第21話
東街に建てられた壮麗な屋敷がシルフィアの家だ。吹き抜けのエントランスに、豪奢な家具。エプロンドレスを着たお手伝いさんが屋内を行き来している。
幅広な廊下を歩くハリスは及び腰だ。本当にシルフィアはお金持ちのお嬢さんなんだなぁ、と感心させられる。ていうか嫉妬してしまう。ハリスなんていつも場末の宿屋で寝泊りしているのに、シルフィアはこんな立派な建物のなかで寝泊りしている。人間って生まれながらに平等じゃないんだと突きつけられてしまう。
客間に案内されると、革張りのソファーにどっかりと座りこんだエンダーがいた。ハリスを一瞥すると、ようと挨拶をしてくる。
「ども」
軽く会釈をする。何度か顔を合わせてるけど、やっぱり緊張する。これが伝説の勇者の貫禄ってやつか。
ドキドキが顔に出ないようにしつつ、ハリスはテーブルを挟んだ対面のソファーに腰かけた。シルフィアもハリスの隣に腰をおろす。……え? シルフィアこっちに座っちゃうの? ふつうこういう時ってお父さんの隣に座らない? まぁシルフィアがそれでいいのならいいけど。隣にいても気にならないし。特にいやでもないし。
「お父さん、もう体はいいの?」
「あぁ、知り合いの回復術師にばっちり治してもらった。呪いのほうは、やっぱネミアを殺さないと解けないみたいだがな」
元気になったアピールするために、エンダーは右腕の力こぶをふくらませてみせる。シルフィアは肩をわずかに落として、安堵の微笑を浮かべていた。
「今日のことは、二十年前にネミアを殺せなかった俺の落ち度だ。誰に責任があるのかといえば、それは俺だろうな」
町が襲撃されたのも、何名かの冒険者が死んだのも、セシリーのことも、すべて自分の責任だとエンダーは言ってくる。
シルフィアは沈痛な面持ちでうつむいた。セシリーを失ったショックはでかい。シルフィアはもう……剣を握れないかもしれない。自分が死ぬのも怖いだろうけど、それ以上に、また仲間を失うことが怖いんだ。ハリスにはそう見えた。
意気消沈した娘を目にすると、エンダーは首筋のあたりをボリボリとかいた。
「……シルフィア。俺がこれまでおまえを鍛えてきたのは、こういうときのためだったんだがな」
「こういうとき?」
どういう意味なのか、シルフィアは答えを求めるようにエンダーを見つめる。
「おまえは勇者の娘だ。生まれながらに狙われるリスクがある。二十年前に行方をくらませたギルバドスの臣下や、それに与する者たちが、いつ襲ってくるともわからない。おまえがおまえ自身と、そして周りの人間を守れるように、俺は鍛えてきたつもりだ。女にとっちゃあ好ましい環境じゃなかっただろうがな」
エンダーはシルフィアを守るために、シルフィアを強くしてきた。そのせいで嫌われることになったとしても、エンダーはシルフィアを守ることを優先した。
父親の真意を聞いたシルフィアは、わずかに視線をさまよわせてから、エンダーを見つめ返す。
「そう……だったんだ。……びっくり」
シルフィアは背負った荷物をおろすようにこわばった肩の力を抜くと、少しだけ相好を崩した。
「そうだとしたら、お父さんに感謝しないとね。お父さんが厳しくしてくれなかったら、たぶんわたしはネミアに殺されていた。だけど……やっぱりこれまでのことは不満だらけだよ」
「おまえそこは、そうだったんだ、全部わたしのために……パパ大好き、って感涙しながら抱きついてこいよ」
しねぇよ。ハリスがいる前でそんなことするわけがない。されたらされたで、めちゃくちゃ困る。
図々しいエンダーの要望を、シルフィアは微苦笑で受け流す。
ったく、とエンダーはソファーの背もたれに体重を預けて天井をあおぐと、何気ないことのように呟いてくる。
「あぁ、そうだ。俺の剣と鎧な。あれ、おまえにやるわ」
「えっ……」
シルフィアは声に出して驚く。ハリスも声こそ出さなかったが驚いた。
剣と鎧って……天虹剣エクシャリオンとあの純銀の鎧だよな? 魔王を倒した勇者の装備一式だ。それをシルフィアにまるごと授けるつもりなのか。
「あれ、お父さんの宝物なんじゃ……」
「呪いの影響で思うように体が動かねぇからな、おまえが使ったほうがいい。それに久しぶりに使ってみてよくわかった。あれはもう俺の手には余る。これからは、おまえが使ってやってくれ」
烈風の勇者と讃えられたエンダーでも、肉体の衰えは必ずくる。人間誰しも時の流れには逆らえない。それをネミアとの戦闘で痛感したんだろう。
「あの剣と鎧があれば、おまえは大切なものを守れるはずだ」
ぴくりとシルフィアの体がわずかに震えた。
もうパーティの仲間を失わせないために、エンダーは勇者の武具を娘に授けた。そのあとのことをどうするかはシルフィア次第だ。
シルフィアは、何も置かれていないテーブルの上を見つめる。考えているんだ。セシリーのことを、仲間たちのことを、守れなかった人と、守るべき人たちのことを。彼らとこれからも戦っていくのかどうか、思考の海に沈んで答えを導き出そうとしている。
やがてシルフィアは顔をあげた。無表情だ。無表情だが、碧い瞳には感情がこめられている。熱い感情が。
「……わかった。大事に使わせてもらうね」
父親から娘への継承がなされる。それと同時にシルフィアは再び剣を握ることを決意した。パーティの仲間たちと向き合うことを選んだ。
「あの……ところで、俺はなんで呼ばれたんっすか?」
あまりに放置状態がつづいたので、不安になったハリスは自ら話を切り出す。
「おっと、そうだった。忘れてたぜ」
やっぱり忘れてた。忘れられてた。この部屋には三人しかいないのに忘れられるって、ハリスは自分の気配遮断スキルの高さに感心する。自分ほど他人にスルーされる人間はいない。
「ほれ、約束どおりシルフィアと行動を共にしてくれた報酬だ」
エンダーはソファーの後ろに腕をのばして、鞘に収められた一本のダガーを取り出す。鞘から刃が抜かれると、鋭利な銀色の光がハリスの視界に差してくる。
「俺の仲間が使ってたダガーだ。名前はフウガっていう」
エンダーの仲間ということは、勇者パーティの一人だ。勇者パーティの一人が使っていた武器ということは、売れば相当な値がつく。もったいないから売らないけど。
「俺は少しの間だけシルフィアと一緒にいたただけですよ。たったそれだけで、こんな高価なものをもらってもいいんですか?」
「ん? なんだ、いらないのか?」
「いります」
そこは即答する。いらないとは言ってない。なんか横にいるシルフィアがニコニコしてるけど、気にしたら負けだ。俺は変じゃないとハリスは己に言い聞かせる。
エンダーはつまらなそうに鼻を鳴らすと、刃を鞘におさめてテーブルに置いた。
「俺もシルフィアもダガーなんてチャチな武器は使わない。そいつはうちにあっても荷物になるだけだ。だからおまえにやる」
ダガーを馬鹿にするな。ダガーは全ての盗賊の相棒であり、唯一信じられるものだ。ダガーさえあれば、人は一人でも生きていける。無理だけど。
ハリスはテーブルに手をのばして、フウガを握ってみた。重量は通常のダガーとさほど変わらない。てか軽い。一体どういう作りになっているのか気になる。なんか、柄を握る掌が汗ばんできた。勇者パーティの一人が使っていた武器だと思うと、興奮をおさえきれない。
「気に入ったみたいだね」
シルフィアは目尻を丸めてこっちを見てくる。なんでそんなうれしそうなのかはわからない。あと、あんまり至近距離で微笑まれたら気恥ずかしい。
「そうかもな」
無愛想な返事をして、フウガをベルトの右側に差した。
「さてと」
エンダーは前かがみになると、神妙な顔つきになる。勇者としての顔だ。
「シルフィア。それに……えっとハ、ハ、ハ……まぁいい。そこのおまえも聞け」
ハリスです。ぼくの名前はハリスです。と声を大にして叫びたいが、真剣な話みたいなので黙っておく。なんでこうもハリスは人に名前を覚えられないのか? きっとあんまり人と接しないからだ。うわっ、とうとう答えがわかっちゃった。
「前から準備を進めていたレイドだが、今夜決行することになった」
準備を進めていたレイドとは、ネミアを討伐するレイドのことだ。
「ずいぶん性急ですね。今日町が襲われたばかりだってのに」
「だからだよ。時間を与えれば敵の戦力はさらに増す。魔城の守りが磐石になる前に叩く。それに住民の不安は頂点に達している。一刻も早く安心させてやりてぇからな」
ついでみたいに言ったけど、最後の言葉がエンダーの本音っぽかった。
「とにかく、集った冒険者たちでデスヘイムに攻め入る。俺も参加する」
「え? でもお父さん、呪いが……」
「こんなザマでも役には立つだろ。俺が博物館でネミアを倒せなかったことが、みんなを不安にさせている原因だ。ここで俺がレイドに参加しなかったら、さらにみんなを不安にさせる。そうしたらレイドの士気も下がりまくる。せめて勇気づけるくらいはしないとな。勇者の名がすたるってもんだ」
もう若い頃の強さは取り戻せないのに……勇者も楽じゃない。年をとっても勇者は勇者として見られる。きっと勇者の称号は、死ぬまでエンダーにつきまとうだろう。それでも勇者でありつづけなきゃいけない。みんなが勇者であることを望みつづけるから。
「シルフィア。おまえは……おまえのパーティはどうするんだ?」
「えっと、それは……」
シルフィアは言いよどむ。パーティがどうするかなんて、わからない。リーダーであるセシリーを失ったばかりで、パーティそのものがどうなるのかわからないのに。
セシリーを亡くした喪失感はまだみんなのなかにある。あるというか、どれだけ時間が経っても消えない。喪失感をかかえたまま、シルフィアたちは決めなきゃいけない。
「今はまだ、なんとも……」
「そうか。だったら早く話し合え。あんまり時間はねぇぞ」
そう言い捨てると、エンダーはレイドの準備で忙しいのか、ソファーから立ちあがって足早に客間から出ていた。
ハリスには、レイドに参加するのかどうか訊いてこなかった。ほんと、自分の気配遮断スキルの高さには感心させられる。涙が出るほどに。
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