第7話 アルビーの正体1

 鼻歌まじりに窓の外を眺めるライラに、侍女リンは声をかけた。


「ライラ様、最近はなんだか楽しそうですね」


 小さい頃から共に子爵家で過ごしてきた彼女は、年も近く、ライラにとって良き理解者であり、相談相手であり、気の置けない友人だった。


「わかる? やっぱりリンには何でもお見通しなのね」

「こちらへ来たばかりの頃は、警戒心を露わにした子猫のようでしたが、今では雰囲気もだいぶ和らいでいますし。子爵家にいたときのようなライラ様を見られて、私も安心しています。何か良いことでも?」


 勿体ぶって、ライラはにんまりと顔を作った。


「ええ。仲良くなれそうな人を見つけたの」


 そうして話し出した、アルビーのこと。

 聞き終えたリンは悪戯っぽく微笑んだ。


「ライラ様はやはり素朴なものに惹かれるのでしょうか。……田舎、でしたものねえ」


 何が、と聞かなくてもわかる。

 ライラの生家、エーレルト家のことである。


「なあに、リン。やっぱり王宮のほうがいいかしら。煌びやかのほうが好き?」


 ライラは私室として与えられている部屋をぐるりと見渡した。


 我が家とは色合いが違うのよ。王宮が金色なら、エーレルト家は茶色って感じ。


 キラキラな空間も落ち着けないが、高級そうなのもよろしくない。何か粗相があって弁償しなければならない事態になってしまえば、エーレルト家は終わりである。

 目に悪いキラキラと緊張感で、非常に居心地は悪かった。


「いいえ、そうではなくて。こちらではライラ様が窮屈そうに思えまして、やはりご実家のような大らかな場所がお似合いのように思えます」

「さすがね。王宮はもちろん素敵な場所なのだけれど、私には少し……やっぱり特別な空間という感じがしてしまって、なかなか馴染めない、かしら」


 身の丈に合わないのだ。

 王宮という居場所も、イケメン四人から好かれているのも、聖女だと扱われるのも、全て。


 こんな私がヒロイン”役”だなんて、分不相応なのよ。


 ライラは小さく息を吐き、言いたくなる愚痴を飲み込んだ。

 これは誰にも言ってはいけないことで、言っても理解してもらえないことだ。


 気を取り直して、リンにお願いをする。


「それでね、いつもの服、出してくれない?」

「あら! 久しぶりですね。アルビー様のところへ?」


 エーレルト家にいた頃は毎日のように着ていた服だ。

 一番慣れ親しんだ服装だが、外聞が悪いだろうと思い、王宮にきてからは着ていない。


「ええ! ガーデンのお手入れを私も手伝いたいの」


 その服は、かけっこに木登り、川遊びなど、身体を動かすのに適したもの。

 気軽に着られる、乗馬服に近いそれは、ライラの愛用品だった。


 ドレスも可愛いけれど身体を動かすのは向いていないから……パンツ姿が一番便利よ。


 アルビーの作業を手伝えることにそわそわとしながら、ライラは笑う。

 期待で胸を膨らませるその姿に、リンはそっとお辞儀した。


「──かしこまりました」




 ◇◇◇




 服を着替えたライラはさっそくアルビーの元へ向かった。


「アルビー!」


 見て! と言わんばかりに両手を真っ直ぐ横へ伸ばし、くるりと回った。


「ちゃんと着替えてきたわ」

「……うわ、本当にきたんだ? というか普通、手持ちにそんな服ある? あんた、貴族の令嬢なんだろ」


 呆れたように言うアルビーは、ライラがその服を準備できないと思っていたようだった。


「ええ、ひどい。まさか口からでまかせだったの……作業を手伝ってもよいと言ってくれたのに」

「………………急に言って、まさか用意できるとは思っていなかったからな」

「大きな声では言えないけれど、この格好が一番着慣れているの」


 まさかの回答に、アルビーは少し固まり、諦めたように溜息を吐いた。


「……少しだけだぞ」

「ありがとう。身体を動かしたくてうずうずしてたの。楽しみだわ」


 それからアルビーの指示のもと、ライラはガーデンの手入れを手伝った。

 水を撒いたり、雑草を抜いたり、地道な作業だが、心はとても晴れやかだった。


 イケメンに追われるよりずっといい。


 ライラはそう思ってから、ふと最近は追われていないことに気づく。


 お忙しいのかしら。それとも、私に興味がなくなったとか?


 であれば、万々歳である。

 そうすればエーレルト家に戻れる可能性は高くなるかもしれない。


 あーあ、聖女の力がもう少し思い通りに使えるようになればなあ。


 そうすれば交渉の余地もあるかもしれないというのに、いかんせん自分の思い通りには発動できない。

 どういう力なのか把握できていないから、余計に囲い込まれているのだろう。


 草を抜く手は止めず、ライラはエーレルト家へと思いを馳せた。

 大好きなお父様、お母様。屋敷の使用人に町のみんな。

 登った木も、山の獣道も、川のせせらぎも、忘れられないのだ。


「──今日はここまでだ」


 アルビーの一声で、ライラははっと我に返る。

 気づけば目の前の一面に雑草は一つもなく、足元のかごには抜いた雑草の小さな山がある。


「へえ、頑張ったな」


 感心したようなその響きに、ライラは嬉しくなり笑い──引き攣りそうになったが、笑顔を保つ。


 エーレルト家に戻れば彼には会えなくなるんだわ。


 そう気づき、ちくんと胸が小さく痛んだが、首を振って紛らわせた。

 様子のおかしいライラを気遣うように覗き込むアルビーに変に思われたくもなかった。


「じゃあ、戻るわね。今日はありがとう。また今度手伝ってもいい?」

「…………服が準備できるならな」


 アルビーの素直じゃない言い方にも慣れてきた。


 少しずつ仲良くなれてるわよね!

 自分の大切なガーデンを手伝わせてくれるくらいだもの!


 そう思うとライラは楽しくて仕方ない。

 エーレルト家に帰るまでの関係かもしれないが、このまま良い関係を続けたいと思うほど。

 手を振って別れを告げ、幸せいっぱいの顔でガーデンを出た。


 そして少ししたところで思いがけない人物と出会う。


「おや、聖女様、こんなところで会うなんて」

「……ライラ嬢? それにその格好は」


 宰相の息子フリッツと第一王子殿下ロイである。

 最近会わないものだから油断していた。

 まさか、こんな姿で出くわすなんて。


「あっ、と、ロイ殿下、フリッツ様……こんな格好で大変失礼をいたします。これは、ですね」


 ガーデンのことを言おうとしたが、本来立入禁止であることを思い出し、口ごもる。

 アルビーは問題ないと言ってくれたけれど、本当はいけないことであるはずだ。

 言ってもいいのか迷うライラの顔はどんどん俯いていく。


 何か言わなければいけないのに。


 焦るライラの頭上から低い声が降った。


「──ガーデンを手伝ってくれていたんだ」


 同時に、背中をぽんと押してくれる。

 アルビーだった。その姿を目に留めて、ライラはほっと安心する。


 言っても良かったんだわ。

 でも相手は王子。口の利き方には気を付けないと……!


 先ほどとは違う意味でライラは焦り始めた。


「あ、いえ、ロイ殿下、フリッツ様。違うのです。この者は一人ガーデンの世話をしているからか、あまり王宮内部のことには詳しくないようなのです。決してお二方を軽んじているわけでは!」


 取り繕うこともできず、ライラは見るからに狼狽していた。

 そんなライラを見て、フリッツは片眉を上げ、ロイは目を少し見開いた。


「まさか聖女様にお伝えしていないのですか?」


 とフリッツが言い、


「だめだねえ。言わなければいけないことは、きちんと伝えないと」


 とロイはくすりと笑う。


 そのままロイの口から飛び出た言葉に、ライラの心臓は大きく震えた。


「第二王子の、アルビー?」

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