第39話 シリウス、獣となる


 ミノタウロスもシリウスの変貌に気がついたのか。目を細めるとその一挙一動を逃さんと集中力を高める。やはり、オーガとは違った知性を有している。


 警戒心を強めたミノタウロスは、だが次の瞬間にはシリウスの姿を見失った。


「──!」


 忽然と姿を消したシリウスが次に現れたのはミノタウロスの背後。その無防備な背中に刃を振るい、鮮血が舞い散る。


 焼けるような痛みに、ミノタウロスは振り向き様に大鉈を薙ぎ払うが、そこには既にシリウスの姿はない。目を見開くミノタウロスであったが、足元に新たな影が生じている事に気が付く。咄嗟に後ろ斜め上を向けば、シリウスが大剣を振り下ろす最中であった。


 ──ゴガンッ!


 刃が届く寸前で大鉈を構えるのが間に合う。しかし二つの刃が衝突するとそれまで以上に強烈な衝突音が室内に轟く。あまりの衝撃に、ミノタウロスの足元が僅かに陥没するほど。


 しかも、体重が強く乗っているとはいえシリウスが剣を持つのは右腕一本である。つい先ほどまでであればシリウスの大剣を体ごと弾き飛ばせていただろうに、ミノタウロスはこれまで以上の圧力を全身に感じていた。


「ルァァッ!」


 シリウスの動きは一変した。もはや動きは人にあらず。体勢を低くし地を蹴る姿はまさしく野生の獣。すれ違いざまに振るわれる大剣にもはや技は介在していない。ただただ本能のまま、力任せに振るわれる爪そのもの。


 ミノタウロスはシリウスの激変した動きについてこれず大鉈のふりが出遅れ、大剣による負傷が増えていく。圧倒的な膂力で優勢を保っていたが、今はシリウスの圧倒できな速度と力によって逆に圧倒され始めていた。


 ──シリウスはそれを感じていられる余裕はなかった。。


「フゥゥゥッ、フゥゥゥゥッッ!」


 傷だらけになったミノタウロスから離れた位置で動きを止めるシリウス。片手で剣を持ち四つん這いになるスタイルを継続しながら、その呼吸は非常に荒々しかった。


(痛い痛い痛いイタイイタイッ!)


 全身を駆け巡る激痛に耐えながら魔法の制御を継続。噛み砕かんばかりに噛み締めた奥歯に痛みを全てのせる。目や口から溢れる涙と唾液を拭っている余裕はない。集中力を切らした途端に身体強化の魔法が暴発し、肉体が内側から崩壊する。


 首輪を外し魔力出量の制限を取り払った今のシリウスは、それまでよりも強力な身体強化魔法を己に施すことができる。だがそれは己の体を顧みなくなったのと同然。こうなるのは当然の帰結である。


「ガァァァァァァッッッ!!」


 吠えながら再びミノタウロスに突貫するシリウス。二本足ではなく手も使って駆けるのは、高まり過ぎた身体能力をたった二本足で制御するのが困難になったからだ。強烈な急加速と急制動を行うのには足を一本増やすしかない。


 必然的に大剣を扱うのは右腕一本。暴走状態に近い身体強化魔法によって十分な膂力はあるものの、剣を振るうたびに、刃が相手に届く度に凄まじい反動が返ってくる。しかし、こうでもしなければ上昇し過ぎた身体能力を制御することができなかった。


 ここまで来れば、もう『技』が介入する余地はない。


 技とは人間が力を効率的に扱うための術。今のシリウスに、暴走に近しい力を制御し切ることはできなかった。今にも弾け飛びそうな器をぎりぎりで保つのが精一杯だ。


 それもいつまでも保ってはいられない。時間をかけていれば、シリウスは己の高まり過ぎたパワーに体が負けて自滅する。内側から体が崩壊するよりも早くに、目の前のモンスターを仕留め切る必要があるのは、シリウスも文字通り痛いほど理解していた。


(でも、このまま押し切ればっ!)


 ミノタウロスを圧倒できている事に違いない。ほとんどダメージを与えられなかった序盤とは違い、今は間違いなく自身の刃が骨にまで届いている感覚がある。


 ミノタウロスは大鉈を振るう膂力は凄まじく振るう速度も相応。けれども、本体の身のこなしは最低限だ。大鉈での防御は上手でも、分厚い筋肉に任せて攻撃を回避するという概念が薄いのかもしれない。


 どうにか致命傷は大鉈で防いでくるが、最大強化されたシリウスに競り勝てない。防御ごと体を揺さぶられて反撃もままならない。


 ──このままでいけば、確かにミノタウロスを打ち倒せるだろう。


 手応えの通り、シリウスの刃はモンスターの分厚い筋肉を確実に削ぎ落とし、骨を削りとっていた。この瞬間において、彼女はあらゆる面でミノタウロスを上回っていた。


 彼女は忘れていた。


 シリウスが相対しているミノタウロスは、これまで彼女が戦ってきたモンスターとは違う知性が存在する事を。激しい痛みとそれに伴う時間的な制限が、視野を狭めている事に。


 ミノタウロスに目が、殺意の他に確かな狙いを定めている事を、彼女は気がつけなかった。


 何度目かになる剣と鉈の衝突。度重なる負傷によってダメージを蓄積したミノタウロスが、衝撃を防ぎきれずに後退りよろめく。


「ルガァァァァァッッッ!!」


 晒された隙を好機と見たシリウスは瞬時にミノタウロスの背後に回ると、大上段に剣を振りかぶる。この瞬間、シリウスは内心に勝利を確信していた。


 ────ガギンッ!


 けれども、シリウスの手に返ってきたのは大鉈と打ち合っていた時と同じような硬質な感触。


「んなっ!?」


 驚愕に見開かれたシリウスの目が捉えたのは、大剣の刃がミノタウロスの側頭部から生える角によって受け止められている光景。その半ばまでは食い込みながらも断ち切るには至っていなかった。


 ミノタウロスはそのまま頭を振るい、シリウスの体を投げ飛ばす。拍子に半ばになっていた角が折れるが些細な事だ。


 空中に投げ飛ばされたシリウスとミノタウロスの目が交錯する。そこで彼女はようやく気がついた。ミノタウロスの目が真っ直ぐ己に向いており、殺気の中に冷静な知性が宿っている事に。


(まさか、狙われッ──)


 己の失態を自覚するよりも早くに、ミノタウロスが大鉈を振るった。

 

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