第二章

第8話 エルフのタニモト





「お忙しいところ済みません。タニモトといいます」

 俺が応接室へ入ると、来客の男は立ち上がってそう名乗った。タニモト。タニモトって顔かよ。

 金髪。長く尖った耳。人形みたいな整った顔。エルフ族の特徴だ。

 で、タニモト。

「え? タニモト?」

 と俺。

「はい。タニモトです」

「うそだあ?」

「シュゴル・タニモトと申します」

「偽名だよな?」

「偽名ではありません。先祖から受け継いだ由緒あるタニモトです」

 由緒あるタニモトって何だよ。と言おうとしたところで、編集長のレイモンドがわざとらしい咳払いをする。黙れって事ね。

「タニモト氏はお前をご指名だそうだ」

「俺ぇ? 指名ってなんか用?」

「『用ですか』だろ」

 レイモンドは毛だらけのグローブみたいな手で俺を殴る。

「……痛えな。客の前で殴るかね普通」

「客の前で殴らせんな――まあ座って」

 あとの方はタニモトへ向けての言葉だ。

 タニモトは礼儀正しくしたがった。

 外見上はまだ少年に見える。

 とはいえエルフ族は長命な種族で、俺らの五倍は生きる。人間と犬くらいの寿命差だ。例えば十七歳に見えたとしても、八〇から一〇〇歳くらいだったりするのだ。見たところ、タニモトもまあそんなところだろう。一〇〇は行ってないかな、って印象だ。

 それと、多分この街の人間ではない。

 見たことない素材のマントといい、ちゃんとした服といい、育ちの良さがにじみ出ている。こんなに手入れされた靴を履くヤツはこの街にはまずいない。

 方や、俺は知り合いから買ったちんちくりんの背広姿だ。昨日ダメにしたやつの代わりを慌てて用意したのだ。靴も実は左右ちぐはぐだ。


 クガネさんが茶を持ってきてくれる。

「どうも」

 エルフの美少年は、育ちの良い仕草でカップを持ち上げた。

 レイモンドも、爪と肉球をうまい具合に使って、湯飲みを冷ましている。

「笹の葉茶か」

 と俺は茶化す。

「違えよ。俺はミルクティーの方が好きだ」

 とレイモンド。湯気の当たったヒゲだけをひくひくさせている。

 変な図だ。

 精巧な人形細工みたいなエルフと、背広を着たパンダのティータイムだ。

 申し遅れたが、レイモンドはパンダなのだ。

 繰り返すがパンダだ。

 俗にいう獣人だが、コイツは顔だけとか、耳だけとか尻尾のはえただけとかじゃなく、全身毛玉、骨格から全部パンダだ。人語を話す大熊猫。

 なお『獣人』は差別用語らしいがこの町じゃ誰も気にしない。レイモンドたちも気にせず獣人を自称している。

 俺はパンダに雇われ、パンダに記事のダメ出しをされ、パンダから給料を受け取っている。その点に何の不満もない。同僚も獣人ばっかりだしな。


 タニモトもレイモンドをチラチラ気にしている。ここまで完全な獣人というのは結構珍しいのだ。

「こいつ『檸檬』って書いてレイモンドって読むんだぜ。親は何考えてんだろな」

 沈黙が嫌で、俺はそう言ってしまう。

「うるせえよ」

 とレイモンド。

 タニモトはちょっと笑う。そして一枚のボロボロの名刺を差し出した。

「これを見て、職場が分かりました。ソーマ・ペスカデロさん、貴方の力を貸して戴きたいのです」

 俺の名刺だった。

 どこで手に入れたのだろう?

 エルフに取材した覚えはない。

 それになんでボロボロ?

 タニモトは名刺の皺を丁寧に伸ばしている。

 俺は言った。

「丁寧な態度に対して申し訳ないが、いま用事が立てこんでるんだ。記事と関係ない頼み事なら今度にしてくれ」

「少し試させてもらえませんか?」

 とタニモト。

「試す?」

「すみませんが、大勢の命がかかっているかもしれないんです」

「俺さっき断ったよな?」

「試します」

 話聞かねえなコイツ。ちょっと興味が出てきた。

「で何を。なんで試すわけ?」

「『何を』は『貴方が役に立つかどうか』です。『なんで』は……そうですね。『そのファッションセンスが気に入らないから』です」

「言葉に気をつけろ。借金して買ったブランド品だぞ」

 俺も立ち上がる。ブランド品は嘘だけど。

「オイオイやめろやめろ、お前ら」

 レイモンドがうんざりした声を上げる。

 それでも俺の性格を分かっているので、すでにお茶を避難させていた。

「下がってろよレイモンド。新客相手にイキリたいのは分かるが、ここは俺に任せてそこで笹でも食っててくれ」

「まず俺やりたくねえし笹なんか食わんわ――ああもう、二人とも備品は壊すな……よ?」

 テーブルを避難させながら、パンダが目を丸くする。

 俺も同じ気持ちだった。

 タニモトの姿が消えていく。

 シールを剥がすみたいに、ペロっと空間上から見えなくなってしまったのだ。

「魔術とかそういうあれか。エルフは得意なんだってな」

 返事はない。

 俺はクツも靴下も脱いでしまう。ケンカは裸足でやるに限る。

 タニモトの姿は見えない。

 しかし、いなくなった訳じゃない。臭いや体温はわずかながら感じる。なんかの魔術で透明になっているのだろうが、俺は視覚以外の感覚も鋭敏なのだ。

 例えば、重心を片足へ移したなら、そんな些細な動きでも空間上の臭いは動いてしまうものなのだ。水中に血の一滴を垂らしたみたいに。

 俺はそれを逃さない。


 透明人間の右の回し蹴り。

 俺はそれを匂いで見た。

 左腕で受ける。

 同時に右で手刀を振るう。

 初回サービスだ。薄皮一枚斬るだけに留めてやった。


「さすがですね」

 やっぱりシールをめくったみたいに、タニモトが現れる。俺の狙ったとおり、マントが袈裟懸けに裂けている。どうやらこのマントに透明化の秘密があったらしい。

「結構頑丈なんですけどね。このマント」

「続けるかい?」

「これはモリゾン河流域にだけ生息する蜘蛛の糸を特殊な織り方で編んだものです。使用者の姿を透明にする効果がある。僕が十五年かけて術式を組んで、研究部のみんなで試行錯誤の末、完成させた。特に大変だったのは織り方と魔術式を一体化させる事で――」

「その話長くなる?」

「とにかく思い出の品です」

「そうかい。そいつは悪かったな。すっかりダメにしちまってよ。さあ続けようぜ」

「そう、駄目になってしまった……な。学生の頃は楽しかったなぁ……」

「何の話だよバカてめえ」

「仲間で協力していたし、それを眺める先生方の目も温かかった……。そんな仲間とも卒業後は……もう何年会ってないかなぁ。ミヨちゃんは結婚したというし……」

 何だこいつ。どうやら本気で落ち込み始めた様子だ。とんだ自己完結野郎だな。

 レイモンドが咎めるような目で俺を見てくる。

 俺? 俺が悪いの? なんかそんな気もしてきた。

「いや悪かったよ。斬る事なかったよな、俺も」

「皆、あっという間に歳を取ってしまう。僕だけが老いもせずフラフラと学生の様に……みんなはちゃんとした大人になってるっていうのに!」

「おい止めろバカ。哀しくなるだろ!」

「終わったら呼んでくれよ」

 レイモンドは新聞を読み始める。

「新聞読んでんじゃねえよ。何なんだよこの自己完結野郎は。スゲエ落ち込んでるしよぉ! 元気出せよ馬鹿野郎」

 レイモンドは、ミルクティーを味わってから新聞を畳み、

「それで、コイツは合格かい?」

 そうタニモトへ訊いた。

「……ええ。合格です。やはり見込んだとおりだ」

 とタニモト。

「いや、だから俺はな……」

「貴方なら、これから行う調査のガイドにうってつけです」

「おう。好きに使ってくれ。で。なんの調査だっけ」

 とレイモンド。

 俺の知らんところで話が進んでいく。


「結論から言います。【クベロンの免罪符】を持つ古代の魔術師【Q】が生きていました。彼が人類にとって脅威となり得るか、また彼の目的は何かを調査します。あ、これ渡しそびれていました、地元の銘菓『うさちゃん饅頭』です、皆さんでどうぞ」

「気に入ったー! じゃあ具体的な話に入ろうか。ソーマ、テーブル元に戻すの手伝え」

「そう……どこから話し始めましょうか――」

 いや、俺断ったじゃん。

「僕の家の話からするべきでしょうか……あ、母の写真見ます?」

「見てどうしろってんだよ。いや、俺忙しいって言ったの訊いてた? 断ったよね?」

「分かります。そこを曲げてお願いします」

「分かってないよね? お前何も分かってないよね?」

「ソーマ。タニモト氏は情報提供に来てくださったんだぞ。いいじゃねえか。『復活した古代の魔術師』スクープだぜ」

「俺は宇宙専門なの。だいたいまともな情報提供者はモリゾン河流域にだけ生息するマントで消えたり現れたりしねえ」

「ウチに来るヤツらはするんだよ」

「あ。違います。『モリゾン河流域にだけ生息する蜘蛛の糸を特殊な織り方で編んだマント』です。生地は生息していない」

「分かって言ってんだよ」

「ともかく危険を伴う調査ですので、人は選びたかったのです」

「危険な調査って言ったぞ。おいレイモンド。社員に危険が迫ってんぞ。追い出せ追い出せ」

 レイモンドは毛なみの奥でニヤニヤしている。

「ん~。俺は喜んで貰えるかと思ったんだがな? 退屈そうにしてたろ。刺激が欲しかった頃なんじゃねえのか?」

「……そんなことはねえよ」

「そうか? ケンカが始まった時のお前は楽しそうに見えたぜ? 朝のカンフー体操じゃ退屈で仕方がねえよなあ?」

「人を狂犬みたいにお前……バカな事言っちゃいかんよ」

 というイキったヤンキーみたいな会話を続けたくないあまり、俺はタニモトへ「そもそも何の話なんだよ」と聞いてしまう。ここまでがレイモンドの作戦だったのかもしれない。

「どうぞ。Qってヤツのことを詳しく聞かせてほしいな」

 策士的満足を漂わせながら、レイモンドは新しい茶を持って来てくれるよう、クガネさんに頼んだ。


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