第38話 シリウス、咆哮する
時間は僅かに遡る。
「こんのぉぉぉぉぉぉっっっ!」
付与術で強化した大剣を振り下ろすシリウス。力の籠ったその一刀は岩をも粉砕するに違いない。
だが、ミノタウロスが振るった大鉈を砕くには至らず、衝突し甲高い金属音が響き渡るのみだ。そこらのモンスターであれば防御ごと吹き飛ばすほどの威力を秘めていながらも、ミノタウロスの体は小揺るぎもしない。
戦闘が始まってからしばらくが経過していたが、シリウスはいまだにミノタウロスに有効な一撃を穿つことができていなかった。どれほど剣を振るっても、その全てはモンスターの大鉈によって迎え撃たれる。
(やっぱり、イリヤと一緒に倒したオーガとはわけが違う!)
心の中で再認識するシリウス。相対した時点で予想はついていたが、剣を交えて身をもって実感させられていた。
このミノタウロス、やたらと防御が上手い。溢れんばかりの殺気をシリウスに向けていながらも、こちらの強い一撃を堅実に大鉈で防ぐ。かと言って緩い斬撃に対しては、強靭な肉体が故に有する天然の鎧で受け止めてくる。ミノタウロスの表面にはシリウスがつけた傷が幾つかあったがほんのりと血が垂れているだけだ。どれも薄皮一枚か二枚程度の浅いものだ。
これまでシリウスが戦ってきたモンスターは、ほとんど知性がないに等しい野生の本能に任せた獣ばかりであった。だが目の前の強敵は、己の強さを理解している。どう戦えば良いかをわかって戦っている。
仮にそれらの掻い潜り深く大剣を打ち込もうと、攻撃にばかりに気をかけていると──。
ブォンッ!!
「くぁ──ぁぁぁっっ!」
打ち込んだ剣を払われ、僅かに体勢を崩したところに容赦なくミノタウロスの大鉈が振るわれる。辛うじて身をそらしてやり過ごすも舞い上がる風圧が威力を物語る。背筋に冷たいものを感じながらシリウスは距離を取った。
ミノタウロスの攻撃は基本的に力任せだ。技もへったくれもない純粋な筋力だけ。だが、吠え猛りながら繰り出される破壊の一撃が、的確にシリウスの命を奪おうとしてくる。たとえ空振りをしようとも、問答無用で命を奪う強烈な一撃は相対者の萎縮を誘うのをわかっている。己の膂力の有用性を理解していなければこうはならないだろう。
心臓が痛いほど激しく脈打つのは疲労によるものだけではない。呼吸が大きく乱れそうになるのを気を張って抑え込む。
それからシリウスはまたも打ち込み、幾度かの攻撃の末に弾き飛ばされる。戦闘が始まってから既に何度も繰り返されている光景であった。
(やっぱりちょっと大口叩きすぎたかもしんない)
今更ながら、別れ際にイリヤに向けたセリフを少しだけ後悔していた。
魔法のまの字も知らなかった頃の自分よりも強くなったという自負はある。己がまだまだ途上の道にあることも承知の上だ。けれども、このミノタウロスと戦っているとその事実をどこか軽んじていたと思い知らされる。
このモンスターは、イリヤと出会った迷宮で相対したドラゴンが、それ以上の強さを秘めている。
イリヤがいないという事実が重く伸し掛かる。見てくれは幼い少年であろうとも、言葉や立ち振る舞いの一つ一つに深い歳の功と経験を感じさせる。彼の存在は実力以上にシリウスにとっての精神的な支えであったのだと、どれほど甘えていたのかと、ここに来て強く実感させられた。
時間稼ぎだけに限ればどうにかなりそうという希望はある。最初にイリヤに言われた通りこの部屋でミノタウロスの足止めに徹していた方が無難だ。
「けど、泣き言ばっかり言ってもいられないのよ、これが」
イリヤが向かった先から、濃密な気配を感じる。気を向けただけでも尻尾が逆立つほどだ。間違いなく、己が相対している敵よりも格上だ。そんな相手とイリヤは今、戦っているのだろう。
ふと、シリウスは魔法を教わる直前にイリヤから聞かされたセリフを思い出した
──一度や二度くらいは死ぬような目に遭うかも知れん。
イリヤが想定していた状況とは異なるかもしれないが、まさしく今がその時だ。
この程度を乗り越えられなければ、自分は到底追いつけない。
自分を置いて先に行ってしまったかつての仲間も──そして『彼』にも。
「……いつまでもおんぶに抱っこじゃいられないってね」
シリウスは片手を剣の柄から離すと、己の首元に添える。指は、首に嵌められた輪の留め具を掴んだ。それは、彼女の魔力出量を抑える
「保ってちょうだいよ……私の体!」
覚悟を決めたシリウスは留め具を外し首元を開放した。
──ドクンッ!
「ゥゥゥゥウウウ……」
今まで制限されていた魔力が一気に溢れ出し、体内を駆け巡る。視界がバチバチと明滅するのは、極端に増加した魔力が血流すら早めたからだ。
シリウスの体内で既に起動していた魔法が貪欲にそれらを取り込み、使い手の負荷を無視しながら出力を上げていく。全身の骨や筋肉が悲鳴を上げているのを実感しながらも、爆発的に力が上昇していく。
ウォォォォォォォォォォォオオオッッッッ!!
体内で暴れる熱を咆哮に乗せて吐き出す。そうでもしなければ正気を失ってしまいそうなほどに、シリウスは昂っていた。
目を爛々と輝かせるシリウスは、肩に大剣を担ぎ、ゆらりと上体を低くすると手を地面に付ける。まさしく『獣』の姿を彷彿させた。
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