第8話 アルビーの正体2

 

 ライラは弾かれたようにアルビーの顔を見た。


「え! 第二、王子……?」


 目の前のアルビーは初めて会ったときと変わらず、もっさりとした頭で瞳を隠し、土にまみれている。


「……アルビー?」


 ロイ殿下は何を言っているのだろう、と混乱した頭で呼びかけた。

 アルビーは睨んでいるのか怒っているのか、見える口元はぎりりと音を立てた。


 彼が忌々しげに舌打ちをしても、ロイの態度は変わらない。


「なんだい? ちゃんと伝えておかない君が悪いんだろう? 大事なものは、大切にしなきゃ。不測の事態にも対応できるように」


 ふふ、と笑うロイはとても楽しげだ。

 フリッツからは戸惑いが感じられたものの、さすがに顔に出すことはしなかった。


「じゃあアルビー。君に免じてライラ嬢はいったん君に預けよう。自分の口で説明したらどうだい。でも、忘れないで。僕もライラ嬢とは仲良くなりたいんだよ。フリッツ、それは君もだろう?」


 促されて、すっと目を伏せるフリッツは、それを肯定する。


「畏れながら。聖女様、アルビー殿下にきちんとしたご説明をいただけなかった場合には、私がご説明いたしましょう。何でもお答えいたしますよ」


 いつも通りの柔和な笑顔でフリッツは言い、アルビーには不敵な笑みを向けた。

 それはライラが初めて見る、仕事用の顔なのかもしれなかった。


「え、ええ。どうぞよろしくお願いいたします、ね」


 いつもとは雰囲気の違うフリッツに頷いたところで、アルビーがライラの手を引いた。

 噛み締めていた唇には痛々しい歯の跡がある。


「…………俺が、自分で、話すから」


 フリッツの気遣いは無用であるということだろうか。

 どう見ても嫌々といった様子だが、ロイもフリッツも言及はしない。


「そう? じゃあ、しっかりね。では、ライラ嬢、また」

「アルビー殿下、聖女様、この場は失礼させていただきます。──聖女様、何かお聞きになりたいことがあれば、王宮の者へ伝言、もしくは私の部屋まできていただいて構いませんので。おもてなしもさせていただきますよ」


 それだけ言い残し、彼らは来た道を帰っていく。

 残されたライラとアルビーは気まずく顔を合わせられずにいた。


 先に口火を切ったのは、どういうことなのか知りたいライラである。


「………………ねえ、アルビー……王子殿下?」


 弱々しく尋ねたが、胸中は斬頭台に立たされる罪人のようである。手足は震え、目の前は暗く、視界が狭い。


 ちょっと待ってよ! アルビーが王子だなんて聞いてないんですけど!?


 散々、友人であるかのように気さくに喋りかけ、愚痴を聞かせ、付き纏って。

 知らず、とんでもない痴態を晒していた。


「その、王子殿下、とは露知らず、大変ご無礼をいたしました。申し訳ございません!」


 繋がれていた手を解き、三歩距離を置いて頭を垂れた。深々と、だ。


 知らなかったんだもの! 知っていたならもっとちゃんとしていたわ、貴族令嬢として!


 喚き散らしたかったが、もはや貴族令嬢の顔を剥がすことはできなかった。

 これ以上、エーレルト家に泥を塗るような真似はできない。


 下げ続けたライラの頭に、アルビーの舌打ちが落ちる。


「ちっ、いいんだよ、あんたは。不快だったらとっくに立ち入れなくしてる。あいつら、余計なことを言いやがって」

「ですが、第二王子殿下なのでしょう?」


 敬わなければ、子爵家としての立場はない。


「やめろって、気持ち悪い。頼むから、今まで通りに話してくれ」


 投げやりにぶんぶんと手を振ってアルビーがそう言うものだから、思わずむっとした。


「気持ち悪いって何よ! 王子だからってそんな酷いこと言わなくてもいいじゃない!」

「はっ、できるじゃないか」


 指摘されて慌てて口を塞いだライラだったが、アルビーは全く怒った様子もなく、「気にするな、気にしなくていい、気にしないでくれ」を繰り返した。


 それに切実なものを感じ取ったライラはへなへなとしゃがみこむ。張っていた気が一瞬で抜けていた。


「え……本当に? いいの? このままで」

「だから、いいって」

「怒っていない?」

「怒ってないから」

「……家にお咎めがあったりしない?」

「しない」

「……本当に?」

「ああ」


 そこまで聞いて、ライラは安心して大きな息を吐き出した。

 鳴り止まなかった心臓の爆音も徐々に落ち着く。


 座り込んだままのライラの前にアルビーが手を差し出した。

 この手をとってもいいのかしら、と逡巡したが、意を決してその手を握る。

 アルビーはさも当然のように立たせてくれた。


「……あんたは?」


 次いで投げかけられた質問は、ライラにはわけがわからず間抜けな顔を晒すことになる。


「いや、だから! あんたは怒ってないのかって、俺のこと。……黙ってただろ、王子だって」


 徐々に小さくなる声にも、ライラは首を傾げるだけだった。


 何を言ってるの? 王子なんだから、私がどう思うかなんて、どうだっていいはずなのに。


「怒ってないわ。知らなかった私が、これで罰を受けるってなってたら恨んでたかもしれないけれど。そうじゃないんでしょう?」


 こくんと頷く。

 そんなアルビーを見てライラは微笑んだ。

 王子だとわかった今も、これまで通りに会話出来ることに安堵する。


「説明するって言ってくれたし、何か、理由があるんでしょ?」


 座り込んだときに付いた土を払いながら、大した興味もなさそうに問う。

 しかし、本当は興味津々である。


 何で、王子なのに、毎日ガーデンでお花の世話をしてるの?

 格好も王族っぽくないし。土ついてるし。

 何で髪はそんなにもじゃっとしてるの?手入れしてないの?王子なのに?

 それに、どうして顔を隠しているの。どんな瞳をしているのかしら。


 しかも、ライラは彼を知らないのだ。


 ここは前世で見た物語の世界のはずなのに。


 はやる気持ちを抑えつつ、ライラはアルビーの言葉を待つ。

 しばらく待ったあと、ようやく聞こえてきたのは自分を卑下する台詞だった。


「俺は、王子にふさわしくない」

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