第2話 牛

 翌日(つまり昨日だ)、研究チームと合流すると、研究室にはいなかった奴が一人いた。


 どうも大学にいる連中とは毛並みが違う。なんかこう、威圧的なのである。実際縦も横もデカい。気にはなったが、取り急ぎ用意された大型の車に同乗した。


 メンバーは全部で五人。研究チームからは教授とその他二人が選抜された。うち一人は食堂で俺に声をかけた奴だった。こいつのせいで俺は人食い人種の村にまで行く羽目になったと言っても過言ではない。しかしこいつは何のてらいもなく「今日はよろしく!」などと俺に声をかけてきやがった。何かあったら真っ先にこの食堂野郎を餌食にしてやろうと思った。そして残りの二人は見知らぬデカい男、そして俺だ。


 先ずはニヤ族の集落に向かった。そこで俺がそこの族長に今回の件について話し、通訳を募ったが手を挙げる者は誰もいない。そりゃそうだ。いくら近くに住んでいて多少なりとも交流があるとはいえ、マグ族には人食いの習慣がある。だからマグ族は周辺の部族からも避けられている。


 仕方がないので、通訳を買って出てくれる者には牛一頭を送ることとなった。この話に最初にびっくりしたのは俺だ。たかだか通訳をするだけの奴に送る報酬としては破格すぎる。費用は一体どこから出るのだろうか。せっかくだから俺の報酬も弾んでもらうことにするが、どうも今回の長寿研究チームの本気さ加減は相当なものであるらしい。前日の研究室での悲壮感すら漂わせる押しの強さも然りだ。長年マグ族のことを放ったらかしにしてたチームとは思えない。


 ともかくさすがに牛一頭効果は大きく、今度は逆に希望者が増えてしまった。全く現金な奴は民族に関係なく、どこにでも多いものだ。


 候補者の中から頭の良さそうな若い奴を選び(基準は見てくれだった)、車で三十分ちょっと、マグ族の集落に到着した。


 当然アポなんてないが、聞き慣れない車の音に警戒したのか、マグ族の男が数人、集落の奥から出てきた。皆若い。マグ族特有の太く真っ直ぐ輝く銀髪を後ろで束ね、白と茶を基調とした毛皮の服を着ている。そして手には槍を持ち、彼らのグレイの瞳がこちらを見据えている。


 どう見ても出迎えてくれている雰囲気ではない。車内の空気が一変する。息を吸う音すら大きく聞こえる。睨み合いが続いた後、とりあえずお前行ってこい、とニヤ族の通訳を押しやった。しかし、なかなか車を降りようとしない。そりゃそうだ。何せ相手は人食い人種な上に武器を持っている。そこで、牛一頭欲しくないのか、と一押しすると渋々車を降りた。


 ニヤ族の通訳は一番手前にいたマグ族の男に近づき、要件を話す。要件とは族長に会いたいということだ。いきなり「死体をくれ」と言うのはどう考えても得策ではない。マグ族の男は一言返答し、集落の中へと消えて行った。


 待つこと十分程。その間、他のマグ族はじッとこちらを睨んでいる。マグ族は小柄ではあるが、身体能力が極めて高い。襲い掛かられたらひとたまりもなく食われてしまうだろう。さっきのマグ族の男が年配の男を伴って戻ってきた時には、車内で座っているだけだったのに、すっかり疲れ果てていた。


 ニヤ族の通訳が「大丈夫だよ」と言うので、俺たちは若干の安堵感を覚えつつ、それでも警戒しながら車を降りた。


 後から来た年配の男がどうやら族長らしいのだが、どう見ても若い。年上に見積もっても三十五歳くらいで、それ以上には見えない。しかし、族長というのだからマグ族の中でも年長者ではあるのだろう。となると彼は数百年生きている可能性もある。目の前に数百年の時を生きている人間がいると思うとちょっと感動的だが、こちらに歩いてきた時の動きや、こうして立ち話している姿勢は実にかくしゃくと(という表現も不自然なほどしっかりと)していて、とてもそんなに長く生きているとは思えない。実は俺もマグ族を見るのはこの時が初めてだったのだが、マグ族は長寿どころではなく、不老でもあるのかもしれない。


 族長は「客人だからもてなしたいのでお茶でもどうか」と、俺たちを出迎えた若いマグ族の連中が醸し出していた雰囲気とは真逆のことを言った。信用していいかどうか微妙だし、何より人食い人種の集落の奥地へ行くのは気が引けたが、こちらは交渉してもらう立場なので、彼らの言うことにはなるべく反対しない方がいいだろう、ということになった。


 村に入ると、当たり前だがマグ族の人間を何人も見かけた。皆一様に、不自然なほど若い。というより老人を見かけない。確かに族長が一番年長に見える。やはり不老長寿の民族なのか。


 マグ族の家は、屋根が藁ぶきの高床式住居で、案内された族長の家は他の家よりも一回り大きかった。階段を上って中に入ると誰もいなかった。お茶は族長自ら慣れた手つきで人数分淹れてくれた。お茶は非常に苦かったが、飲めなくもなかった。


 早速話を切り出したが、先ずは村で最も困っていることは何かと尋ねた。世間話を装って、いきなり交渉を始めた形だ。すると、近年鹿が増えて困っている、という答えが返ってきた。そう言えば、山岳地帯では鹿などの草食動物が増えているというニュースをラジオで聞いたことがある。それらを捕食する狼が急激に数を減らしているためらしい。


 マグ族は食人の風習のイメージのせいで専ら狩猟採集生活をしていると思われがちで、もちろん狩猟もするのだが、実は農耕が彼らの主な食料源となっている。だから、鹿が増えすぎた今、作物を食い荒らされてしまい、甚だ困っているというのだ。


 それを聞いた研究チームは、ならば我々が鹿を追い払いましょう、と言った。そして早くも昨日死んだマグ族の死体の引き渡しという条件を突きつけた。更に、死体を引き渡してくれたら牛を十頭贈る、という条件も加えた。ニヤ族の通訳一人に一頭贈ることを考えると安く思えるが、相当な支出であることは間違いない。


 ただ、仲間の死体を渡せ、という条件に変わりはないので、ニヤ族の通訳が以上のことを族長に話している間(俺がニヤ通訳に、死体を渡して欲しいと伝えてくれ、と言うと、彼は気の毒なほど驚いて、しばらく族長に通訳することを拒んでいた)、この村に来た時の車の中と同じような、いやそれ以上の緊張が家の中を充たした。


 族長は表情を曇らせ、しばらく黙り込んだ。その間、生きた心地がしなかった。なんで俺は通訳なんぞを引き受けてしまったのか、しきりに悔やんでいた。喉はカラッカラだがとても目の前のお茶に手をつける気にはなれない。いや、微動だにできない。そんな永遠とも思える沈黙を破った族長の一言は、一旦外で待っててくれ、だった。


 俺たちは車の中で待たせてもらうことにした。どうやらマグ族の重鎮たちで話し合いが持たれているらしい。同胞の死体をどこの馬の骨ともわからない連中に引き渡すなんて、普通なら拒否するだろう。それを言下に断ることをせず、話し合いまで行うのだから、余程鹿の被害がマグ族に与える被害が大きいのか、牛十頭が魅力的なのか、或いはその合わせ技がクリティカルなのか。いずれにしろ研究チームの申し出は効果的であったことは間違いない。


 しかし、鹿が増えた原因の原因、つまり狼が減った原因は帝国のせいなのだ。帝国が急激に領土を広げたので、それまでは限られた少数民族しか人のいなかった山岳地帯にまで多くの人が住むようになった。そしてそこは元々は狼の縄張りだったため、狼による被害が多発し、駆除と称して人が次々と狼を殺していった。今では狼の絶滅が危惧されるほどだ。それを思うと鹿を減らす約束はえらいマッチポンプな感じがする。


 ところで、鹿を減らすと約束したが、どうやって減らすのだろう?

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