不十分で、コミュニケーションを取りにくい状況でも、感情というものはストレートに伝わってしまう。伝えたいものは伝わらず、伝わって欲しくないものは伝わってしまうのが世の常だ。マナはそんな俺の顔を見て怒ったような顔をした。それでいて、表情にはないが、悲しさのようなものも見えた。言葉でも表情でもないものも、時には伝わってしまう。


 俺は自分の出自がそうだからか、ずっとマイノリティ側の人間だと思っていたし、実際そのような扱いも受けてきた。言語学の道に進んだのだって、その意識が強かったからだと思う。国を統合していく過程で、幾つかの言語がなくなってしまっても仕方がない、という謂わばマイノリティをないがしろにする動きに対して甚だ違和感……、いや正直に言うと嫌悪感を感じていたから、俺は言語学を学ぶようになった。


 国がそうやってマイノリティを潰していくのなら、俺は、微々たる力でしかないかもしれないが、なくなりそうなマイノリティを少しでもすくい上げることができれば、と思って言語学を始めたのではなかったか。それが、今の俺はマイノリティに嫌悪感を抱いてしまっている。そうすることで、自分は多数派だと思い込みたい心理があるのかもしれない。いやそうやって分析したところで結局自分に言い訳しているだけの話だろう。


 しばらくぼんやりと揺れる焚火を眺めていたが、ふと気配がなくなっているのに気が付いた。周りにいた浮浪者がいなくなっていた。そして見ると、もう、肉は一欠片も残っていなかった。


「ありがとう」


 ふいにマナが言った。ニヤ族の言葉だったので驚いた。しかし、すぐに、多分マグ族の言葉でもあるのだろう、と思った。この言葉は共通であるのかもしれない。


 マグ族とニヤ族の言葉が出来た時、その間にどんなことが起こったのかはわからない。共通の語を逆さにしたものが多数存在することから、両者の間にはあまり幸福な事態が起こったとは考えにくい。むこうがああならこっちはこうだ、という思想がそこには介在されていると考えるのが自然だろう。やはり、マグ族が「人を食う」ことと無関係とは思えない。


 しかし、人に感謝を伝える言葉は逆さにしなかった。多分それが、自分の気持ちを伝達する言葉としては最も大事なものだからかもしれない。憎しみを伝えれば下手すれば戦争になってしまうかもしれないが、感謝は伝わらなければ逆に戦争になってしまうこともあるかもしれない……極論だけど。だからこの言葉だけは両者共通のものとしたのだろう。


 確かに、この単語は音ではなく意味が逆さになっている可能性も考えられはする。しかしそれはないだろう。なぜなら、マナはとても素敵な笑顔でその言葉を言ったからだ。


 そしてまた、マナは妙なことを言った。父親は生きている、というようなことを言ったのだ。あまりに奇妙なことを言うので思わず、いや君のお父さんは亡くなったんだろう、と言ってしまった。たった今自分の父親(それも遺体だ)を食ったばかりだし、その父親は骨となってマナの傍に積まれている。しかもその骨を持って帰って墓に入れると言ってるのだ。


 それなのに父親は生きてると言う。これを妙と言わずして何と言おう。だから思わず言ってしまったのだ。しかしマナは、違う、と言い返した。生きている、と。伝わるものは一発で伝わるが、伝わらないものは最後まで伝わらない。結局、マナの意味するところはわからなかった。


 その後、マナを車でマグ族の集落まで送った。集落まではかなりの距離があったので、着いたのは翌朝の、日も随分高い時間となってしまった。おそらくマナはこの距離を一人で走ってきたのだろう。途中でヒッチハイクをしたとも思えない。マグ族の身体能力を考えれば頷けないこともないが、それでも改めて考えると信じられない。やはり父親への想いがマナを遠くまで行かせたのだろうか。


 集落の入り口には族長がいた。俺たちが来るのを知っていたかのようだ。車を降りたマナは族長の元へ行き、二言三言、言葉を交わした。特に怒られるということもなさそうだ。ちょっと安心した。族長はマナを集落の中へと促した。マナは一回俺の方を振り返り、笑顔を見せた。そして後は振り向くことなく集落の奥へと消えていった。ふと、差し出された肉を断った時にマナが見せた悲しさが蘇って来た。


 俺も車を降り、族長に歩み寄った。族長の方でもこちらに向かって来る。俺は族長に「牛十頭は送る」と伝えた。族長は俺が自分たちの言葉を喋ったので少し面食らったようだった。しかし俺の言葉には答えず、「もうここには来ないでくれ」というようなことを言った。多分それで合ってると思う。そして族長は俺に背を向け、集落の奥へと消えていった。


 なんだかひどく疲れた。よくよく考えたら夜通し車を飛ばしてきたし、昨日の夜は肉饅頭一個しか食っていない。強烈に車の中で仮眠したかったが、族長から「ここには来るな」と言われた手前、早くここを後にした方がいいだろう。俺はとりあえず、ニヤ族の村へ向かうことにした。あそこはここから近いから、仮眠を取らせてもらおう。

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