人食いのマナ

涼紀龍太朗

第1話 デッドリードライヴ

 人を食べたことがあるだろうか?


 俺はない。


 しかし、俺の隣に座っている人物は十中八九あるだろう。


 さっきからハンドルを切る時、手が滑りまくっている。汗でぐっちょぐちょだからだ。もちろん冷や汗だ。


 そのため極めておぼつかないハンドルさばきとなっている。おまけに殴られた痕がまだ痛い。やはり本当に顔が折れたんじゃないかぐらい思う。


 しかもフロントガラスは粉々に砕け散っていて、風が目に入って視界を確保するのが難しい。


 隣の人物に食い殺される可能性より交通事故で死ぬ可能性の方が高いかもしれない。いずれにしても二十五歳の若さで死にたくなんかない。


 そう、俺は今、人食い人種とのドライヴの真っ最中だ。


 なんで好き好んで人食い人種を助手席に乗っけているのかというと、俺だって好き好んで乗っけているわけではない。


 話は二日前に遡る。俺が通う大学の医学部に長寿について研究しているチームがあるのだが、そいつらを手伝ったのが事の発端だ。


   ◇   ◇   ◇


 国境付近の(国境は日に日に広がっているのでどこまでが帝国の領土なのかはよくわからないが)山岳地帯に住んでいる少数民族の中にマグ族という民族がいる。このマグ族は永遠とも言われる寿命を持っているというのが専らの噂だ。


 さすがに永遠というのは言い過ぎだと思うが、近隣の他の民族(と言っても彼らの住む集落と集落の間は十キロ前後離れているが)にも長寿ということで知られている。それを考えると、長寿であることは確かなのだろう。


 しかも、一説によるとその長寿さ加減が数百歳と言われているのだ。数百歳ともなれば、確かに永遠にたとえられてもそう大げさなことではない。それだけの長寿であるならば、長寿研究チームが放っておくはずはない。


 しかし実際は長いことマグ族の研究は放置されていた。


 というのも、マグ族は長寿であること以上に食人の習慣があること、俗に言う人食い人種であることで有名だからだ。


 実際、マグ族が他の部族の人間を食っている現場は近隣に住む民族に何度も目撃されている。長寿の調査をしに来ましたぁ、と出向いたはいいものの、獲って食われたのではたまったものではない。研究者だって命は惜しいだろう。いや、長寿の研究をしているのだから普通の人以上に命は惜しいかもしれない。むしろ、長生きしたいから長寿の研究をしている、と言った方がいいだろうか。


 というわけで、長寿の研究はしたいがそれ以上に自分の身が可愛い研究者たちによって、長い間マグ族の現地調査は棚上げにされてきた。


 ところが昨日、突如として長寿研究チームはマグ族の集落へと赴くことになった。


 原因は俺だ。


 そういった意味では俺が今、人食い人種とのデッドリードライヴとしゃれこんでいるのは自業自得とも言えるかもしれないが、まぁ聞いてくれ。


 俺の本職は言語学者だ。正確に言うと、その卵だ。今は大学院で言語学を学んでいて、今年から博士課程に進んだ。そこでは主に国内の少数民族の言語について研究している。


 帝国内には多数の少数民族が存在するが(正確に言うと、国境を押し広げ、その広げた土地に元々住んでいた民族を国が併合しているのだが)、帝国はそれら多数の民族を単一の「国民」として統合しようとしている。


 国民とは一つの国家に属する人間ということだ。国に所属した人間はその国の定めた言葉を使わなくてはならない。一つの国には一つの国民しかいないという前提なので、基本的には国が定めた一つの言語以外は存在してはならないのだ。


 従って、複数の民族が一つの国民として統合されていく時、その過程で多くの民族の言語が失われることになる。そしてその多くが、翻訳されないまま消えていく。


 思考というものは言語に規定される面があるので、その言語だからこその概念というものは必ずあるはずだ。つまり、その言語が失われるということは、俺たちにはない概念や考え方、ひょっとしたら感情も失われるということだ。


 これは大きな損失だと俺は思う。そういう理由で、俺は少数民族の言語を研究するようになった。俺は俺の知らない考え方や感情を知りたい。


 また、帝国としても民族を統合していく過程では、言葉が通じた方が交渉(という名の支配)もスムーズに行えるので、この研究自体は奨励されており、資金も割と潤沢である。その目的とするところは真逆ではあるが、金を出してくれるのはありがたい。


 一昨日、俺はフィールドワークのため、とある少数民族の集落を訪れていた。その時に「今日、マグ族が一人死んだ」という話を聞いた。長寿で知られるマグ族の人間が死んだということで、そのニュースは近隣の部族たちにすっかり広まっていた。


 しかも、その死んだ人間がまだ若かった。つまり早死にだったというのだから俺が訪れた集落でもかなり話題になっていて、フィールドワークどころではなかったほどだ。こう言っちゃアレだが、こういった少数民族には娯楽が少ない。逆に言うと毎日のんびり、割と平和にやっているのだが、それ故に普段と変わった事があると村中大騒ぎになる。


 確かに珍しい話だったので、俺もその日大学に帰ってから食堂で友達とお茶を飲んでる時に話してしまった。今にして思うとそれが運の尽きだった。偶然後ろのテーブルに医学部の長寿研究チームの奴が座っていたのだ。


 俺の話に聞き耳を立てていたそいつに「興味深いから詳しく聞かせてくれ」と言われ、研究室に連れて行かされた。通された研究室には数名の研究員と教授がいた。教授は見たとこ五十歳くらい、白髪混じりで口髭を生やしている。口髭にも白いものが混ざっていた。背は高い方で、顔立ちも割と整っている。なかなかのダンディと言っていいだろう。


 そのダンディ教授は「もしそのマグ族の死体を解剖することができれば、長寿のメカニズムは大きく解明されるだろう」と言う。しかも若い検体は珍しく、こういう機会は次いつ訪れるかわからないらしい。食われる恐怖で二の足を踏んでいた研究チームは、千載一遇の機会を得てようやくその重い腰を上げたというわけだ。


 しかしそれはいいのだが、どうやってそのマグ族の死体を持ってくるのだろう。見ず知らずの奴に身内の亡骸を持っていかれるマグ族のことを思うと、それこそ食われかねないのではないか。俺なら食う。


 聞いてみると、そこは現地に行ってから交渉するという。本当にお前ら研究機関の人間か?と疑いたくなるくらい行き当りばったりである。まぁ俺には関係ないし、どっちでもいいかぁと思っていたら、君も来てくれないか、と連中が言い出した。


 君の専門は何かと問われたので、少数民族の言語の研究をしている、と答えてしまったからだ。なんとも馬鹿正直なものだ。我ながら全く頭が回らないとは思うが後の祭りだ。


 しかし俺は抵抗を試みた。その周辺の部族の言語なら研究しているが、マグ族の言語はまだ研究していない、と言った。そしてこれは事実だ。俺だって人食い人種は怖いからだ。


 しかし研究チームも食い下がる。それなら隣の部族の奴を通訳に雇ってはどうかということになった。大抵の場合、近隣の少数民族同士は多少の交流を持っている。今回の場合、マグ族の集落と最も近い集落に住んでいるニヤ族は、マグ族の言葉を解することがわかっている。それを利用するのだ。


 先ず俺が研究チームの伝えたいことをニヤ族の人間に話す。そしたらそいつがマグ族に俺が言ったことを伝えるのだ。マグ族からの返事はその逆の道筋を辿る。


 もちろん俺は更に色々と理由を付けて断ろうとしたのだが、研究チームの奴らは妙に押しが強く、というより何か切羽詰ったようなところがあり、それが迫力にも繋がってるし、困ったことに憐憫にも繋がっていた。最後はダンディ教授が懇願してきた。親くらいの年齢の人に懇願されるのは、なんだか非常に微妙な気持ちだ。気乗りはしなかったが結局行くことになってしまった。

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