04 リノウの理能

 今、樹影ジュエイは、端末で着流しを消去した旨報告に挙げていた。

 二、三の操作のあと、樹影ジュエイは顔を上げた。


硝子生命体グラス・ビーイングの情報を掴んだそうだ」


 もはや樹影ジュエイは隠そうともせず、「ほら」と端末の動画を再生する。

 動画内で話している壮年の男性は、キャプションで『軍事的be military』と表示されている。


――……通信、大丈夫か? ああ、すまない。例の硝子生命体グラス・ビーイングだが、君のお……ではない、DR.Itsukiの関与が認められた。


――『科学的be scientific』、DR.Itsuki。十数年前の「事故」以来、鳴りを潜めていたと思いきや、こうして政府の首脳陣に鳴り物入りで入って……何を企んでいるのか謎だった。


――早期の段階で君がわれわれのサイドについてくれたのが奏功した。これから、『経済的be economy』や『教育的be educatable』も巻き込んで、奴を排除してくれる。


 樹影ジュエイはそこで動画を切った。益体もない政治的be politicalな演説など聞いてもつまらないだろう、と言った。


「……ま、すでにお察しのとおり」


 硝子生命体グラス・ビーイングとは、『科学的be scientific』DR.Itsukiの作った人形だった。

 樹影ジュエイは淡々と語った。

 元々、DR.Itsukiを追っていたらしい。

 かなり近いところまで行き、そこで身をひそめる必要を感じ、酒場を見つけた。

 妙に強い酒が――火酒が飲みたくなり、飲んだ。

 つい、裏口に出て、煙草を吸いたくなり――。


「ワタシと出会った」


「……仕組まれたものかもしれないがね」


 樹影ジュエイはこめかみをとんとんと叩いた。


ここに奴が……いや、というべきか」


 樹影ジュエイは、DR.Itsukiの甥だという。

 DR.Itsukiは、特許などの資産を多く持ち、出来の悪いの面倒を――具体的には金銭かねを出していた。


「代わりに」


 そう言って、DR.Itsukiはから子どもをそばに寄越すように告げた。

 DR.Itsukiは天才だったが、その研究に衰えが見え始めた時期だった。


「やはり……肉の躰は衰える。最近、とみに記憶力が落ちた」


 それは分析として語っており、悲歎にくれてはいなかった。

 なぜなら。


「DR.Itsukiは、己の研究を引き継ぐ方法を考案していたからさ」


 Dr.Itsukiは集めたの子らの中から「最適」と思われる一人を選んだ。


「それが私――樹影ジュエイさ」


 まず、記憶を消されたという。つまり、そうだったろうという、樹影ジュエイ樹影ジュエイとしての最初の記憶がである。


「次に、Dr.Itsukiの投影である、という意で樹影ジュエイと名乗らされた」


 もしかしたら、何らかのパスワード、サイファ暗号、あるいはメタファ比喩だったのかもしれない。


「Dr.Itsukiは狡猾にも――本人にはそんな意識は全くなく、己の研究継続の手段の一環としての手続きと思っていたろうが――政財界のお偉方から支持だと資金だの取り付けていた」


 少年・樹影ジュエイは、気がついたら「自分でない自分」が自分の中にいる、と気づいた。

 気づいたらすぐに、「自分でない自分」は、樹影を占領・支配した。


仮初かりそめの名を得た樹影ジュエイという存在、あるいは意識、人格の欠片は、そのまま消滅かと思われた」


 だが偶然にも樹影ジュエイは、父親が愛飲するウヰスキーのスキットルをポケットに忍ばせており、樹影ジュエイからDr.Itsukiになるつつあるは、つい――喉が渇いたのだろうか、もしくは好奇心か――それを飲んだ。


せる感覚――実際、せたが――と共に、私は、樹影ジュエイは己を取り戻した。少なくとも、肉体は」


 樹影ジュエイの父親はろくでなしの酒飲みであったが、この時ばかりはそのチェインドリンカーぶりに感謝した。

 感謝した次の瞬間、そもそも自分は何なんだ、と思った。

 樹影ジュエイ前は何だったんだと思った。


「記録はある。だがそれは記録だ。記憶ではない」


 そうこうするうちに、脳内にDr.Itsukiの声が鳴り響いた。


――まさか、アルコールとはな。やはり、生体では駄目だ。機械の要素も併せ持つ……メンテのし易さも付け加え……。


 ふらふらと。

 樹影ジュエイの肉の躰はDr.Itsukiの屋敷をさ迷い歩き――


「……目が覚めたら、燃え盛る屋敷の中を歩いていたよ」


 樹影ジュエイの「父親」の火の不始末が原因とされ、屋敷は焼失した。

 恐らくDr.Itsukiなりの「報復」だろうと樹影ジュエイは思った。

 そしてDr.Itsukiはどこに消えたのか。

 あるいは、まだ己の中に――樹影ジュエイうちに潜伏しているのか。

 気がついたら、樹影ジュエイは酒を飲み、煙草を吸い、不健康な生活を過ごすようになっていた。


「酒や煙草を、Dr.Itsukiは忌避する」


 まるで聖水か浄めの火のように、樹影ジュエイは酒と煙草を崇めた。

 この躰を守るには、この躰を不健康に保つこと。


「何とも皮肉なことではないか」


「そのおかげで守られたではないか。から」


 不意の一言。

 それまで、ずっと黙って聞いていた(と思われた)リノウから、常よりもさらに、無機質な声。台詞。


「……貴様?」


「精確には、ではない。はDr.Itsukiのサブセット――のようなモノ。お前樹影の中に封印されたサブセットを、回収しに来た」


「サブセット――『部分』か」


 つまり政府首脳『科学的be scientific』もサブセットか、と樹影ジュエイは言葉をつづけようとした。

 しかし、それまでリノウだった「リノウ」が手を錐刀すいとうのように尖らせてきた。

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