第40話 爺、戦慄する


 時間はまた少し遡る。


「あやつ、相当に無茶しておるな」


 狼の遠吠えを耳にしたイリヤは、それがすぐにシリウスのものであるとわかった。おそらく、首輪を外して魔力出量の制限を取り払ったのだ。


「こりゃぁ悠長に構えてもいられんか──」

「考え事か。舐めてくれる」


 地を砕く魔人の剛腕。けれども砕けた破片がイリヤの頬をわずかに掠めるのみだ。


「舐めておるわけじゃないぞ。普通にそのくらいの余地はまだあるからな」


 速度重視の身体強化で広間を駆け回りながら、魔法をつぶさに発動するシリウス。僅かばかりに呼吸が上がり汗を流していながらもその表情は追い詰められたそれとは程遠いものであった。逆に、ほとんど通用していないとはいえ攻撃を当てられ続け、自身の攻撃はスルスルと回避されていく魔人は言葉の端に苛立ちが混じっていた。


「というかじゃな、お前程度にこうして手間を掛けちまってるあたりに、むしろ儂としてはかなり苛立っておるんじゃよ」

「私を侮辱するか、魔法使い!」

「事実じゃろうが。百年級の魔人ならともかく、生まれて一年足らずのひよっこと同等とか、プライドが少し傷つくわい」


 魔人の発祥は自然の摂理とは大幅に外れている。


 そもそも同種族による真っ当な生殖によって増えるのではない。もとより、人間と同じ姿形をしているという以外は、その生まれから体の構造までがまるで違う。似たような臓器や骨格を有していたとしても構成は異なっている。


 ──魔王の先兵として魔王によって生み出された人工生命体。それが魔人なのだ。


 人間をはるかに超えた身体能力も、並外れた魔力もそのように設計されているからだ。


(儂があの迷宮の奥で目覚めたのと呼応して製造されたんじゃろうな)


 この迷宮に残された施設は、イリヤがシリウスと出会ったあの迷宮の深奥から本来復活するはずだった存在を、迎え入れるためのもの。あの迷宮の主の復活に伴い、その配下となる存在を生み出す場所だ。


 目の前で剛腕を振り回す魔人もその一つであり、広間にある装置は軍勢となるモンスターを生み出すものだ。きっと、これらの装置が起動したことで迷宮全体の魔力が増大し活性化につながったのだろう。


(そう考えると、ちょいと責任を感じちまうんじゃよな)


 迷宮の活性化もその原因たる魔人の生産も、元を正せばイリヤの転生が発端となる。ジグムから仕事を持ちかけられた時は迷惑を被った気になっていたが、その迷惑の出どころはそもそも自分自身と来るのだから妙な話だ。


「戦場に出たことのない新兵と戦っているようなもんじゃからな。必要な知識はあるんじゃろうが、そいつに経験がまるで追いついておらん。楽ではないが難しくはない」

「ほざけ!」


 時が経つごとに、魔人の感情が豊かになっていく。己以外と接することで人が情緒を成長させていくのと同じ。どれほどに強大な力を秘めていようとも、この魔人は生まれたての赤子と同然なのだ。言葉を交わすことはできても、その裏に秘められた意図を読み取る術が培われていない。


「なんつーか、弱いものイジメをしている気になってくるぞい」

「その口をいい加減に閉じろ!」


 イリヤは指を鳴らしながら剛腕の横薙ぎを飛び退き回避する。途中で地面に手をつきクルリと一回転。まるで軽業師のような見事な体捌きだ。歯を剥き出しに魔人はさらに追撃をかけようとするが。


「じゃから、こういったもんによく引っかかる」

「──っ」


 魔人が踏み込もうとした足元、地面に突然魔法陣が浮かび上がる。寸前にイリヤが手をついた場所。あの瞬間に、魔法の罠を仕掛けていたのだ。地面が鋭く隆起し魔人の体を穿つ。


「ぐぅっ!?」


 自身の踏み込みの勢いも加わり、相当の衝撃が魔人を襲い激しく後方に吹き飛ばされる。


 今の足跡魔法罠トラップも、冷静であれば魔人も見落としはしなかっただろう。しかし、戦闘の最中で悠長にイリヤと言葉を交わしていた。安い挑発に容易く煽られ、激昂し視野が狭まっていた。


(仕込みは順調じゃが……間に合うか?)


 気がかりなのはやはり先の部屋に残しておいたシリウスのこと。


 シリウスの覚悟を受けてあえて口出しはしなかったが、少しばかり早計だったかといささかの後悔が湧き上がる。


 あのミノタウロスは尋常ではない。通常のモンスターとは別個体と称しても良いほどの強さを秘めている。今のシリウスの実力では時間稼ぎをするのが精一杯だろう。


 本気で倒そうというのであれば確かに、今の彼女の実力であれば、制限を取り払った全開の身体強化魔法が必要になってくる。けれども、そうであってもシリウスの不利は否めない。


 一時は有利に立てる。けれども、あと一歩が届かない。長い年月を経て研ぎ澄まされたイリヤの経験則が告げていた。


 ただし、完全に望みが無いわけでもない。あるいはもし彼女が極限状態で化けることができれば……。と、これは流石に高望みがすぎる。


 今すぐにでもシリウスの元に助太刀に行きたい気持ちはあれど、それを理性が押しつぶす。


(ここで手順を省けばそれこそ余力がなくなる)


 いくつか無茶をすればこの場はどうとでもなる。だがそうなればミノタウロスを仕留めるための余裕をも使い切ってしまう。まさに本末転倒だ。


 どれほど未熟と口にしようが、相手が魔王の先兵たる魔人に違いはない。それをたった一人で相手にできる人間などそうはいない。かつての時代でも百に届くかどうかだ。加えて、未熟であるのはイリヤも同じだ。どれほど経験豊富であろうとも若い魔人が相手となれば、わずかな隙も見せられない。下手をすれば策ごと力任せに食い破られ引き裂かれる。


 ──ドォォォン!


 腹に響くような振動が響く。同時に、嫌な予感が強く膨れ上がった。


「おいおい、本当にシリウスあやつは大丈夫なんじゃろうな」


 思わずイリヤは己が入ってきた通路の先を見据える。残念ながら、ここからではあちらの戦いを伺うことはできない。


「追撃をしてこないとは……どれほど『俺』を愚弄するつもりだ魔法使い」


 吹き飛んだ魔人が肥大化した腕を支えにして立ち上がる。それまでよりもダメージは通ったようだがそれでも打ち倒すにはまだ程遠い。加えて、一人称が変化している。情緒の成長は著しいらしい。


「どうにも相棒が心配になっちまってな」

「……あのミノタウロスは、迷宮に出現した特殊個体を更に俺が特別に強化したモンスターだ。お前ならまだしも、あの程度の娘では相手にならんぞ」

「嫌なことを言ってくれるのぅ」


 イリヤとの会話を経て精神的な未熟が徐々に薄れていっている印象だ。元々、高性能な個体として設計されていたのだろう。これでいよいよ下手を打てなくなった。


 ──この辺りも想定の範囲内ではあるのだが。


「さて、どうしたもんか……ん」


 不意に、イリヤの背筋が震えた。


 成長を始めている目の前の魔人に恐れ慄いた──からではない。当然だ。この程度で恐怖を抱いていたら勇者の仲間なぞやっていられない。


 もう一度、イリヤは通路の先を見据える。そこから仄かに、冷たい空気が流れ込んできているのを感じた。物理的な寒気がイリヤを震わせていたのだ。


「──まさかっ」


 いよいよ、イリヤは驚愕した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る