第22話
屋敷の玄関を出て、前庭を通過し、門前のところまでシルフィアは見送りにきてくれた。
ハリスは空を見上げる。もう真っ暗だ。夜になってる。レイドが開始されるまで幾ばくもない。
「どう、するべきだと思う?」
道を尋ねてくる異国人のように、シルフィアはたどたどしい口調で質問してきた。仲間のことや、レイドのことについて悩んでいる。
「ふつうそれを、パーティの仲間でもない俺に訊くか?」
「だよね……。なにやってんだろ、わたし」
頬をひくつかせてシルフィアは無理くりに笑ってみせる。そして溜息をつくと、笑うのをやめた。暗くて顔は見えにくいけど、落ちこんだっぽい。
「お父さんが勇気をわけてくれたから、わたしは剣を振れると思う。でもみんなはどうなんだろ? レイドに参加したら、死人が出るかもしれない。わたしもそうだけど、みんなだって仲間が血を流して傷ついたり、死んじゃったりするのはもう……」
見たくないし、経験したくないだろう。どんなにシルフィアが強固な意思を持っていても、みんながついてきてくれるとはかぎらない。そういうものだろうか? ろくにパーティを組んだことがないハリスにはわからない。わからないけど、シルフィアが逃げ出したいほど辛いのは、なんとなくわかった。そしてシルフィアが逃げ出すことができないことも。
「そんなふうに悩みつづけていたら、助けられるものも助けられなくなるんじゃねぇの。カイトなんて仇討ちするって息巻いてたから、放っておいたら一人でデスヘイムに突っ込んでいって殺されるかもな」
「そ、それは……」
シルフィアは涙声になる。いや、ここで泣かれても。べつにハリスはシルフィアを責めているわけじゃない。
「その、なんだ……おまえにやれることといったら、もう仲間が死なないように最善をつくすことだろ? セシリーも……おまえにパーティのこと、頼んでたっぽいし」
「セシリー……」
ぐすんと鼻をすすると、シルフィアは細い指先で目尻をぬぐった。
どうもこういうのは苦手だ。まともに人とコミュニケーションがとれないハリスに女の子をはげますとか無理だ。誰か代わってほしい。前に読んだ本のなかに、こういうとき適当に人を元気づける名言とかなかったかなぁ、と頭をひねる。
「あっ……みんな」
思考を中断して、ハリスは振り向く。
カイトとキヨミとエヴァンスが、街路を歩いて屋敷にやって来ていた。
「シル先輩!」
シルフィアを視認するなり、キヨミは小走りで駆け寄ってくる。目の前まで近づいてきて立ち止まると、ぐっと何かを堪えるような表情でシルフィアを見つめる。ついでにハリスのことも、なんでこの人ここにいんの? っていう冷たい目で一瞥した。さっさと帰るんだった。
「キヨミ……なんで」
「シル先輩のことが、心配だったので」
「わたしが……」
「はい。シル先輩も悲しいはずなのに……わたしばっかりなぐさめてもらいましたから。だから、シル先輩は大丈夫かなって」
シルフィアは口を半開きにしたまま固まっている。体の力をぬくと、頬を弛緩させてキヨミたちの心づかいに感謝した。
「ありがとう、キヨミ。キヨミやみんなが来てくれただけで、うれしいよ」
「シル先輩……」
感極まったキヨミは、シルフィアの胸にとびこむ。シルフィアもキヨミの背中に腕をまわして、やさしく頭をなでた。
キヨミに遅れて、カイトとエヴァンスも歩み寄ってくる。
「おいおい、きてみりゃ早々に女の子同士でいちゃいちゃしやがって……けしからん! 俺もまぜろ!」
「いや、それはちょっと無理っていうか……」
「キモイです。死んでください」
「キモくねぇよ! 死なねぇよ! 俺は生きる! 生きまくる! 一億年は生きてやる予定だ!」
いつものようにカイトはやかましい。あと一億年生きたら人間じゃない。
エヴァンスは眼鏡を左手で押し上げると、シルフィアと視線を交わす。
「セシリーの願いは、パーティを生かすことだった。あいつが言い残したように、俺はこれから全力でシルフィアをサポートするつもりだ」
おまえはどうする、とエヴァンスは試すような眼差しでシルフィアを見てくる。シルフィアはキヨミから離れると、胸元に拳を当てて、エヴァンスを、仲間たちを見つめる。
「みんなもう聞いてると思うけど、これからレイドが行われる。ネミアを倒すためのレイドだ」
ごくりと誰かが喉を鳴らす。三人ともシルフィアの言葉に耳を傾けていた。
「わたしはこのレイドに参加したい。でも、わたし一人じゃネミアや勇者たちは倒せない。だからみんな、どうかわたしに力をかしてほしい。みんながいてくれなきゃわたしは戦えない。パーティには、みんなが必要なんだ。誰一人欠けちゃいけない」
その誰一人には、きっとセシリーもふくまれている。セシリーはシルフィアたちにとって大切な仲間で、頼りがいのあるリーダーだった。
「んなの当たり前だろうが。全員でネミアをぶっ殺す! 俺はずっとそう言ってんだろ」
「わたしも……セシリー先輩になにもできなかったぶん、みんなのことを守りたいです」
「決まりだな」
シルフィアの決意が聞けて、カイトもキヨミもエヴァンスも満足していた。
セシリーを失ってまだ半日。心の傷は癒えていない。生々しいほどに痛んでいる。これからも癒えることなく痛みつづける。それでも進む。進まなきゃもっと痛みは増す。立ち止まれない。立ち止まらなければ、このパーティは終わりじゃない。
「ところでよ、なんでハリスンがシルフィアの家の前にいるんだ?」
ハリスン? ハリスンって誰よ? もしかしてハリスのことか? カイトはこっちを見ているから、どうやらハリスのことらしい。人にあだ名で呼ばれたことがないから、びっくりした。それにちょっとうれしかったりする。
「えっと、この前の件でお父さんが報酬を渡したいからって、それで足を運んでもらったんだ」
「ほ~ん、報酬ね。でも俺たちが来る前は二人で話しこんでたっぽいよな。あやしいぜ。まさか二人、できてんじゃねぇだろうな?」
ゲスな笑みを浮かべて、カイトが勘ぐってくる。
「それはないよ」
あっさりと否定。シルフィアあっさりと否定した。そこはほら、もっと慌てたり頬を赤く染めたりとかあってもいいと思う。ないですね。そうですか。
「カイト先輩、アホですね。シル先輩がこんないるのかいないのかもわからない死んだ目の人を相手にするはずないじゃないですか。釣り合いませんよ。シル先輩は格が違うんです。というかシル先輩に釣り合う男なんてこの世にはいません。男は誰もシル先輩にちょっかいを出すべきじゃないですね。出したらちょん切ります」
ちょん切りますってなに? なにをちょん切るの? やだ、聞きたくない。
将来シルフィアと結婚する男は大変だ。キヨミの説得だけでも難関なのに、さらに伝説の勇者である父親がひかえている。……そいつ死ぬんじゃないか? 同情する。
ふむ、とエヴァンスは顎に指をそえると、ハリスとシルフィアを交互に見てきた。
「俺たちの用件はこれで終わりだ。レイドの会議が行われる集合場所に先に行っている。シルフィアも支度がととのったら来てくれ」
「うん、わかった」
「カイト、キヨミ、いくぞ」
へいへい、とカイトは後頭部のあたりで両手を組んでエヴァンスについていく。
「それでは、シル先輩」
キヨミは折り目正しくシルフィアに頭をさげる。ちらりと横目でハリスを見たが、何も言ってこない。後ろ髪を引かれながらもエヴァンスたちを追いかけていった。
遠ざかる三人の背中を、ハリスはシルフィアと一緒に見送った。
なんか……ばかみたいだなぁと思う。
シルフィアには、落ちこんだときにちゃんと支えてくれる仲間がいる。ハリスと違って、信頼できるパーティがある。最初からハリスがいようがいまいが関係なかった。それなのに下手になぐさめようとして、ばかみたいだなぁ。
「わたし……はじめてかもしれない」
ぼそりとシルフィアが声をもらした。
「なにがだよ?」
「こんなにも誰かを憎んで、自分の意思で戦おうとするの」
これまでは周囲の期待に応えために、剣を振るってきた。でも今回は違う。シルフィアが自分で選んで、ネミアと戦おうとしている。
ずっと選択できなかったシルフィアが選択をする。それほどに、大切な仲間を奪われたことが許せないんだ。
「わたしって、セシリーのこと好きだったんだね」
そんなわかりきったことに、ようやくシルフィアは気づけたようだ。
「いいのかよ? 戦うことになったら、またみんなから期待されるぞ。おまえの親父がやられたぶん、みんなの期待は娘のおまえに寄せられる」
そしてこれから行われるレイドが成功したら、今まで以上に期待されるようになる。あいつならやってくれる、あいつがいれば大丈夫だと、みんなが希望を託すようになる。栄光にはプレッシャーがつきものだ。その重みに、シルフィアは耐えていかなきゃいけない。
「どんなに泣きわめいても、勇者の娘であることはやめられない。これからさきも、勇者の娘であることと、折り合いをつけていかなきゃいけない。それが、わたしなんだよ」
シルフィアはハリスのほうに体を向けて目をそらすことなく見つめてきた。冒険者の顔であり、勇者の娘らしい、たくましい顔だ。
「とってもイヤだし、めんどうだけどね」
でもやっぱり、ふつうの女の子の顔だった。
「俺ならイヤなことや、めんどうなことからは逃げるけどな。そういうのとは、あんまし関わりたくない」
「そうかな?」
「そうだよ」
「わたしは、そうは思わないけど……」
「は?」
「ハリスは、そうじゃないと思う」
爽やかな微笑をたずさえて、シルフィアは否定してくる。
……なにを言ってるんだか。勘違いもはなはだしい。
ハリスはシルフィアのように困難に立ち向かえる強い人間じゃない。シルフィアとは根本的に違う。違いすぎる。冒険者としても。人としても。そのことはハリスが一番よくわかっている。
かといって、こんなことで口論する気にもなれない。わかりあえないことをぐだぐだ話してても時間の無駄だ。
「……もう行くわ」
あんまり長居すれば邪魔になる。レイドに参加するのなら、シルフィアにだって準備が必要だ。心を整理する準備が。
「あっ、待って」
なんだよ、と腰をひねって振り返った。
「さっきは……その、ごめん」
「さっき?」
「えっと、まったくそういうんじゃないけど、カイトにからかわれたとき、とっさに言葉がでちゃって……それはないって言ったから……ハリス、やな気持ちになったかなって」
「……べつに、ぜんぜん気にしてねぇよ」
「ほんとに?」
気にしてない。してるわけがない。ないよな、たぶん? ないない。だって本当にシルフィアとはなんでもない。ショックを受けるとか意味わかんないし。そもそもなんでショックを受けるんだよ。なんでもないのに。好きか嫌いかでいえば、ふつうだ。ちょっと好き寄りのふつうだ。それくらいだ。完全な好きではない。
とりあえず、おう、と頷いておいた。
「そっか。よかった」
えへへへ、とシルフィアは笑ってくる。なにがよかったんだ? いや、詳しくは訊かないけどね。変な空気になっちゃいそうだから。
「それから、まだお礼言ってなかったね。博物館でのこと。スレインにナイフを投げて、守ろうとしてくれたよね?」
一歩だけ歩み寄ってくると、シルフィアはかすかに息を吸った。
「助けてくれて、ありがとう。ハリスに助けられたのは、これで二度めだね」
シルフィアはたっぷりと何かしらの感情をこめて、こっちを見つめてくる。その瞳は透きとおっていて、とてもきれいだ。
だから、そんなにじっと見つめられたら、つい目をそらしてしまう。
「……あぁしないと、あとで他の奴に文句言われるだろ」
「うん。そういうことにしておくよ」
なに、そのわたしはわかってる的なセリフ。あんまり人のことをわかったつもりにならないほうがいい。それは他人がシルフィアに期待するのと同じ行為だ。人に幻想を押しつけるのはよくない。
それにシルフィアがハリスのことをわかったつもりになっていても、ハリスにはシルフィアのことがちっともわからない。考えていることも、ハリスをどう思っているのかも。わからないことだらけだ。
だからそっちだけ一方的にわかったつもりになられても困る。
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