第6話 ナイフ

「で、遺体はどこに……」


 教授はつまんないものででもあるかのように、あごでマナの父親の遺体の場所を示した。見ると、昨日の毛布にくるまれた、ちょうど人くらいの大きさのものが部屋の隅に粗大ゴミのように転がっている。マナは教授の仕草でそれとわかったのだろう、その毛布にくるまれた塊に飛びついた。マナはまだ、自分の父親が生きていると思っているのだろう。そしてすぐに自分の父親は既に亡くなったことを知るのだろう。


 マナから目を逸らすと、代わりに教授がマナを見ているのが視界に入った。教授は何か汚らわしいものでも見るような目で見下ろし、馬鹿にするように鼻を鳴らした。マナにこの教授を食わせてあげようかなとも思ったが、こんなもん食ったら腹を壊すかもしれないと思い直した。


 俺も遅れて毛布の側に寄った。マナが毛布をはぐと、果たして昨日のマグ族の男の遺体であった。どうやら解剖はまだされていないようだ。


 マナは父親の遺体を見るなり、腰にぶら下げていたナイフを振り上げた。刃渡りは三十センチほどはある。研究員たちから悲鳴が上がる。しかし、マナがナイフを振り下ろそうとしたのは父親の遺体だった。


「ちょちょちょ! 待て待て待て!」


 俺は咄嗟にマナを止めた。我ながら刃物を持っている相手をよく止めたもんだと思う。しかしマナはそんな俺を憮然とした表情で見つめている。何してくれてんの?という感じだ。いや、自分の父親だろ。父親を取り戻しにこんなところまで来たんだろ。何してくれてんの?とはこっちが言いたい。


 すると、マナは「食べる」と言い出した。いくら人食い人種といっても自分の父親を食っちゃダメだろ。続けてマナは車内で話したのと同じ「遅れる」と言った。「急げ」とも。そして「死ぬ」とも言った。俺はこれらの単語を頭の中に列挙してみた。「食べる」「遅れる」「急げ」「死ぬ」。


 それらの言葉に『マナが父親を食おうとしてそれを俺が止めた』という状況も加味して論理的に組み合わせると「急いで食べなければ遅れて死ぬ」。こんなところか。それでも今一つ意味は通らないが、とにかくマナは父親を食うためにここまで来たということは、間違いないようだ。マナは父親がまだ生きていると思ってる。そして、その父を食おうとしている。一体、何がやりたいんだ?


「それが欲しいものなんだろ。早いとこそれ持って出てってくれ」


 なぜマナが父親の遺体を食おうとするのか、それはそれとして、この人らの気が変わらないうちに遺体を持ってズラかるとしよう。さっきからこの教授には非常に腹が立つが、それはどうでもいいことだ。気にしてたらキリがない。マナにここを出ることを伝えると、マナは軽々と父親の遺体を持ち上げた。


「牛十頭はどうなるんですか?」


 一応教授に聞いてみた。


「約束だからな。それは持っていく」


 と言った。案外良い人なのかもしれない、と思い直した。


 部屋を出る時、ドアに一番近いところにいたのが食堂野郎だったので聞いてみた。


「どういうことだよ。昨日とは随分違った歓迎ぶりじゃねぇか」


「老衰だったんだ」


「え?」


「あのマグ族の遺体、死因を調べたら老衰だったんだ。推定年齢は三十歳。おそらく、それが彼らの平均寿命だ」



 廊下に出ると、早速マナは父を食うと言う。まぁそれがここまで来た目的なのだろうから、よくはわからないが、その意思は尊重する。しかし、さすがにここではまずい。俺たちはマナの父親の遺体を一旦車に乗せ、人気のないであろう最寄りの公園へと移動した。


 公園までの道すがら、俺はマグ族のことについて思い返していた。そしてあることに気付いた。そういえば「自分たちの部族の人間がマグ族に食われた」と話してる奴を見たことがない。マグ族が人を食っているのは何度も目撃されてはいるが、それはどれも「他の部族」の人間、つまり自分たち以外の部族の人間だった。どの部族にも当てはまらない他の部族とは、それは取りも直さずマグ族のことではないのか。


 つまり、マグ族の食人とは専ら共食いだったのかもしれない。なぜマグ族が共食いをするのか。それは、なぜマナが父親の遺体を食うのか、ということに繋がるのだが、もちろんそれはわからない。しかし何かしらの、のっぴきならない事情があると考えるのが自然な流れだろう。


 それにしてもマグ族が長寿じゃなかったのは意外な展開だ。むしろ短命というのが、研究チームの見解だった。どうりで村には年寄りがいなかったはずだ。あの長老も見た目通り三十五歳くらいなのかもしれない。実は短命(らしい)のマグ族の中では確かに長老ではあるのだろう。


 しかし、ではなぜ短命であるはずのマグ族が長寿との噂が広まったのだろうか。しかも「永遠にも等しい長寿」だ。今回も「長寿のはずなのに若いマグ族が死んだ」ということで話題になった。しかしよく考えれば、マグ族の人間が死んだということ(というよりマグ族の人間の死が確認されたこと)自体、稀な出来事なので、それまでに死んだマグ族の人間が若いか年取っていたかなんてわからない。案外毎回「若いマグ族が死んだ」ということで話題になっていたかもしれない。そもそもマグ族は食人の習慣があるため他の部族には避けられており、交流自体がほとんどないのだから、マグ族が若くして死んでいくという事実はわからなかったのではないか。


 人は未知のものや恐ろしいものに対してある種の神聖視をしがちなところがある。例えば、蛇を神の使いとして崇める文化などはそうだろう。交流がなく、人を食うということで恐れているマグ族に対し、「不死」という言わば神に近い特性を与えることによって、周囲の民族はマグ族を理解(というより処理)しようとしたのかもしれない。


 そんなことをつらつら考えていたら公園に着いた。予想通り、人影はなし。昼間は多くの人の憩いの場となっているが、夜に訪れる人は少ない。それに、夜の公園は何となく不気味だ。好んで訪れる人は少ないだろう。ぽつりぽつりと点いている灯りを避けるように、俺は父親の遺体を担ぐマナを公園の奥にある巨木の前に連れてきた。ここなら大きな木の陰になって人目を避けることができるし、すぐ近くには小川も流れている。色々と都合が良い。


 マナは父親の遺体を木の根元に横たえ、目の前の森に入って行ったかと思うと、枝を何本も集めてきた。腰にぶら下げた袋から火打石を取り出し、手際良く火をつけた。調をするためだろう。そしていよいよ毛布を外し、父親の亡骸を出した。遺体が焚火の明かりを受けて、マナと同じ銀色の髪がオレンジ色にゆらめいている。マナは研究室と同じように腰にぶら下げていたナイフを振り上げ、父親の腹をかっさばいた。



 肌寒さを覚えて目を覚ました。やけに寝心地が悪いので、最初自分がどこにいるのかわからなかったが、とにかく自分の寝室ではないことだけはわかった。見ると、目の前には焚火の明かりが煌々と灯っている。焚火の周りには肉(マナの父親)が串刺しになって焼かれている。肉は切り分けられていて、一見すると人肉には見えない。焚火の向こう側にマナが座っている。肉を食らっている。


 よく見ると、俺たちの周りを遠巻きに人が囲んでいる。誰だろう。照明が焚火だけなのでよくわからない。そのうちの一人がマナの元に歩み出てきた。焚火の明かりに照らされたのは浮浪者だった。彼は、一つ分けてくれよ、と言った。しかしマナはその浮浪者を睨みつけ、ナイフを腰から抜いた。浮浪者は慌ててその場を後にした。


 だんだん目が暗闇に慣れてきたこともあり、周りを囲んでいる人影は皆浮浪者であろうことがわかった。中には目が緑色に光ってる奴もいる。俺は反射的に目を逸らした。

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