第30話・二人だけの年末年始

 一年前に父に確認しながら作った住所録をPCで開いて、有希は年末に送る喪中はがきの準備を一階のリビングでしていた。この住所録を作った時にはまだ父はコタツの向かいに座って、一昨年の年賀状を面倒くさそうに選り分けていた。

 その父の名を喪中の挨拶文の中に加えて、広瀬信一の死亡を知らせる文章を作り、差出人を母の名で入力していると、今更ながらにじわじわと片親になったことを実感する。


 ――去年はまだ、お父さんは生きていたのに……。


 いまだに夜に布団に入って目を閉じると、闘病中の父のことを思い出して涙が止まらなくなる。不安だらけの毎日だったが、去年の今頃には父はまだ生きていたし話も出来た。


 喪中はがきをプリンターにセットすると、父と作った住所録を使って宛先面を印刷していく。インクジェットの軽快な音と共に次々に排出されてくるハガキをぼーっと見守る。


「あら、いい感じじゃない。有希がいると業者に頼まなくていいから安上がりね」


 印刷されたばかりのハガキを一枚手に取ると、母が満足そうに頷いていた。ネットで探し出してきたテンプレートを使っただけだったが、なかなか良い仕上がりだった。


「差出人はお母さんの名前で良かったよね?」

「別に、有希の名前でも良かったんだけど」


 ええーっ、と露骨に嫌な顔をする有希を母はおかしそうに笑っていた。実際のところ、成人した子なのだから母じゃなく有希の名を使っても良かったのだ。言われるまで思いつきもしなかったのは、有希がまだ親を亡くした自覚が足りないからだろうか。父に頼っていたことをそのまま母にスライドさせているだけの自分に気付き、有希はドキッとした。


 ――もっと、しっかりしなきゃ。お母さんにお父さんの役割を押し付けたらダメだ。


 母と二人だけの年越しは、喪中ということもあって普段と変わらず特別なことは何もしなかった。ただ、年越し蕎麦くらいは食べようと大晦日の夕食には蕎麦が出てきたが、おせちもお雑煮もない新年を迎えた。


 毎年、氏神様を祀る近所の神社へ初詣に出掛けていたが、さすがに今年はそれもなし。正月らしいことを何もしない年明けは、いつもより一段とつまらない。こっちは喪中なのにと不貞腐れながら見る正月番組はいつも以上に退屈だった。


 それでも、午後から雅人が新年の挨拶に来るという連絡があったので、母と猫達と一緒にコタツでお茶を飲みながら元旦の朝をテレビを見ながらぼーっと過ごしていた。


「あ、お父さんの一周忌の日が決まったって、昨日お寺から連絡があったわ。3月は土曜は全部空いてなくて日曜になりますって」


 仕出し弁当を頼むか、お店を予約するかと悩みながら、母は一周忌に呼ぶ親戚の名前と人数をルーズリーフに箇条書きし始めた。父が体調を崩してから、貴美子は娘達の為にと冠婚葬祭にまつわるバインダーを一冊用意していた。自分が死んだ時に由依と有希が困らないようにと作った、母なりの広瀬家マニュアルだ。それを見れば父の時にはどうしていたかが一目瞭然で、母の時にもそれに従えば間違いがないようにと。――所謂、エンディングノートだ。


 昼過ぎに新年の挨拶で訪れた雅人は仏間の父の遺影に手を合わせると、母に促されてダイニングテーブルで有希と並んでお茶を飲んでいた。さすがに母親だけになると互いに緊張感が薄れるのか、父の前では湯呑に手を出す余裕がなかった雅人も平然とお茶を啜っている。


 コタツでのぼせた猫達はのそのそと外に出てくると、掛け布団の上でだらしなく伸びきっていた。耳をピクピク動かして一応は警戒してはいたが、雅人とは距離を置いているから平気なのだろうか、クロとピッチに逃げる気配はない。ナッチだけはいつの間にかどこかに隠れてしまっていたが。


 当たり障りのない世間話を先にぶった切ったのは母の方だった。


「こちらの都合で長いことお待たせしてしまってるけれど、今後はどうしようって考えてはるの?」

「できたら、5月頃に籍を入れたいと思ってます」

「……5月?」


 母の問いに返ってきた、5月頃という初耳な答えに有希も一緒に首を傾げる。そんな話をこれまで雅人とした覚えはなかったし、急に出てきた5月という中途半端なスケジュール。


「なんで5月?」

「有希の誕生日があるから、覚え易いかなって」


 誕生日月に入籍する。少しロマンチックかもしれないが、前もっての打ち合わせも無く宣言されて、有希は目をぱちくりさせる。特にサプライズのつもりもなく、随分前から彼の中では決めていたことらしく、雅人は至って平然としている。それが何だかとても嬉しかった。雅人にとって有希との入籍は当たり前の決定事項なんだと。


 ただ、何の準備もないまま半年も経たない内に入籍できるものなのかと、少なからず不安にもなる。離婚歴のある雅人と、父を亡くしたばかりの有希だから、派手に挙式を上げるつもりもないから何とかなるのだろうか。


「まあ、一周忌が終わってからなら……」


 今の母は父の一周忌のことで頭がいっぱいだ。それが終わってからなら好きにしなさいと告げられる。

 両親へ雅人を初めて紹介してから、もうすぐ2年の月日が流れようとしていた。あの時にはまだ父はこの家にいた。

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