第17話
博物館のなかは人の気配がなかった。がらりと静寂が横たわっている。展示物が荒らされた形跡もない。この機に乗じてお宝を盗もうという輩はいなかったようだ。みんな逃げるのに夢中なんだろう。
「どうしてネミアは博物館なんかに……」
シルフィアは歩きながら素朴な疑問を口走る。
それはハリスも考えていた。陽動を行ってまでして、博物館に何の用があるのか?
エンダーが告知してきたネミアの能力について思い返してみる。まさか……。妙な胸騒ぎがする。ひょっとしたら取り返しのつかないことが起きるかもしれない。シルフィアもそのことは直感でわかっているようだ。
「急ぐか」
「……うん」
歩調を早める。慎重に進んでなんていられない。
駆け足で館内の突き当たり、歴代の勇者たちの武器が展示されたスペースまで来る。
やはりそこにネミアはいた。引き連れていた二体のカオスナイトも一緒だ。
「とことん目障りな奴らだ。これだから人間は好きになれない」
鋭い眼光がハリスとシルフィアを射抜いてくる。
「そんなに人間が嫌いかよ。ま、俺もあんまり好きじゃねぇけどな」
「ハリス……」
シルフィアは哀れむような眼差しを向けてくる。
そういう目はやめてね。胸が苦しくなるから。
「人間どもはギルバドスさまを殺めた。ギルバドスさまは身寄りのないわたしを拾い育ててくださった恩義ある主君だ……それを貴様たちは奪った。主君だけではない、同胞である魔族たちさえも手にかけた」
紫色の杖を握ったネミアの手が震える。慕っていた魔王への忠誠心。仲間たちへの友愛。それらの強い想いが人間への憎悪に反転して、ネミアの胸中でうずまいている。
「特にあの男……ギルバドスさまにトドメを刺した勇者エンダーだけは許さぬ」
「お父さんを……」
「ふっ。顔立ちが似ていると思ったら、やはり貴様はあの男の血縁だったか」
ネミアは口角を曲げて、邪悪な笑みをたたえた。
「あの男だけは我が死者の軍勢に加えはしない。アンデッドになってもあの男の顔を目にするだけで反吐が出る。……だが、娘の貴様をアンデッドに変えてあの男と戦わせてみるのは、さぞ愉快だろうな」
「わたしは、おまえの人形にはならない」
ドス黒い殺気に当てられてもシルフィアは臆することなく、背中のバスタードソードを抜いた。精悍な表情はとっくに戦闘モードに入っている。
「ふん、奴らを殺せ」
ネミアが杖をかざすと、二体のカオスナイトが駆け出した。
片方のカオスナイトが大剣を振りかぶってシルフィアに斬りかかる。シルフィアは真正面から迎え撃ち、バスタードソードで斬撃を受け止めた。
もう片方のカオスナイトはハリスに踊りかかり、大剣を振り下ろしてくる。まともに打ち合っては分が悪い。カオスナイトはダークアベンジャーほどの敏捷性はないため、身をそらすことで斬撃よけることができた。でも楽観はできない。カオスナイトの攻撃力は凄まじい。大剣がかすっただけで重傷だ。
そもそもこの一対一という状況からして悪い。正面から戦うのは盗賊の領分ではないし、ハリスのダガーでは、全身を鎧で固めたカオスナイトにダメージを与えられない。シルフィアがもう片方のカオスナイトを倒して、こっちのカオスナイトの相手をしてくれるまで粘る必要がある。つまりは逃げの一手だ。矢継ぎ早に振るわれる斬撃をよけて、よけて、よけまくる。
「――望まれぬ闇よ、彼の者を高きところから引きずりおろせ。ディジェネレーション」
ネミアが詠唱を口ずさむと、その足もとから真っ黒な影のようなものが出てくる。影は床を這っていき、シルフィアのほうに迫っていった。
「くっ……」
シルフィアはどうにかよけようとするが、カオスナイトと鍔迫り合ったままでは身動きがとれない。床を走る影はシルフィアのもとまでたどりつき、全身を闇でつつみこんだ。
「っ、体が……重い……」
シルフィアは苦しそうにうめく。ネミアの発動した魔術は、対象のステータスを低下させるもののようだ。
鍔迫り合うカオスナイトは踏み込んできて、力任せにシルフィアを突きとばす。シルフィアの体勢が崩れる。カオスナイトは間髪いれずに斬撃の猛威を叩き込んでくる。
バスタードソードで必死に防ごうとするが、明らかにシルフィアの動きは鈍くなってる。かろうじて何発かはバスタードソードではねかえすが、大剣が鎧にかすったりして傷がつけられる。まずい。シルフィアが押されている。
ハリスもシルフィアにばかり気をとられちゃいられない。目前のカオスナイトは縦斬り、横斬り、突きと様々なパターンで攻めてくる。
バックステップで一旦距離をとった。敵はシルフィアのほうには加勢せず、あくまでハリスを殺そうと追いかけてくる。それが確認できればいい。ハリスは敵を撹乱するためにスペース内を走りまわる。左手で投擲用のナイフを一本抜いた。
こんなちっぽけなナイフではカオスナイトに通じない。だが、ネミアにならダメージを与えられる。ネミアが負傷すればカオスナイトの動きも停止する。デスヘイムでそのことは実証済みだ。
次の魔術を準備するネミアに狙いを定めて飛影。ナイフを投げた。
キンという空しい音。ハリスを追いかけるカオスナイトが大剣を振るい、ナイフを打ち落とす。届かなかった。そうやすやすと取らせてはくれない。
ネミアは勝ち誇るように破顔すると、呪文を唱える。
「――常しえの暗黒よ、万物の光を食らいつくせ。ダークネス」
やばい、と思うが早いかハリスは横に跳ぶ。一瞬前までハリスが立っていた場所に黒い球体が発生して、弾けとんだ。爆音が炸裂すると絨毯や調度品が吹き飛ばされる。
……あぶなかった。反応が遅れていたら爆破に巻き込まれていた。いや、まだ危機は去っていない。走りよってきたカオスナイトが大剣で追撃してくる。
咄嗟にダガーを抜いて防ぐ。骨が折れたんじゃねぇのっていうくらいの激痛が右腕に流れ込んできた。両足の踏ん張りが利かずにふっとばされる。床を転がり、数秒ほど頭が真っ白になった。右腕は……痛いけど無事だ。骨も折れていない。
よろめきながら立ちあがる。ダガーを構えなおす。
甲高い金属音が聞こえた。視線を転じる。カオスナイトの猛攻をさばいてたシルフィアが、手元からバスタードソードを弾きとばされていた。カオスナイトは大剣を振りあげてトドメを刺そうとする。
徒手空拳となったシルフィアは歯噛みしながら敵を睨みつける。
「これで終わりだ」
ネミアが氷のような冷たい声を発した。
あぁもう、めんどうかけやがって。反射的にハリスはシルフィアのもとに駆けよろうとする。そのとき、ヒュッと風切り音。一本の矢が宙を馳せて、大剣をかかげていたカオスナイトの右腕に直撃する。
手甲を装着しているカオスナイトにダメージはない。しかし矢が当たった衝撃で大剣の軌道がわずかにずれた。
金色の髪がなびく。シルフィアは迅速に動き、斬撃をかわした。
「おっしゃあ! 決まったぜ、俺様のコメットショットがよ! シルフィア、この恩を一生忘れんじゃねぇぞ! 生きているかぎり俺様を崇めつづけろ!」
ハリスよりも後方、展示スペースにやってきたカイトがガッツポーズを取っている。現れるなり、すごい恩着せがましい。
「――凍てつく刃よ、敵をつらぬけ。アイシクル」
カイトの隣にいるエヴァンスがロッドをかざして、十本のツララを発射した。飛来するツララはハリスと相対していたカオスナイトの鎧を貫通し、顔や胸、腕や足など全身を串刺しにする。
ぐらりとカオスナイトは傾くが、それでもハリスを殺さんと大剣を振るってきた。
地面を蹴った。ハリスは持ち前の素早さで斬撃をよけると、カオスナイトの背後にまわりこんで蛇閃。兜と鎧のわずかな隙間、首元のあたりにダガーを滑り込ませて突き刺す。
ダガーを引き抜くと、カオスナイトは前のめりに倒れていった。もう動く気配はない。
「シルフィア!」
セシリーが鬼気迫る相貌で疾走してくる。一直線に室内を駆け抜けると、シルフィアのそばにいるカオスナイトにシールドアタック。盾を構えたまま体当たりをぶちかました。カオスナイトはのけぞり、後退を強いられる。
「ふぅ、ずいぶん手こずってるみたいね」
「セシリー……それにみんな……」
登場した仲間たちに、シルフィアは呆然とする。
「外にいたスカルドラゴンは片づけてきたわ。まだアンデッドが少し残ってるみたいだけど、そっちは他の冒険者たちに任せてある」
外のことなら心配いらないと、セシリーは伝える。
シルフィアは我に返ったように真剣な表情になって頷いた。
「パーフィケーション」
カイトのやや後ろにいたキヨミが、回復魔術を発動させてシルフィアの体にまとわりついた闇を払い落とす。
「助かったよ、キヨミ。これで存分に戦える」
「シル先輩のお役に立てることが、わたしにとっては至上の喜びですから」
キヨミはにこやかに微笑むと、表情を一変させて厳しい目つきでネミアを睨んだ。
「高潔なシル先輩をあんなやましい魔術でおとしめるなんて、許せません」
ネミアは鼻を鳴らす。キヨミの威嚇を物ともしていない。
「さぁシルフィア。一緒にアイツをやっつけるわよ」
友達を遊びにさそうような楽しげな表情で、セシリーは言ってきた。
一緒に……その言葉には、特別な意味がこめられている。
シルフィアはほんのちょっと照れくさそうに微笑んでから頷いた。また、みんなと肩を並べて歩いていくために、一緒に戦う。
カオスナイトは大剣を構えなおすと一気に距離を詰めてくる。繰り出される斬撃を、セシリーは前に躍りでて盾で防いだ。シールドアタックを使い、突撃してきたカオスナイトを押し返す。
その隙にシルフィアは床に落ちていたバスタードソードを拾いあげる。身をひるがえすと、のけぞったカオスナイトに肉薄する。
「ストームスラッシュ!」
烈火怒涛の連続斬りを叩きつける。斬撃の嵐によって、カオスナイトの鎧がほころんでいく。
「決めるわよ、シルフィア」
「うん!」
セシリーがロングソードを構えて走りだすと、シルフィアもバスタードソードを構えた。
「ゲイルアタック!」
二人の声と呼吸が重なる。二つの斬撃がカオスナイトを鎧ごとぶった斬る。バラバラになったカオスナイトは転倒すると、そのまま微動だにしなくなった。
敵を倒すとシルフィアは肩の力をゆるめる。隣にいるセシリーを見つめて、うっすらと笑みを浮かべた。
「セシリー達がきてくれて、助かったよ」
何気ないことのように、感謝の気持ちをこぼす。それはシルフィアの本音なのだろう。心からパーティのありがたみを噛みしめている。ハリスには、一生縁のないものだ。
セシリーは肩をすくめると、奥にいるネミアにロングソードを向けた。
「これで詰みよ。もうあんたの手駒は消えたわ」
「その通りだぜ。本気を出した俺にかかればこんなもんよ。さすがは俺。えらいぞ俺。やっぱ最強だな」
「……調子に乗ってますね。ここまで自画自賛できるなんて尊敬します。悪い意味で」
「はぁ? 良い意味で尊敬しろよ! 俺は良い意味の集合体だろうが!」
「意味不明です」
「これも、いつものことだな」
「ははは……」
シルフィアは苦笑する。カイトやキヨミのやりとりを見て、嬉しいような嬉しくないような複雑な心境みたいだ。
ていうか、あれだ。なんかハリスだけすっごく場違いだ。シルフィアと愉快な仲間たちの一体感というか連帯感というか結束力みたいなのが満ち満ちている。ハリスだけ仲間はずれだ。もうこっそり帰ってしまおうか……。
「ガキどもの言うとおりぜ、おとなしく観念するこったな」
どっしりとした重みのある声が館内に響いた。
みんな面食らうと、一斉に後ろを振り返る。
「お父さん……」
よっ、とエンダーは左手をあげた。その格好は前に南門で見かけたときとは違う。身体には純銀の鎧をまとい、右手には七色に輝く剣を握っている。まさかあれは魔王ギルバドスを倒した伝説の剣……
エンダーは、二十年前の栄光ある烈風の勇者としての姿でここにやってきた。
「東街の警護に当たっていたが、むこうにはだいぶ冒険者が集まってきたからな。アンデッドの殲滅はほぼ完了した。んで、こっちの様子を見にきたら、おまえらやネミアが博物館に入っていったのを外の冒険者から聞いたってわけだ」
それで駆けつけたのか。娘の心配……ではなく、元凶であるネミアを討つためにエンダーはやってきた。勇者としての役目を果たすために。
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