第3話・親への挨拶

 頭痛と眩暈に悩まされて寝てばかりだった父も、病院で処方して貰った薬が効いたらしく、頭痛はしなくなったと起きている時間が少しだけ戻った。ただ、やはり眩暈は辛いようで、一日の大半をコタツに入って過ごしていた。有希達が子供の頃には週末以外ほとんど顔を合わすことが無いくらいの仕事人間だった父が、いつでも家に居る光景。最初は違和感ばかりだったが、今ではそれにも随分と慣れてきた。


「寝ようと思っても、猫が順番に出入りするから全く眠れん」


 ご飯を食べたりトイレや散歩に行ったりと、三匹の猫達が部屋を出たり入ったりする度に起こされてリビングのドアの開け閉めをさせられると父は不満を漏らす。部屋の出入りだけでなく、コタツでも出たり入ったりを繰り返すから、その度に顔や足を踏みつけられて少しも熟睡できないらしい。


 実際のところ、本気で寝ていたいのなら猫の居ない寝室に籠るだろうし、文句を言いながらもそこまで嫌ではないのだろう。猫の存在は気を紛らわせてくれるのに丁度良いのかもしれない。或いは、体調の悪い時に一人きりで居るのが不安だったのかもしれない。

 いろいろと文句を言いながらも、父は朝食を食べ終えると必ずコタツに潜り込む。そして、得意げな顔で猫達に向かって言うのだ。


「朝からコタツが点いてて、嬉しいやろ?」



 雅人が挨拶に来てくれることになっていた日も、父は変わらずコタツで寝て過ごしていたらしい。ただ、本当にいつも通りだったかは、雅人を迎えに出掛けていた有希には分からない。

 母からは何も聞いてはいないが、きっと父のことだ、落ち着かずにソワソワしていただろう。


 ――お姉ちゃんの時も酷かったもんなぁ……。


 義兄が挨拶に来た時のことを思い出す。緊張のあまりに父のイラつきと八つ当たりが酷過ぎて、一週間後の約束を急遽早めて2日後に変えて貰ったくらいだった。いつもより少し寝るのが遅かっただけで、めちゃくちゃ怒られた記憶がある。


 最寄りの駅まで雅人を車で迎えに行き、二人揃って実家の玄関を緊張しながら入る。きちんと化粧をして満面の笑みで迎えてくれた母は、父の待つ仏間に有希達を案内してくれた。


 仏壇を背にして長机の前で先に座って待っていた父の正面に、有希と並んで正座すると、雅人は「有希さんとは結婚を前提にお付き合いさせていただいてます」と自己紹介を始める。

 娘の有希ですら、母が淹れてくれたお茶に手を出す気が起こらないくらい、少しばかり張り詰めた空気が流れていた。


「いつも有希さんにはいろいろと手伝っていただいて助かっています」


 有希が週末ごとにマンションに入り浸って週末婚状態になっていたことを、雅人はそう表現した。実際のところ、手伝いというよりは好き勝手に家事をやっていただけなのだが、横で聞いていた有希は「さすが営業職、口が上手いな」と感心する。


 最後まで父と雅人との間には「娘さんをください」的な定番の断りはなかった。ただ、雅人に離婚歴があることを、父はクドクドと突っ込み「離婚は女の方が負担が大きいんや」と、有希との間では決して許さないと釘を刺していた。


「まあ、好きなら仕方ない」


 一通り言いたいことを言った後、ぽつりと諦めたように言う。父の許可が下りたとばかりに、今度は母が口を開く。どこか元気のない父と、終始ニコニコとご機嫌な貴美子はまるで正反対だった。


「何にも教えてないから、何も出来ない子で申し訳ないですけどね」

「いえ、いろいろと料理も作ってくれてるんですが、いつも美味しいです」

「あら、それは良かったわ」


 母のディスりと彼氏からのお世辞に挟まれながら、有希は眉を寄せて俯く父に気付く。特に緊張はしていないように見えるが、長時間起きているのはやはり辛いのだろうか。


「お父さん?」

「ああ、大丈夫や」


 平気だと首を振った父へ、雅人も心配そうに頭を下げる。


「あの、お体の調子が良くないと伺っていたのに、急に押しかけてしまって、すみません」

「いや、薬で頭痛は無くなったから随分マシにはなったんやけど、眩暈が少しなぁ」


 年を取るとアカンなぁ、と頭を掻いて半笑いする父を、その場の全員が辛そうに見つめる。父本人には打撲による脳内出血の後遺症ということにしていたが、肺ガンによる脳腫瘍が原因だということは雅人にはとっくに伝えていた。


 仏間がしんと静まり返ってしまった時、襖の向こうから掠れた鳴き声が聞こえてきた。その特徴的な鳴き声に、有希も両親も誰が来たのかはすぐに分かった。爪を立てられたら困ると、母が慌てて立ち上がる。


「ナァー」


 白黒の鉢割れ猫が襖の間から顔を出す。そのまま仏間に入りかけたピッチは、雅人の存在に気付いて一旦は立ち止まってみたものの、特に逃げる訳でもなく平然と部屋を通過していき、途中で見慣れない鞄があるのに気付くとクンクンと匂いを嗅いでいた。そして、そのまま和室を横断してから廊下へと出ていく。

 至近距離まで近付いて来た猫のことを、雅人は硬直したまま目を丸くして見ていた。


「ごめん、うちの子達、人が来てると見に来るから」

「ピーちゃんは特にね、お客さんに愛想振りまいていく子だから」

「あいつは特にマイペース過ぎるんや」


 有希達に説明され、雅人は苦笑しながら頷いていた。まんまと猫に緊張感をぶった切られた後、雅人の仕事の話などを世間話程度してから、有希達は二人揃って実家を後にした。


「はぁ、緊張したー」


 家の前に停めていた車に乗り込んだ途端、雅人が項垂れる。交際相手の親に会う緊張に加えて、末期の癌患者を前に何を話せばいいのかと困惑しているところへ、突然の猫の乱入ときたのだ。彼の心情は計り知れない。


「ごめんね、ありがとう」

「ううん、お父さん、体調悪くても十分怖かったよ」


 元々から口数の多い人では無かったが、今日は父なりに気を使って喋ってくれてるなと有希自身は思っていた。でも、初対面の雅人から見ればかなり威圧感があったらしい。退職してから随分経ってはいるが、元警察官の職歴は伊達じゃないようだ。


「ホッとしたら、腹減ったー」

「何か食べに行く?」

「餃子食べて、ビール飲みたい」


 自分の為に頑張ってくれた雅人に心の中で感謝しながら、有希は最寄り駅から王将へと目的地を変更して車を走らせた。

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