第5話 マナ
二つ食ったので幾らか落ち着いたのか、三つめの肉饅頭は一口ずつ齧り取り、咀嚼しながら食べるようになった。一口食べるごとに笑顔になる。それと同時に決まってある言葉を発していた。「ハミューザ」と聞こえる。
どこかで聞いたことのある言葉だったので、注意深く彼女がその言葉を発するのを聞いていたら、ある単語を思い出した。ニヤ族の言葉である「ザミューハ」だった。逆さに読んだら彼女が発した言葉と同じになる。これは「美味しい」を意味する言葉だ。状況的には一致している。
ある考えが浮かんだ。ニヤ族が使う簡単な単語を思いつく限り片っ端から逆さにして言ってみた。急に自分に対して饒舌に話しかけてきた他民族の男に、はじめはあからさまな警戒心を顕わにしていた女の子だったが(肉饅頭奢ったの忘れたのかな)、次第に何かの遊びかと思ったのか、徐々に打ち解けてきて、時には笑顔も出てくるようになり、終いには向こうからも色々と話しかけてくれるようになった。案外人懐っこいのかもしれない。どの民族も子供はあんまり変わらないな。
それにしてもやはり思った通りだった。マグ族の言葉はニヤ族の言葉を逆さから読んだものが非常に多かった。俺が話しかけた大体七割くらいは相手に通じた。父を表す「タタタ」という単語が通じた理由もわかった。逆さに読んでも同じだからだ。
なぜマグ族とニヤ族が使う多くの単語がそのような逆さの関係になったのかはよくわからない。しかし、これでこの子とコミュニケーションが取れそうだ。
というわけで、先ずは名前を聞いてみた。すると彼女はこう答えた。
「マニャィォオガャーゥルツ」
え、何て?
正直どう発音したかもよくわからない。この表記でもあまり正確とは言えない。他の民族が使う言葉は俺たちが普段使っている言葉にはない音を多数使っているので、正確に俺たちの言葉で彼らの名前なり単語なりを表記したり発音したりすることはそもそも不可能だ。
ということで、何て言ってるかよくわからないし、何より言いにくいので俺はこの子のことを「マナ」と呼ぶことにした。このことは当然逆も言える。俺の名前はテヲノ・クヌーテというのだが、マナは「ノ」が言い難いようで、どうしても「テヲロ」になってしまう。だから俺のことは「テヲ」と呼ばせることにした。
次に年齢を聞いてみたら、十五歳だと言う。体が小さいからもっと下かと思っていたので意外だった。しかし、マグ族は全体的に背が低い(村を歩いた感じ、大体一般的な帝国民よりも男女共に十センチは低そうだ)し、言われてみれば顔立ちも十五歳のそれ、大体高校生くらいだ。
空腹も満たされ(肉饅頭は最終的にはマナが五個あるうちの四つを平らげたが、まぁよい)、人心地ついたので、車はボロボロだったが再び大学に向けて走りだした。
俺は改めて、父親の遺体を探しているのか?と聞いた。マナは「そうだ」と答えた。そして「急げ」とも言った。「遅れる」とも言った。そりゃ早く取り戻したいだろうから急いでいるのはわかるのだが、遅れる、とはどういうことだろう?
何に遅れるのか、と聞いてみたところ、「死ぬ」と答えた。いや、もう君のお父さんは死んでいるんだろう?と聞くと「まだだ」と言う。どういうことだ、と聞いたら返事がないので、何か考えているのかと見てみたら、寝てた。かなり意表を突かれたが、まぁ仕方がない。あんな遠いところから自分の足だけでここまでやってきた上、食べたばかりなのだから、車に揺られたらそりゃ寝るだろう。ただ、寝てもいいけど口は閉じなさいよ、と思った。
それにしても「まだ死んでいない」とはどういうことだろう。ひょっとしたら臨死状態ということか。であれば、解剖などされたら本当に死んでしまう。しかし、仮にも彼らは医学部の研究チームだ。臨死状態であればわかるはずだ。
あとは彼らの良心の問題だ。自分たちの研究のために彼らは人一人を犠牲にするだろうか。帝女一人の若さや長生きのためなら、帝国民の命など取るに足りないものなのだろうか。少数民族など、帝国民のうちに入らないのか。
色々な疑念が浮かんでくるが、そんなことはないと信じたい。しかしこの帝国の人間に期待するのは楽観的に過ぎるのだろうか。とにもかくにも、俺はアクセルを強く踏み込んだ。
大学の駐車場に車を停めると、先ずは寝ているマナを起こした。器用なことにマナは座席で寝がえりを打っていた。まぁ体が小さいからだろう。座席に足を折り畳んで乗せ、背もたれに顔を埋めているマナを揺り起こすと、「んー」と声を上げて、辺りを見回した。自分がどこにいるのかわからなかったようで、かなり警戒していたが、俺の顔をじッと見ると、自分がなぜここにいるのか思い出したようだ。
そしてすぐに長寿研究チームの研究室へと向かった。すっかり日は暮れて薄暗い上、講義やゼミも終わって人影もまばらだった。おかげでマナがキャンパスを歩いても騒ぎにはならなかった。あとは長寿研究チームの連中がまだ帰っていなければいいのだが、研究室のある部屋を見上げるとまだ明かりは点いていた。
帰る前に行かなければ、と研究室まで走って行き、焦っていたのでドアもノックせずに入ってしまった。研究室には昨日の面々が揃っていた。幸い、あのデカ男はいなかった。あいつがいると面倒だ。いくらマナが強いとはいえ、デカ男は銃を持っている。さすがのマナも銃には敵わないだろう。
突然人が入ってきた上、その人物が昨日自分たちを追いかけ回した人食い人種の娘だったので、皆目が飛び出さんばかりにこちらを見て固まっていた。
「な、何だ……、いいい一体……!」
教授が声を震わせ、上ずらせながら、ほとんど叫ぶようにそう言った。人は自分より焦った人間を見ると冷静になるようで、教授のそんな様を見て俺はすっかり落ち着いてしまった。
「言語文化専攻のクヌーテです。昨日マグ族の集落にご同行した」
「そんなことはわかっとる! そっちじゃなあい! なぜそいつをここに連れてきた!」
そりゃ人食い人種が自分たちのテリトリーに攻め込んできたら怖いのはわかるが、自分の親くらいの年齢の人が焦りまくって我を忘れかかっているのを見るのは、なんか微妙な気分だ。
「あ、すみません。昨日の遺体についてなんですけど、実はまだ生きているらしくて……」
「そんなことはない。確認したが、既に死んでいた」
「え? そうなんですか?」
マナの話とは違っているが、まぁ冷静に考えればそうだろう。なんせ、「死体」ということでマグ族から引き取ったのだから。それに、専門家がそう言うのだからそうなのだろう。
「まぁ……、それはともかくなんですが……、そのぉ……、あの遺体、この子に返してやるわけにはいかないでしょうか?」
残念ながらマナの父親は亡くなっていたが、マナとの約束だ。父親は返してもらわなくてはならないし、俺としても、そうすべきだと思う。まぁ、かなり強引ではあるが、ものは試しに聞いてみた。
「え? あぁ、あれか……。引き渡せば、帰ってくれるんだね」
なんか教授のテンションが急に下がった気がする。
「はい」
「じゃあ、早いとこ持ってってくれ」
昨日の話では帝女が絡んでいるとのことだったから、絶対に返してくれないと思っていたので正直驚いた。実は力ずくで遺体を持って帰ることも考えていた。もちろん、マナが力ずくで、だ。俺にはそんな腕力はない。
「返してくれるんですか?」
「却って都合がいい」
そんなことまで言った。拍子抜けというか、昨日とは明らかに何かが変わったようだ。
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