第30話 癒せない傷
ライラが想いを吐き出したことで、アルビーはあからさまに困惑していた。
不思議と残念には思わなかった。
関係性に変化を及ぼす大きな出来事に違いなかったが、ライラにとっては自分の変化のほうが大きい。
テッドの反応は決して良いものではないけれど、おかしなことにそれすらも嬉しく感じて、ふわっと笑いかけた。
──そのとき。
後ろに気配を感じて、ばっと振り返る。話すことに夢中で、気づくのが遅くなったのかもしれない。
目に留めた人物に身体を強張らせる。アルビーはライラを背に隠すように前へ出た。
「やはりこちらでしたか。聖女様は本当にこの場所がお気に召しておられるようですね。お邪魔したようで申し訳ございません」
現れたのは、テッドの腕を切りつけた魔術師──ゲルトだった。
邪魔をしていることに謝りながら、立ち去る様子はない。
わかってるなら声を掛けないで欲しかったわ。
勇気を出している途中だった。間違いなくライラの今後を左右するようなこと。
余韻と、ゲルトの登場に心臓はばくばくと鳴る。
「あなた、どうして……」
「もちろん聖女様にお会いしたかったからですよ」
早口にゲルトは言う。
「それがどうしてなのかと聞いたつもりでしたけれど」
周囲にはロイたちの姿どころか他の魔術師の姿もない。ゲルト一人のようだった。
ゲルトが一歩前に出れば、アルビーとライラは一歩下がる。じゃりと地面を滑る音がする。
「警戒されているようですね。少々悲しいですが。私はただ、もう一度聖女様のお力を見せていただきに参っただけなのです」
「もう一度……」
「ええ! もう一度。聞きましたよ? あのあと、聖女様ご自身の力で癒しの力を使われたとか。どうかそれを見せていただきたいのですよ。私の願いはそれだけです」
ゲルトは素早く懐から短剣を抜き取ると、そのまま自身の手のひらに剣先を走らせた。躊躇はなかった。
じわりと赤が滲む。
「ちょ……!」
「さあ、お願いします。さあ」
性急に手を差し出すゲルトに戸惑いながら、広がる赤色から目が離せない。
「……お見せしたら、どうされるのですか」
「ああ。もちろん見せていただけたなら! すぐに立ち去りましょう。……王子殿下もお探しでしょうから、彼の元へ」
今の状況をゲルトは知っているようだ。ロイが話を聞くためにゲルトを探していることを。
だから急いでいるのかもしれない。ロイたちに見つかればもう、一人では行動できないはず。きっとロイたちにわからないように行動しているのだ。
しかし、口ぶりからは逃げるつもりがないように感じられる。
「……本当に、ロイ殿下のところへ行くと約束してくださいますか?」
「ああ、お優しい聖女様。もちろんでございますよ」
アルビーが止めるように手首をつかんだが、ライラはやんわりとそれを外す。
「一度、見せてあげれば満足みたいだから」
ゲルトの願いを叶えてあげることに決めた。それで彼が満足し、すべてが解決するのなら、簡単なことだと思えた。
ライラは一歩踏み出す。ゲルトとの距離は歩幅分ずつ縮まっていく。
ライラもアルビーも警戒は解かない。ゲルトだけが幸せそうに口元を緩めていた。
血が垂れる手へ自身の手のひらをかざす。
ライラの手のひらが淡く光って、赤く滲む切り傷は跡形もなく治る。
────はずだった。
しばらく幸せそうな顔のまま手を差し出していたゲルトだったが、ゆっくりと首を傾げた。
「…………何も起きませんね」
ライラはそれに完全に同意した。目を丸くして頷く。
テッドの傷を治したときのように、ラディッシュを復活させたときのように、ライラは目の前の傷を治したいと願ったのだ。
それなのに、放たれる光は傷を治してくれない。
「どうして……」
「それを聞きたいのは私の方ですが」
先日使えた力は、偶然だったのかもしれない。
そう思い、ライラは先日の状況を思い浮かべた。
テッドの時はいきなりのことに本気で焦り、切りつけたゲルトに対して怒りすらあった。ラディッシュの時は自分に重ねて悲しく思い、こうあればいいという姿を強く頭に描いた。
ただ、今は。
ライラの視線を感じたのか、ゲルトは血を拭う。治らなかったことに残念そうに眉を下げつつも、これ以上は結果が見込めそうにないと判断したようであった。
「ああ、もしかして、私だからでしょうか」
「え?」
「聖女様の大切な幼馴染殿を切りつけたのですから、嫌われていても仕方のないことです。嫌われた人間には聖女様のお力の恩恵は受けられないのかもしれませんね」
心を読まれたかと動揺した。
「そんな、ことは」
ないとは言い切れない。
もしかしたら本気で治したいとは思っていないのかもしれない、とライラが思ったところだったから。
ライラの心は薄々気づかれているだろう。にもかかわらず、ゲルトは落ち着き払っていた。ゲルトは自分に対して癒しの力が行使できない可能性も視野に入れていた。
下げていた眉をぱっと上げる。残念な素振りを一切取り払い、にこやかな顔になった。
よい案を思いついたとばかりに、ゲルトはアルビーを見て笑う。
「では、彼ならいかがでしょう」
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