第19話
「一番槍はもらったぜ!」
スレインは喚声をあげると、血に飢えた狼のごとく躍り出た。握りしめた光龍剣がまばゆい輝きを発する。
「オラッ、いくぜ! ソードフラッシュ!」
猛然と右腕を振ると光龍剣から斬撃の閃光? 剣圧の輝き? よくわからないが、光の刃のようなものが放たれた。
「こなクソッが!」
エンダーは前方に駆けだすとエクシャリオンを振るう。迫りくるソードフラッシュを虹色の剣で斬り、打ち消した。
「はっ、やるじゃねぇか!」
疾風のごとく馳せるスレインはエンダーとの距離を詰めると、光龍剣で斬りかかる。負けじとエンダーもエクシャリオンで斬り返した。黄金と七色、伝説の剣同士がかち合う。清澄な音色が館内に反響する。
エンダーの体がのけぞる。たどたどしい足つきで後ずさった。さしものエンダーでも、単純な打ち合いではスレインに敵わない。
「おいおい情けねぇな。まさか年波に負けてるのか? 俺はジジイになっても若い頃とそんな大差なかったぜ」
「んだとコラッ! 誰が年寄りだ! 俺はまだまだ若けぇよ! 心はいつだって少年のままだよ! ジュブナイルだっつうの!」
すげぇな、エンダー。大先輩の勇者にもぜんぜんビビッてない。ていうか喧嘩腰だ。いや、戦闘中だからあれでいいんだろうけど。
「お、おとうさん……」
シルフィアがエンダーの身を案じる。いいおっさんが衰えを受け入れないのを恥ずかしがっているように見えなくもないが、どっちにしろ心配してるのは確かだ。
「んな顔するな。俺がこんな時代遅れの勇者なんぞに負けるわけねぇだろ。おまえは他の勇者の相手をしてりゃいい。自分の父親を信じろ」
エンダーは娘に背中を向けると、シッシッと犬でも追い払うように左手を振った。父親のすげない態度にシルフィアは苦笑して頷く。
「セシリー」
「えぇ、わたし達も戦うわよ。伝説の勇者といえども、同じ人間。力を合わせれば倒せない相手じゃないわ」
倒せない相手じゃない……本当にそうか? どんなに力を合わせても、みんなでがんばっても、倒せないのでは? そんな懸念はセシリーもシルフィアも、他の連中だって抱いている。でも、まともにとりあってなんかいられない。必ず勝てる、そうやって自分を騙さなきゃ強い敵には挑めない。冒険者なら誰だって経験のあることだ。
「カイト、矢で牽制」
「おう、任せろや!」
カイトは矢を弓弦に番える。高速で矢を放つコメットショットを使おうとした。
「させぬ」
カンナの握る純白の聖剣が輝いた。一瞬にして剣から弓へと形状を変化させる。カンナが指先で弓弦をつまびくと、光の矢が高速で射られた。
ドスッと、コメットショットを撃とうとしていたカイトの左肩に光の矢が突き刺さる。
「いでぇぇええええ!」
涙声で絶叫するとカイトは握っていた矢を取り落とす。左肩に刺さった光の矢は煙のようにフッと消えてしまった。
……とんでもない早撃ちだ。明らかにカイトよりも初動が遅れていたのに、それでもカンナの射撃のほうが早かった。そしてあの弓に変形した聖剣……と呼んでいいのかすらわからない面妖な武器。弓弦を弾いただけで、自動的に光の矢が具現化して放たれた。まるでお手軽な魔術装置だ。
「みんな落ち着いて。カイトの怪我はそんな大したことないわ」
出端をくじかれたが、セシリーはみんなに声をかけて落ち着かせる。実際カイトの怪我は致命傷というほどのものではない。
「キヨミは魔術でカイトを回復。エヴァンスも攻撃魔術の準備を」
「わかりました」「了解した」
二人の返事を聞くと、セシリーはシルフィアにも指示を出そうとする。が、予想外のことが起きた。
「カイト……あんたなにを!」
カイトが矢を放つ。味方である、キヨミにむかって。
「え……」
自分が狙われたことが信じられないキヨミは呆然としていた。矢尻がキヨミの顔面をうがつ、その寸前に斬撃が閃いた。シルフィアがキヨミの前に躍り出て、飛んできた矢を斬り落とす。
「カイト、いきなりなにをやってるんだ! いまはふざけてるばあいじゃ……」
怒気をはらんでいたシルフィアの声音がしぼんでいく。カイトを見つめる視線が困惑にゆらめいた。
カイトの表情は、虚脱しきっていた。瞳からは意識というものが抜け落ちていて、完全に正気を失っている。
「まさか……さっきの矢は」
セシリーが目尻を逆立ててカンナを睥睨する。
「うむ、さきほどの一撃にはチャームの効果がほどこしてある。この聖剣の能力じゃな。射られた者は敵味方の区別なく攻撃を繰り返すぞ」
カンナが弓の説明するやいなや、カイトは再び矢を番えて、今度はエヴァンスに狙いを定めた。
「シルフィア!」
セシリーに名を呼ばれよりも先んじて、シルフィアは動き出していた。バスタードソードでカイトの手元から放たれた矢を両断する。
「ごめん、カイト」
一言わびるとカイトのもとに接近し、左の拳で顔面を殴りつける。わりと強めの打撃音。大量の鼻血をまきちらしてカイトはぶっ倒れた。
「あ、あれ? 手加減したつもりだったけど……」
まさかこんなに鼻血が出るなんてシルフィアも思っていなかったようだ。
「動きを封じなきゃいけないから、そのくらいでちょうどいいわよ。キヨミ、あとはおねがい」
「はい。準備できてます」
キヨミは杖を振るって、パーフィケーションを発動。白光する温かな風が吹き、仰向けに倒れているカイトの瞳に意識が戻る。
「おれ……一体? てか顔痛っ! なんか唇とか切れてるし…………って、めっちゃ鼻血でてんじゃねぇかあああああああああああああああああっ!」
「えっと、さっきカイトに命中した光の矢にはチャームの効果があって、それでカイトが暴れ出したから、不可抗力で……」
申し訳なさそうに説明するシルフィアは、絶対にカイトと目をあわそうとしない。
「よくわからねぇが、俺のイケメンフェイスが血だらけになったのは、あの女のせいってことだな」
「イケメンかどうかはともかく、そういうことね。みんなもカンナの矢には注意するように」
もしもチャームにかかれば、もれなくシルフィアの鉄拳制裁がついてくる。さっきのはかなり痛そうだった。絶対に当たらないようにしようとハリスは肝に銘じる。
「注意したところでよけられればいいのじゃがな」
カンナは鼻で笑うと、弓弦を連続でつまびき、ひっきりなしに光の矢を撃ちまくってきた。
「言ってるそばから」
セシリーは前進すると、盾を構えながら右手のロングソードでストームスラッシュ。飛来してくる光の矢を斬る。一本たりとも仲間のもとには通さない。
「キヨミ、カイトの傷を回復」
こくりと頷いてキヨミは先ほど中断された魔術を改めて進める。
すると、これまで沈黙を守っていたオリックが駆け出した。巨体に似合わない身軽な動きでシルフィアに接近し、右の大剣を振り下ろす。
激しく火花が散る。シルフィアはバースタードソードで受け止めた。両腕は痙攣するように震えている。
「これが……ご先祖さまの力……」
敵の迫力にシルフィアは気圧されている。握りしめたバスタードソードは金切り声をあげて、いつ折れてもおかしくない。
「俺の子孫のようだが、その若さで大した実力だ」
オリックは賛辞をおくってきた。その平板な声からは感情が読みとれない。無愛想というか、人形のように無感情な男だ。
「――安らかな光よ、傷を癒したまえ。キュア」
キヨミがカイトに回復魔術をかける。たちまち顔や肩の傷が癒えた。
「おし、これで俺のイケメンフェイスは元どおりだぜ! くらえ、コメットショット!」
カイトはオリックに狙いをつけて高速の矢を射る。オリックはシルフィアと鍔迫り合ったまま、左の大剣で難なく飛んできた矢を弾いた。わずかにオリックの注意がそれた隙を突いて、シルフィアは前進するようにバスタードソードに力をこめる。オリックの巨体を押し返す。
「ストームスラッシュ!」
のけぞったオリックに、連続斬りをあびせる。すかさずオリックは体勢を立て直すと双剣で迎え撃つ。稲妻のごとき剣光が弾けて、二人は熾烈に斬り結んだ。
剣技、膂力、経験、全てにおいてシルフィアは劣っている。圧倒的に不利だ。それにバスタードソードがオリックの鎧に触れたところで致命傷にはならない。逆にあの巨大な双剣を一撃でもあびせられたらシルフィアは鎧ごと押しつぶされる。
「アイシルク」
エヴァンスの攻撃魔術がシルフィアを援護する。後方から十本のツララが発射された。
「ダークネス」
横殴りに走るツララの進行をはばむように、黒い球体が発生して爆破が起きる。ツララは一本も残ることなく粉砕された。エヴァンスが歯噛みすると、ネミアは会心の笑みを浮かべる。
ハリスは胸に左手を当てて、肩を上下させる。そろそろ自分もなにかすべきだ。なんもしなかったら後で文句言われそうだし。なので気配を殺して戦場を駆けた。
左手でナイフを抜きとると、ネミアに向かって飛影を使おうとする。が、威嚇するように光の矢が飛んできた。慌てて床を蹴り、横に跳んでかわす。風切り音が左耳を通過した。
あ、あぶねぇ。一秒でも動くのが遅れてたら、やられていた。ハリスがチャームにかかっても、キヨミは助けてくれなさそうだからホントあぶない。
「すばしっこいのう」
カンナは憮然として唇をとがらせる。
ハリスとしてはもっと空気扱いしてほしい。いつもみんなから空気として認識されているのに、どうしてこういう時にかぎって目についてしまうのか。
「――神の福音よ、高らかに響き恩恵を授けたまえ。ゴスペル」
キヨミが杖をかさずと、シルフィアの体が光につつまれる。
身体能力を強化されたシルフィアはストームスラッシュを加速させた。オリックもさらに剣速をあげて互角以上に打ち合う。ハリスが矢で援護するが、オリックはシルフィアと斬り結びつつ矢をさばいてくる。
同時にいくつもの攻撃を処理するなんて、トンでもない怪物だ。シルフィアとエンダーの先祖だけはある。
一方で、カンナも光の矢を連射してきた。セシリーは盾で防ぎ、ロングソードを振るって光の矢を打ち消す。仲間を守るだけでも手一杯のはずなのに、機を見ては指示をとばしている。大したリーダーだ。
そしてスレインは、猛然と光龍剣をエンダーに叩き込んでいる。乱暴さと流麗さを兼ね備えた剣技は、達人のみが到れる境地だ。守勢にまわっているエンダーはかろうじて防いでいるが、何発か純銀の鎧にかすっている。そのたびに顔の皺がゆがむ。鎧を通して肉体にダメージが蓄積されている。次第にエンダーの動きが鈍っていく。
「おいおい、動きがとろくなってんぞ!」
強烈な一撃。スレインは光龍剣を輝かせると、ゼロ距離からソードフラッシュを放った。
エンダーはエクシャリオンで受けるも、もろに光の刃をあびせられる。後方に吹っ飛ばされて地面に体を打ちつけた。
「ぐっ……っ」
エンダーの呼吸は断線している。鎧の隙間からは白煙がもれていた。
「んだよ、もっと楽しめるかと期待していたが、がっかりだぜ。時代遅れの勇者にやられるようじゃあ、現代の勇者も高が知れてるな」
スレインはかぶりを振るうと、光龍剣の切っ先をエンダーに向けて歩み寄っていく。息の根を止めるつもりだ。
「お父さん!」
父親の窮地を知ると、シルフィアの馬力がさらに増す。左右から挟み撃ちにするように迫ってくる大剣を、ほぼ同時に高速のストームスラッシュで弾き返した。
「ほう……」
無表情だったオリックが、はじめて感情のようなものを表す。双剣を交差させると、シルフィアを叩き潰す勢いで振り下ろしてくる。落下する双剣をシルフィアはスカイスラストで斬り上げて押しとどめる。衝突の瞬間、バスタードソードが慟哭をあげた。剣身の限界が間近まで迫っている。
あのばか、ムキになって力んでやがる。父親が殺されそうだからしかたないが、放っておくわけにはいかない。
スレインを単独で止めるのは、ハリスには無理だ。なのでシルフィアと鎬を削っているオリックに忍び寄る。
一歩目を踏み出すと、光の矢が飛来してきた。反射的にダガーを振るう。光の矢を打ち消す。や、やばかった……。完全に油断していた。シルフィアも焦っているが、ハリスも焦っている。
「ふむ。なかなかよい目をしておるな」
カンナが褒めてくれるが、今はそんなにうれしくない。いや、ちょびっとだけうれしいけど。
お返しとばかりに、ハリスは左手に握りっぱなしになっていたナイフを今度こそカンナに投擲する。カンナは握った弓矢を輝かせると、再び剣へと形状を戻した。聖剣を振るって、投擲したナイフを弾く。
その隙にハリスはオリックのもとへ疾走する。逆手に握ったダガーを構えて背後にまわりこみ、蛇閃で奇襲をしかける。だが、オリックは器用に上体をひねると、右手の大剣で背後にいるハリスを叩き落そうとしてきた。
「っ!」
ハリスは奇襲を中断し、後方に跳びさがる。恐い。めっちゃ恐い。なにが恐いかって剣に殺意がないのが恐い。オリックは誰かを殺傷することに何の感情も抱いてなかった。
奇襲には失敗したが、片方の大剣を振らせることはできた。シルフィアの負担は減ったはずだ。馬力の増した今のシルフィアなら、片方の大剣くらい押し返せる。
「ハアアッ!」
全身を躍動させるようにシルフィアがバスタードソードを真上に振り抜くと、オリックはのけぞった。そこにゲイルアタックを叩き込む。オリックは左の大剣で防いだが、剣圧に耐えきれず後退させられる。
オリックとの距離がひらいた。シルフィアは一目散にスレインのもとへダッシュする。
「はっ、そうこなくっちゃな!」
スレインは光龍剣で空を薙ぎ、シルフィアにむかってソードフラッシュを飛ばす。
疾走するシルフィアは呼吸を止め、顎を噛みしめてバスタードソードを振るう。ソードフラッシュを叩き斬った。
ひゅう、とスレインは口笛を吹く。足先をシルフィアのほうに向けて突進する。間合いを詰め、強烈な刺突を繰り出す。
シルフィアはバスタードソードで防御する。光龍剣の先端が触れると、バスタードソードの刃が砕けて折れた。
シルフィアはおののくが、顔面を串刺しにされる前に半身をずらす。光龍剣の刃先が肩当てを砕き、シルフィアの左肩をかすめて肉をえぐり、鮮血をしぶかせた。
「づっ……」
痛々しいうめき声がもれる。シルフィアは血の流れる左肩をだらりと下げて、スレインを睨みつけた。
「見込みはあるが、まだまだ未熟だな。最新の勇者には程遠いぜ」
光龍剣を縦に一振りし、ソードフラッシュ。シルフィアは折れたバスターソードを構えたが、そんなものでは防ぐことはできず真正面から光の刃に呑み込まれる。
ボロ雑巾のように吹き飛ばされた。装着した板金の鎧は焦げて、火傷を負った体からは白煙があがる。
満身創痍だ。もう戦える状態じゃない。綺麗な顔も疲労でやつれている。なのに、それでもシルフィアは立ちあがる。よろめきながらも、意地を張るように立ってみせた。
なんでだよ。なんでおまえはそこまでして、がんばろうとするんだよ。きついなら、倒れてしまえばいい。辛いなら、あきらめればいい。勇者の娘だからと他人に期待されるのがいやなんだろ? だったら、もうがんばらなきゃいいのに……。
ハリスなら絶対あきらめてる。あんなボロボロになってまで立ちあがろうとはしない。グチグチ文句を言いながら、敗北を認めている。でも彼女はハリスとは違う。彼女は目の前のことから目をそむけない。立ち向かっていく。そういう人間だ。
それがシルフィア・アレインという少女だ。
「いっちょまえに根性だけはあるみてぇだな。だが、こいつで終いだ」
スレインが踏み出す。光龍剣がシルフィアに向かって突き出される。
「シル先輩っ!」
キヨミが叫んだ。しかし間にあわない。手遅れだ。
無慈悲にも、黄金の剣は鎧を貫通して、胸部に突き刺さった。
「ちっ……仕留め損ねたか」
がはっ、とセシリーが吐血する。
光龍剣につらぬかれる寸前、シルフィアはセシリーに体当たりされて押し飛ばされた。
尻もちをついたシルフィアは唖然として、自分の身代わりになったセシリーを見上げる。
「このぉ……」
セシリーは右手のロングソードを渾身の力を込めて振るう。
「おっと、あぶねぇ」
光龍剣を引き抜くと、スレインは後ろに跳びすさる。
「っ……」
胸から刃が抜けると、セシリーは握りしめたロングソードと盾を落とした。支えを失ったように足元からくずおれる。
「セシリー……なんで……」
シルフィアは声をわななかせて、倒れたセシリーのもとに歩み寄る。
「なんでって……そりゃあ……こうするのが、パーティが生きながらえるのに最善だと……判断したからよ……」
いつもどおり、リーダーとしての行動をとったまでだと、セシリーは途切れ途切れの言葉をつないだ。
「キヨミ、早く回復を!」
「は、はい」
エヴァンスが催促すると、キヨミは慌ててセシリーの傷を癒そうとする。
風切り音。カンナが光の矢を射た。魔術の準備にとりかかっていたキヨミはハッとなる。よけようとしたが、遅い。光の矢は心臓のやや下あたりに命中する。
たちまちキヨミの瞳が茫漠となり、意識がはがれ落ちる。握りしめた杖で、傍らにいるエヴァンスに殴りかかった。
「チャーム。こんなときに……」
「キヨミン……くそっ。しっかりしやがれ!」
カイトは背後からキヨミを羽交いじめにする。振りほどこうとキヨミは暴れるが、腕力ではカイトに敵わない。
「この場にいる者で、キヨミ以外は誰もセシリーを癒すことはできない……」
困惑と苦渋の入りまじった表情でエヴァンスはうなった。
「そんな、セシリー……」
目元をひくつかせて、シルフィアはセシリーを凝視する。
セシリーは苦しそうに息を荒げていた。何度も何度も呼気を吐いて、青ざめた顔で体を脈打たせている。
シルフィアたちの狼狽など意に介さず、ネミアは呪文を唱えはじめる。
「――深き呪いよ、まぶしき光を拘束せよ。カース」
ネミアの足もとから影が放たれた。ディジェネレーションよりも濃い影だ。影は鈍重に床を這っていき、倒れたエンダーの肉体にたどりつく。
「っ、テメェ……なにしやがった?」
黒いモヤにつつまれたエンダーは顔をもたげると、憤怒の相でネミアを睨む。
「貴様の戦闘能力を落とさせてもらった。その呪いはディジェネレーションと違い、回復術師の魔術でも払うことはできない。わたしが死なないかぎり、永遠に貴様をむしばみ続ける」
術者であるネミアを殺さねば解けない呪い。ディジェネレーションの上位魔術といったところか。
「他の冒険者はここで始末するが、ギルバドスさまの仇である貴様だけはデスヘイムに連れ帰り、たっぷりと痛めつけてやる。ただ殺すだけではわたしの気が済まないのでな。そのために呪いをかけさせてもらった。光栄に思え、その呪いは一人を呪縛すればもう別の人間には使えないのだからな」
もしもエンダーが回復したら厄介と考えての措置だ。
ネミアは嗜虐的な笑みを浮かべると、赤い舌で唇を舐める。
「スレイン。この男の娘を殺せ」
「あいよ」
かったるそうに返事をすると、スレインは凍てついた双眸でシルフィアを見やった。
「っ……ざけんなよ、クソがっ!」
エンダーは身をよじって立ちあがろうとするが、全身に受けたダメージと呪いの影響もあってか手足がいうことをきかない。
狙われたシルフィアは……まともに戦える精神状態ではない。生死の境をさまようセシリーを目の当たりにして、おびえきっている。
スレインが光龍剣をかかげた。ソードフラッシュで、セシリーもろともシルフィアを消し飛ばすつもりだ。
我知らず、ハリスは左手でナイフを抜いていた。スレインに向かって投擲する。
飛んできたナイフを、スレインは軽々と光龍剣で弾いた。血の色をした双眸がこちらを射抜いてくる。
「あんだガキ? 俺と遊びたいのか?」
心音が跳びはねる。がくがくと両足がすくんで、ちびりそうだ。ちびんないけど、とにかくビビりまくってる。
どうして手なんて出したんだ? こっそりと逃げときゃよかったのに。そうすれば命だけは助かった。だけどこれはもう助からない。柄にもなく馬鹿なことをやってしまった。ぜんぶシルフィアのせいだ。なにもかもシルフィアが悪い。
もうどうせ助からないなら最後くらい華々しく散ろうか? これまでクソみたいな人生だったし、これからも大して変わらないクソみたいな人生が待ってるだろうし。だったら死ぬときくらい格好よくありたい。スレインに向かって勇猛果敢に突撃して、あっさりと斬り殺される……ぜんぜん華々しくない。ただの犬死にだ。
「むっ、どうやら周りに大量の冒険者が集まってきているようだな。東街の陽動が効果を失ったか……」
ネミアは両目を細めると天井をあおいで、嘆息する。
「あの男には呪いをかけた、それでよしとしよう。おまえたち、撤退するぞ」
ネミアがローブをひるがえして背を向ける。すると轟音が響き、博物館の壁が外側から破壊された。穴の外からスカルドラゴンが顔を覗かせる。セシリーたちが倒したのとは別のスカルドラゴンだ。
ネミアと三人の勇者たちは穴に向かって歩いていく。誰も引き止めはしない。止められないからだ。止めようものなら殺される。ハリスたちは運よく見逃してもらえた。
オリックは、去り際にシルフィアを一瞥すると何も言わずに歩いていく。
「ふむ、これでようやく休めるの」
カンナはあくびをもらしながら去っていった。
「続きは次の機会におあずけだ。楽しみにしてんぜ」
スレインは好戦的な笑みをシルフィアに向ける。ハリスのことはまったく眼中にない。
「せいぜい呪いに苦しむがよい」
ネミアは怨嗟の言葉をエンダーに吐いてきた。
そして体勢を低くしたスカルドラゴンの背中に、ネミアと三人の勇者たちは搭乗する。腐りきった両翼をひろげると、スカルドラゴンは飛翔して空の彼方に消えていった。行き先は根城であるデスヘイムだ。
ひとまず敵の脅威は去った。それでも人心地をつくことはできない。依然としてチャームにかかったキヨミは暴れまわっている。そのキヨミをカイトはやるせなさそうに押さえつけていた。
そして……セシリーの呼吸は風前の灯だ。
エヴァンスは重大な覚悟を決めるように長々と息を吐き出した。左手で眼鏡の位置を直すと、仰向けになったセシリーのもとに近づいていく。セシリーの体に手をかけると装着した鋼の胸当てを外した。ぐちゃりと血の糸が線を引く。セシリーの胸は、あふれでた血液によって赤黒く染まっていた。むせかえるほどの血臭にエヴァンスは唇を噛む。
「これは……傷薬ではふせげないな」
びくりと、セシリーのそばでうずくまっていたシルフィアの背中が震えた。
「……ウンディーネの涙は?」
ハリスは部外者だと自覚していたが、居合わせたからには口をはさまずにはいられなかった。
シルフィアはわずかに首を振るう。
「ウンディーネの涙は……あれ一つだけで、もう持ち合わせは……」
胸が痛くなる。もしもあのとき、ハリスが負傷してなければウンディーネの涙でセシリーの傷を癒すことができた。そんなの後悔しても無意味だとわかっているのに、自己嫌悪に苛まれる。
はたと、シルフィアはエンダーに視線を向けた。呪いをかけられたエンダーも、命の危機に瀕しているのではと気づいたからだ。
「俺はいい。体は鉛みたいに重いが、命に別状はない。いまは、セシリーの話を聞いてやれ」
シルフィアは両目に涙をためて頷いた。
「セシリー……」
眠った子供を起こすように、シルフィアはそっとささやく。
セシリーは、半分ほど閉じた瞳で見上げてきた。
「そんな顔……しないでよ……わたしが自分で決めて……やったことなんだから」
「でもセシリーは、わたしを庇って……」
「いつも、言ってるでしょ……優先すべきは……個人ではなくパーティよ……。パーティを生かすために……リーダーが犠牲になることだって、ある……」
セシリーはおかしそうに笑うと、やさしい目つきになった。
「ねぇ、シルフィア……パーティのこと……おねがいね……」
ほろりとシルフィアの頬に水滴がこぼれる。リーダーが他のメンバーにパーティをたくす……それは自身の命を諦めたときだ。
「む、無理だよ……わたしは、わたしは……セシリーみたいに、みんなを引っぱっていけない……」
シルフィアは喉をひくつかせて拒絶する。セシリーの死そのものを否定するように。
「わたしにできたんだから……シルフィアにできないわけ……ない……。あんたは……わたしなんかより……すごいんだから……自信もちなさいよ……」
消え入りそうな声で、シルフィアをはげます。これが、リーダーとしてできる最後の仕事だ。
セシリーは、ほとんど閉じた瞳をエヴァンスにむけた。
「エヴァンス……いつもわたしの味方でいてくれて……ありがとう。これからは……シルフィアを支えてあげて……」
唇を結んだまま、エヴァンスは首を縦にふるう。
「カイトは……パーティのムードメーカーで……いてくれるだけで心強かった……。キヨミは……パーティの生命線だから……これからも大切にしてあげて……」
カイトとキヨミのほうを見る余力はない。セシリーは虚空に言葉を投げかけている。
最後に、セシリーはもう一度だけ、シルフィアを見つめた。
「……ごめん、ごめんね……シルフィア……。これまで……あんたにばかり……負担かけちゃって……ごめん……」
セシリーはどうにか右腕を持ち上げようとするが、持ち上がらない。指先だけがほのかに動く。シルフィアは鼻をすすると、セシリーの右手を両手でつつみこむ。
「そんなことない。セシリーがいてくれなきゃ、とっくにわたしは死んでいた。パーティだって全滅していた。セシリーがこれまでリーダーとして支えてくれたから、わたしは生きてこられた。そのことに……やっと気づけたから」
「そう言ってもらえたら……幸せかも……」
儚げな笑みを浮かべると、セシリーの瞳の色が薄まっていく。まぶたがゆっくりと落ちていった。
「そろそろ……眠くなって、きちゃった…………」
まぶたがとじられた。
セシリーは二度と目をあけなかった。
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