第10話





 太陽が中天にさしかかると、平たい岩の上に腰をおろして昼食をとる。ハリスは皮袋から、タマゴとハムのはさまったパンを取り出すともしゃもしゃと食べた。このパン屋のパンはマジで美味い。毎日食べても飽きない。


 少し離れたところに座ったシルフィアも、チーズとトマトとレタスのはさんであるパンを手にする。小振りな唇をあけて、おもむろに食べはじめた。食事をする仕草も上品というか、育ちの良さがうかがえる。


 パンを食べ終えると、シルフィアはちらちらとハリスを見たり見なかったりしてきた。なんだよ、さっき泣かされたことを根に持ってるのか? それとも俺のこと好きなのかよ。うん、それはないね。知ってた。


「あのさ、ハリス。これ……よかったら」


 シルフィアは腰の皮袋から包み紙を抜きとって、そっとひろげてきた。なかには、こんがりと黄色く焼けたクッキーがつまっている。


「作りすぎちゃったから、おすそ分け。助けてもらったお礼もかねて」


「まぁ……くれるっていうなら、もらっておくけど」


 ただで食えるものほど美味いものはない。それにハリスは甘いものが大好きだ。大好きだが、男が甘いもの好きとか知られたら笑われそうなので、誰にもそのことは教えない。てか教える相手がいない。


 クッキーを一個つまんで、口のなかに放りこむ。ボリボリと咀嚼した。


「どうかな?」


「ふつうに美味いけど」


 いやいや、ふつうじゃないって。これかなり美味いぞ。サックサックの歯応えに、濃厚なミルクの風味が舌にひろがって鼻から抜けていく。気づいたら二個目、三個目とクッキーをつまんでいた。喉がかわくと知りながらも手がとまらない。やべぇ、超美味い!


「もしかしておまえって、菓子づくりとか得意なのか?」


「得意かどうかはわからないけど趣味なんだ。空いてる時間に作ったりしてるんだよ。お父さんには内緒だけど。前に見つかったときは、勇者の娘なら菓子じゃなくて肉を食え肉をって説教されたよ」


 いかにも男らしいエンダーが言いそうなセリフだ。


 甘いものを禁じられているなんて、シルフィアも大変な生活を送っている。甘党のハリスだったら耐えきれずに家出しているところだ。


 と、いつの間にかクッキーを完食していた。喉がかわいたので水筒に口をつけて水分を補給する。げっふ、とゲップがもれた。やだ、はしたない。


 食事を終えると、またしても沈黙がおとずれる。……気まずい。これだから他人と一緒にいるのはやなんだよ。


 もっとも、シルフィアは歩み寄ろうとしてくれてはいるみたいだ。クッキー食わせてくれたし。こっちからも、なにか話すべきだろうか? 


「なあ」


「えっ! な、なに………?」


 ビクンと両肩をちぢめて、シルフィアは身構える。ちょっと過剰反応しすぎじゃない? いきなり話しかけられて驚いただけだよね。なにこいつ馴れ馴れしく話しかけてきて気持ち悪いんだけどとか思ってないよね。後者だとしたらハリスはシルフィアを呪う。


「デスヘイムからの帰り道、もうやだって言ってたよな。あれってどういう意味だ?」


「それは……」


 シルフィアはうつむいた。もしかして触れちゃいけない話題に触れてしまったか? どうやらそうっぽい。


 何度かハリスの方を見てくると、シルフィアはぼそぼそとかすれた声をもらしてくる。


「わたしって、勇者の娘だから……どうしてもみんなから期待されちゃうんだ」


「そりゃあそうだろうな」


「うん。だから常に完璧を求められて、勇者の娘だらかっていう幻想を押しつけられる」


 それが、もういやだという言葉の意味か。あの夜もシルフィアは時間稼ぎという重荷を背負うことになった。優秀でなければ、あんな憂き目を見ることもなかっただろう。


「ときどき、わたしってなんだろうなって考えちゃうんだよね。わたしはわたしなのに、いつでもお父さんの存在がつきまとう。どんなに汗水を流して鍛錬を積んでも、勇者の娘だから強くて当たり前だって、簡単に済まされちゃう。がんばっているのはわたしなのに……わたしは、お父さんじゃないのに」


 膝の上にのせた拳を、シルフィアはきつく握りしめる。


「そんな不満なくせに、みんなの期待を裏切らないように努力はしてんだな」


「……みんなに期待されるのはプレッシャーだけど、みんなの期待を裏切るのは恐いから。矛盾してるってわかってるんだけどね」


 矛盾してるだろうか? どうなんだろ。ハリスにはわからない。シルフィアは期待を裏切れば今の居場所が失われると思っている。だから必死にあがいて強くなろうとしている。それは矛盾ではない。


「贅沢な悩みだな……俺なんか他人から期待されたことなんて一度もないぞ」


「そうなの?」


「あぁ、そうだよ。おまえと違って存在を認識されてないからな。生きてる意味も、戦ってる意味も、努力してる意味もない。ダンジョンを攻略した達成感を仲間と共有するとか、一度も経験したことねぇよ」


 だからといってシルフィアよりも自分のほうが不幸とは思わない。ハリスの苦しみはハリスだけのものだ。誰にも理解できないし、わかるなんて言わせない。


 同じようにシルフィアの苦しみもシルフィアにしか理解できない。他人が気安くわかったつもりになっちゃいけない。なによりハリスは他人の苦しみなんて余計なものは知りたくない。


 ……とりあえず、シルフィアにはその不憫な生き物を見るような目はやめてほしい。ここにいるのは同じ人間だよ?


「苦労するってわかっていたなら、そもそも冒険者にならなきゃよかったんじゃねぇか」


「そうかもね。でも、小さな頃から周りはわたしが冒険者になるって信じていたから。お父さんもそれを望んでた。みんなから失望されたくなかったんだ。結局わたしが冒険者になったのって、周囲の顔色をうかがって、その期待に応えるためだったんだ。自分から望んで選択したことじゃない」


 深々と溜息をつくと、シルフィアは遠くを見るような目をした。


「いつだってそうなんだ……。わたしは一度も、自分の意思で戦ったことがない」


 シルフィアの中身は空っぽだ。空っぽのまま、期待する誰かのために剣を振るっている。自分というものの正体すらわからないままに。


「ハリスは、どうしてパーティを組もうとしないの?」


 フッと皮肉げに鼻を鳴らす。


「違うな。俺は組もうとしないんじゃなくて、組めないんだよ。組みたくもないけどな」


「あ、ごめん……」


 いや、謝らなくていいよ。ここ謝るところじゃないよ。さらっと受け流していいよ。


 そりゃあハリスも昔はパーティを組みたいなとか考えた時期もあった。酒場でちびちびやってたら、陽気なお兄さんが声をかけてくれて話がはずみ、今度パーティを組もうってことになった。で、いざ待ち合わせ場所に行ったら夕陽がくれても相手は来なかった。すっぽかされた。後日、酒場に出向いてお兄さんに会いに行くと、まずお兄さんはハリスのことを覚えていなかった。記憶から消去されていた。そして事情を話したら話したで。


「それは酔った勢いの冗談というかノリで……なにマジにしてんの?」


 って言われたんですけど! 言われたんですけど! 


 そこで言い返すこともできずに「ですよねー」なんて愛想笑いをした自分が許せない。なにが「ですよねー」だ。アホか。


 あぁ、もぉう! 思い出しただけで腹が立ってきた! 死にたくなってきた!


 あれ以降アルコールの入った人間は信用しないことにした。ついでにしらふの人間も信じられなくなった。どうしてくれんの! もう誰も信じられねぇよ!


「ハリス……なんか、眉間の皺がすごいことになってるけど?」


「いや、ちょっとな……」


 ほんと馬鹿だった。故郷の村を出てラターシャに行けば、冒険者になれば何かが変わると本気で信じていたなんて。ダメなやつはどこに行ってもダメだ。小さい頃からあぶれ者だったハリスはこの先も一生あぶれ者だ。パーティなんて組めない。それでいいと、今は己の運命を受け入れている。


「つーか、パーティを組んだって嫌なこととかいっぱいあるしな。苦労してダンジョンにもぐったのに、戦利品の取り分に優劣がつけられるし、戦士が威張って指揮ってくるし」


「ちゃんとしたパーティなら戦利品を均等にわけてくれるよ。それに戦士はリーダーに指名されることが多いから、リーダーシップをとらなきゃいけない。別に威張ってるわけじゃないよ」


 いいや、あれは威張っている。シルフィアのパーティはそんなことないが、ハリスはこれまで多くのパーティを尾行してきたからわかる。パーティのなかには独裁的なリーダーだっている。そういうパーティのメンバーは、たいてい暗鬱とした表情になっている。つまりハリスみたいな顔だ。やだ、自虐的。


「なぁ、そろそろ休憩おわりにしてもよくないか?」


「そうだね。いつまでも休んではいられない」


 どちらからともなく立ち上がる。互いに目をそらすと、いつもの巡回ルートをたどっていった。







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