第3話 鹿

 やはり狼を減らしたのと同じように鹿も殺していくのだろうか? もしそうなら、それでいいのだろうか。あっちが減ったからこっちも減らします、というのは幾ら何でも横暴すぎはしないか。


「鹿ってどうやって減らすの?」


 俺の中で妙に引っかかったので、運転席に座っている食堂野郎に聞いてみた。こいつには思うところがあるものの、歳が俺と一番近そうなので声をかけやすくはある。


「……どうやって減らすんですか?」


 食堂野郎もわからなかったらしい。俺に答える代わりにチーム長でもある教授に聞いた。全く役に立たない奴だ。


「鹿は……多分減らさない。そこまでの余裕はない」


 ところが教授の答えは問いかけとは食い違ったものだった。それどころか、あまりにも予想外の答えだったので、少しの間、教授の言葉を理解することができなかった。教授の考えは、俺とは先ず前提が違ったのだ。鹿をどうやって減らすか、ではない。鹿を減らすかどうか、だった。そして教授は鹿は減らさないと言う。


 そうとは知らずに黙り込んだ族長の苦悩とは何だったのか。仲間の亡骸と、部族が直面している問題の解決。過去か未来か。地続きのはずのどちらかを捨てる、ある意味正解のない答えの決断をしなければならない。それが族長の役目だからだ。彼は今もまだ悩んでいるかもしれない。


「じゃあ、嘘ついたんですか」


 俺は教授に言った。


「飲める要求だったら飲むつもりだった。しかし、我々がやらなくてはならないことは死体を手に入れることだ」


「そのためなら騙しても構わないと?」


「少数民族は疑うことを知らない」


 全然答えになってない。俺はニヤ族の通訳を連れて車を降りた。


「どこへ行く?」


「今の話を族長にしてきます」


 自分でも冷静さを欠いていることはわかっていた。嘘をばらしてマグ族に食い殺されることも当然頭をよぎった。でも、片棒を担いだ俺も悪い。ニヤ族のこいつは、まぁ何とか助けてもらうよう頼んでみよう。


「待て!」


 俺は教授の制止の言葉を無視して歩き出そうとした。


「おい」


 聞き慣れない声がしたので、気になって振り向いたら、例の研究室にはいなかったデカい男だった。今日初めて口を開いた。銃を手にして、銃口はこちらに向けている。


「誰だ、アンタ」


「いいから戻れ」


 マグ族に本当のことを言って食い殺されるのなら納得もいくが、さすがに犬死はしたくないので大人しく車に戻った。中に入ると、ややあって教授が声をかけてきた。


「物騒だと思ったかもしれんが、我々としても切羽詰ってるんだ。なんせ今回の話には帝女様が絡んでいる」


「教授」


 デカ男が口を挟んだ。


「あんたも余計なことは言わん方がいい」


「……失礼した」


 デカ男がどんな素性なのかは結局わからなかったのだが、大学の教授が黙るくらいなんだから、やはりそれ相応の権力を持っているのだろう。しかも教授は帝女が絡んでいると言った。


 帝女と言えば神にも等しい存在だ(人間だけど)。帝女はこの帝国の権力の頂点に君臨する人だが、類稀な美貌の持ち主でもあり、帝国内ではアイドル的な存在でもある。紙幣や切手のデザインになっているのはもちろん、町の至る所に帝女の肖像画やポスター、看板がある。


 しかしここ数年、その帝女は公の前に姿を現さない。現せないのだ、というのが専らの噂だ。若かりし頃はその美貌を帝国民に振りまいていた帝女だが、もう五十は越えてきているはずだ。美貌を保つのにも限界はある。自分の衰えた姿を帝国民の前に晒したくはないのだ、という巷説かまびすしいが、もちろんそんなことを公衆の面前で口にしたら死刑になることは間違いない。


 しかし、もしそれが事実だとすれば、衰えを自覚した帝女が長寿や若さを保つために大学の研究チームにプレッシャーをかけてきたとしても不思議はない。もちろん事の真相はよくは分からないが、その帝女が今回のことに絡んでいるという。帝女の命なら重い腰を上げもするし、金も動くはずだ。


「それに、牛十頭は間違いなく送る」


 教授は言い訳のようにそう言った。しかし、牛十頭送ったところで約束の条件は満たしていない。それに、帝女が絡んでるのなら安いもんだろう。


「おい、お前、」


 デカ男が俺に声をかけた。


「さっきの野蛮人の家の中で、目が光ってたな。お前、何か混ざってるだろ」


 族長の家に照明器具はなく、外の明かりを取り込んでいた。そのため少し薄暗かったのだが、その時に俺の目も少し光っていたのだろう。確かに俺は純粋な多数派の「帝国民」ではない。髪の色は黒く、肌は薄茶色なのだが、目だけは違う。俺の祖父はエニ族という少数民族だ。エニ族は暗闇で目が緑色に光るのが特徴で、帝国に取り込まれた最初期の少数民族の一つだ。


「お前ら野蛮人は帝女様に対して不敬だ。だから俺はお前らを帝国民だと思っていない」


 ガキの頃からこういう奴はいた。いや、こういう奴らばかりだった。十代の頃まではこういう奴には殴りかかっていたが、最近は対処法を変えた。キリがないからだ。俺はデカ男を無視した。


 車に戻ってから二時間ほど経っただろうか。もう辺りは夕暮れになっていた。族長を先頭に十人ほどのマグ族の一団が現れた。銀色の髪をオレンジ色に光らせ、こちらに向かって歩いて来る。急いで車を降りて出迎える。


 彼らは大きな板を運んできた。板の上には人が横たわっていた。提案を受け入れたのだ。俺は、断ってくれれれば良かったのに、と思った。さっきの男が俺の背中に銃口を押し付けてくる。俺は思っていることが顔に出やすい。


 族長は俺たちに遺体を引き渡す旨を話した。そして死体を引き渡す直前に、ここに来たマグ族全員が死体の胸に各々の右手を置いた。そのまましばらく動かないでいたが、族長の合図で手を離した。死体の顔を見たが、確かにまだ若い。見たとこ三十かそこらだろう。


 しかし、族長や他のマグ族を見た今、本当に若いかどうかはわからなくなってきた。ひょっとしたら彼も実は数百年の時を生きたのかもしれない。教授も同じことを思ったのか、俺に彼の歳を確認してくれ、と言ってきた。俺はニヤ族の通訳にその旨を言い、族長がそれに答えたところ、やはり彼は三十歳ということだった。懸念も解消されたところで、俺たちは準備した毛布でマグ族の遺体をくるみ、車のトランクに運び込んだ。


 族長と従者たちにお礼を述べ、車に乗り込み、いざ出発という時、甲高い叫び声が聞こえた。振り向くと、マグ族の女の子がものすごいスピードでこっちに向かって走ってくる。何を言ってるかは全くわからないが、声のトーンや表情から判断すると、どうやら怒り狂っていることは確かなようだ。


 そして地面を蹴り上げ、高く飛び上がると俺たちの車に飛びかかった。食い殺される。まだ子供ではあるが、そう思わせるに充分なバネとスピード、そして殺気だった。しかし、間一髪のところで族長や従者の人たちがその女の子を止めてくれた。女の子の身体能力も高いが、大人の男たちは更に高い。


 これ幸いとばかりに、食堂野郎がアクセルを思い切り踏み込んだ。車はタイヤを軋らせ、走り出した。振り向くと、女の子は族長たちを振り切り、こちらに向かって再び走り出した。デカ男が銃を女の子に向けた。


「やめろ!」


 俺はデカ男の腕にしがみついた。しかし簡単に払いのけられた上、思い切りブン殴られた。顔が折れたんじゃないかと本気で思った。デカ男は再び銃を後方へ向けるが、フルスロットルにした車はさすがに女の子を置き去りにし、もう姿は見えなかった。

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