第5話





「あぁ、我が主よ。この者達の死をあなたに捧げます」


 惨劇の舞台をつくりあげたネミアは、恍惚としながら両手を天にむかってひろげていた。主というのが誰なのかはわからないが、ネミアがイカレてるのはわかる。あれは際限なく死をまきちらす悪魔だ。


 ふと、ハリスは混戦のなかでシルフィアの姿を探した。シルフィアのパーティは壁際のあたりで一塊になっている。シルフィアとセシリー、それにショートソードを握ったカイトがキヨミとエヴァンスを背にして庇いつつ、躍りかかるアンデッドを斬り伏せている。


 やはりレイドの連携がとれていない状況では、弓や魔術を使えないようだ。無闇に撃てば他の冒険者に当たってしまう。実際べつの場所ではそれが起きていた。アンデッドにもダメージを与えているが、他の冒険者にまでダメージを与えて同士討ちになっている。あれじゃだめだ。味方の数を減らすことは、生き残る可能性を減らすことと同義である。


 魔術師であるエヴァンスはどうだか知らないが、回復術師であるキヨミはアンデッドに有効な光系の魔術を習得しているはずだ。しかし、それもこの状況では功を奏さない。他の冒険者みたいに同士討ちになる可能性が高い。


「っつ……このままじゃ」


 切羽詰まったセシリーは、周囲に視線をめぐらせる。アンデッドの包囲網が自分たちを捕らえつつあることに感づいたようだ。


 セシリーは眼前のアンデッドをゲイルアタックで斬り殺すと、深く息をついた。


「これは……もうダメね」


 諦めの一言だった。すでにレイドは破綻している。もう盛り返せない。失敗だ。セシリーはすみやかに敗北を受け入れた。


 まだ生きてる冒険者たちが死に物狂いで抵抗しているため、アンデッドの数も心持ち減ってはいるが、最初に不意を突かれた際に味方が殺されすぎてしまった。


「シルフィア」


 あまたの悲鳴が木霊するなかでも、セシリーの声はよく耳に通った。


 名前を呼ばれたシルフィアは、剣を構えたまま視線だけをセシリーに向ける。


「できるだけ時間を稼いでちょうだい。その隙に、わたしはカイトとキヨミとエヴァンスを連れて逃げるわ」


 言葉の意味を理解できなかったのか、シルフィアは狐につままれたような顔になる。やがて命令の真意を察すると、下唇を噛みしめて渋面になった。


 動揺を隠せないのはシルフィアだけじゃない。カイトとキヨミも固まっていた。


「セシリー先輩。それってまさか……」


 シルフィアをおとりにして、自分たちだけ逃げのびるということだ。おいおい、マジかよ。非情だな。


 当然のように反発の声があがる。


「は、反対です! なに言ってるんですか! シル先輩をおいてくとか、意味がわかりません!」


「そうだぜ、セシリー。冗談にしちゃあタチが悪い。ボケるならもっとソフトなボケにしとけよ。つっこみにくいだろうが」


「冗談なんかじゃないわ。これはリーダーとしての決断よ。そして命令でもある。シルフィアには時間稼ぎをしてもらう。パーティを生かすためにね」


「なっ……」


 カイトとキヨミは絶句する。冷酷にもセシリーは二人に、シルフィアを見捨てろと命じてきた。そんなことできるはずないのに。


 パーティ存続のために犠牲になるシルフィアは、何も言わない。ただ唇を噛みしめている。


「俺はセシリーに賛成だ」


「エヴァンス……てめぇなに抜かしてやがる? シルフィアに死ねっていうのか?」


「パーティが全滅したら元も子もないだろ。シルフィアには悪いが、時間稼ぎをしてもらう。その間に俺たちは逃げる。これが最善だ。他にパーティが生きのびる術はない」


「なぁにが最善だ! かっこつけてんじゃねぇよ! こんなアンデッドどもなんかなぁ、無敵の俺様がいれば簡単に蹴散らせんだよ!」


「こんなときまで虚勢を張るな。不可能だ」


「不可能でもやるしかねぇんだよ! じゃなきゃ……じゃなきゃなぁ、死んじまうだろうが!」


 カイトが誰の死を嘆いてるのかは、言わずもがなだ。


「……わたしが時間稼ぎをすれば、パーティは生き残れるんだよね?」


 ぼそりと、シルフィアがセシリーに尋ねる。


「絶対とは断言できないけど、可能性は高まるわ」


「そっか……」


 シルフィアはバスタードソードの剣先を下げると、もう一度「そっか」とつぶやく。そして力なく微笑んだ。己の運命を甘受するように。


「じゃあ、しょうがないね」


 マジかよ……あいつ。ハリスには考えられない選択だ。他人のために犠牲になるとか、頭がどうかしてる。はぁふざけんなよ、おまえが犠牲になれよ、とハリスだったら抗弁している。そして一人で勝手にとんずらする。それが賢明な判断だ。シルフィアの選択は賢明でもなんでもない。


「イヤです! 反対です! 絶対ダメです! 逃げるならシル先輩も一緒に逃げればいいじゃないですか!」


「キヨミ、こんな大勢のアンデッドがいるなかを潜り抜けていくのは難しいよ。誰かがアンデッドを引きつけないと……。心配してくれて、ありがとう。わたしなら、大丈夫だから」


 うそだな。いくらシルフィアの腕が立つといっても、この数を敵にまわして大丈夫なわけがない。そんなのはキヨミもお見通しだ。


「だったら、わたしも残ります! 時間を稼ぐなら、回復魔術を使えるわたしがいたほうがいいはずです! シル先輩だけを残していくなんてできません……!」


 キヨミはつぶらな瞳をうるませる。母親から離れるのをむずがる子供みたいに駄々をこねた。


 困ったようにシルフィアはキヨミを見つめ返す。キヨミを逃がすためにシルフィアは時間を稼ごうとしているのに、そのキヨミが残ってしまっては本末転倒だ。


「ねぇ、聞いてキヨミ」


 セシリーはやさしくキヨミの名前を呼んだ。そっと肩に触れる。


 キヨミが泣きながら振り返ると……みぞおちに一発、拳をみまった。がくりと腰が折れてキヨミは気を失う。倒れてきたキヨミを、セシリーは両手で支えた。


「カイト、キヨミはあんたが運びなさい」


「えっ? あっ、えっ?」


 いきなりのことにカイトはまごつく。そんなことなど委細構わず、セシリーはキヨミをカイトに向かって突き飛ばす。慌ててカイトはキヨミを受け止めると、その小柄な体を右肩にかついだ。


「シルフィア……その、なんだ。なんて言えばいいのか……ちくしょうっ」


 自身の力不足を悔いるように、カイトは顔をうつむかせた。言葉をかけたいはずなのに、その言葉が見つけられない。


「カイトらしくないね。こういうとき、誰よりも率先して逃げそうなのに」


「はぁ? 俺が逃げるわけねぇだろ! これはあれだ、逃げるんじゃなくて戦略的撤退ってやつだよ! 決して逃げるわけじゃねぇ!」


 カイトが威勢よく吠えると、シルフィアは安心して口元をほころばせる。そんな笑みを見せられたカイトは、左手で頭をかきむしった。


「とにかく死ぬな。絶対に死ぬなよ。おまえが死んだら、あとでキヨミがうるさいからな。このバカヤロウが!」


 最後に罵声をあびせると、カイトは気まずそうに視線をきった。


「苦労をかけるな」


 エヴァンスは正面からシルフィアを見据えて、その一言だけ述べる。シルフィアは微笑で応えた。


 セシリーはシルフィアと視線を交わすと、互いに頷きあった。それだけで気持ちは十分伝わったようだ。


「カイト、エヴァンス、逃走中に他にも助けられそうな冒険者がいたら手を貸してあげて。無理そうならさっさと見捨てなさい。いい、相手がどんなに命乞いをしてきても絶対に耳をかしちゃだめよ」


 逃げる際の要点を伝えると、セシリーは最後の命令をシルフィアに発した。


「シルフィア、やってちょうだい」


 凛々しく表情を引きしめると、シルフィアは大地を蹴って、前方に躍り出た。バスタードソードを振るい、ストームスラッシュ。大挙して押し寄せるアンデッドどもを連続斬りで薙ぎ払う。腐った肉片や骨片が雨粒のようにとびちった。


「どうした? その程度じゃわたしは仕留めきれないぞ。本気でかかってこい!」


 剣を構えなおして挑発すると、アンデッドたちの足がシルフィアに向かう。群がってきたアンデッドどもをシルフィアは斬る。斬って、斬って、斬りまくる。アンデッドどもは体を斬られても攻撃してくる。さしものシルフィアも、一度に多くの攻撃はよけきれない。さばくことができない。装着した鎧がへこみ、傷がつけられる。


「よし、いまよ!」


 敵の注意がシルフィアに引きつけられて、包囲網が崩れたのを見てとると、セシリーはためらわずに広間の入り口に向かって駆け出す。続くようにエヴァンスも走った。キヨミをかついだカイトは苦い表情で二人のあとを追う。


 仲間達の姿が遠ざかっていく。振り返ることはない。それでもシルフィアは、四方から群がってくるアンデッドにひたすらバスタードソードを叩き込む。本当は「助けて」と叫びたいはずだ。そうに決まってる。その声を押し殺すように、破れかぶれに剣を振るう。







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