第5話 もじゃ頭の彼
はぁ。はぁ。
ここまでくれば!
ついこの間まで、ごくごく平凡な田舎貴族の娘だったはずだ。
外遊びを好むところは少し変だったかもしれないけれど、それくらいだ。
なんだってこんなことに!
ライラは久しぶりに一心不乱に走って、気づくと見慣れないガーデンまで来ていた。
上がる息を落ち着かせるため、ライラはガーデンを見て回る。
おかしなガーデンね。
ガーデンではあるようだけど、人に見られることを意識していないような。
綺麗な花もあれば、花が咲かない植物もあり、中には実を付けているものもある。
花と花の間に野菜らしきものも見え、ライラは確かめようとそっと手を伸ばした。
「おい」
突然響いた男の声に、ライラの心臓は跳ねた。
「っ、きゃあ!」
驚いて振り向くと、土にまみれたシャツとズボンの男──歳はライラより少し上だろうか──が突っ立っていた。
前髪は長く、顔のほとんどを覆っている。
癖のある茶色の髪は手入れをしていないようで、くりんくりんとあらゆる方向に跳ねていた。
土だらけのまま手を無造作に腰にやって仁王立つ男は、警戒心を露わにしている。
「あんた、ここで何してる。ここは普段誰も寄り付かないのに」
「……ごめんなさい。ちょっと休憩させてもらっていたの。王宮の敷地内は自由に歩いていいと言われているのだけど、」
男は思い当たることがあったようで、「……ああ」と呟いた。こんな奥まった場所の庭師にまで伝わる内容とはどんなものなのか、聞きたいような聞きたくないような。
「……あー……あんた、聖女の?」
「まあ、そう言われていますね。何かできるわけではないのですけれど」
聖女の力が目覚めた時、ライラはただ無我夢中で。
幼馴染が血だらけで倒れている姿を信じられなくて、抱きしめて泣いただけだった。
力が発現したことも知らぬまま、その反動からかはたまた現実から目を逸らすためか、気絶した。運び込まれた自分の部屋で目が覚めた後、城からの遣いが来て初めて聖女のことを知ったのだ。
だからもう一度同じことをやれと言われてもできるはずもない。何度か王宮で試されたが、差し出された小さな傷はうんともすんとも言わなかった。
前世の記憶では、ヒロインは願うだけで思うままに力を使えていたと思うのだが、ライラが願おうとも聖女の力とやらは再現しなかった。もしかしたら他にも発動条件があるのかもしれない。
──なんて、私が発動したと思われているだけで、もしかしたらヒロインは別に存在するとかね。
その可能性もライラは考えている。だとすればいつか本物の聖女が見つかった時、言い寄ってくる彼らにも王様にもなんの後ろめたさもなく子爵家へと戻れる。
むしろ気まずいのは彼らの方で、子爵家には謝罪や口止め料なんてものもあるかもしれない。そうすれば多少は子爵の父に貢献できるというもの。
良いこと尽くめでこの可能性を捨てたくないのが本音だ。
「よくわからないまま走ってきたけれど、ここは素敵な場所ね!」
整えられたガーデンとはお世辞にも言えない。けれど植えられた雑多な植物は愛情を注がれて育てられているのだとわかる。雑草は抜かれ、葉は虫に食われた様子もない。
好きなものを好きなだけ植えたようなこの場所は、植えた人物の好みを覗き見ているような気にさえさせる。それが、とても魅力的に映るのだ。
「そう、か? あんたはこんなところにいたらだめなんじゃないか? 王子たちに愛されている、聖女サマ?」
「ええと、その言い方はやめてくれないかしら。私はライラと言うの。聖女なんて名前じゃないし」
男は「へえ」と感心し、アルビーだと名乗ってくれた。
やはり聖女への王子たちの執着は広まっているらしく、アルビーの耳にも入ってきていた。
「全員顔も良く、将来有望な人間ばかりだろ。あんたにとって悪い話でもないだろうに」
「本当にみんな顔が良くて、見るに耐えないというか……いえ見ているだけならとても楽しいのだけど……私が関わる人物だとは思えないというか……別世界のようで生きた心地がしないというか」
子爵家の領地や前世と比べてもそれはもう美形ぞろい。イケメンがいないと話にならない物語なのだから仕方ないとはいえ、イケメンばかりでどこを見ればいいのかわからない。もちろん女の子も美しい。
深く溜息をつけば、アルビーは呆れたように眉を上げた──見えないのでおそらく、だ。
「……あんた、自分の顔知ってるか……?」
「ええ。もちろん! 毎日鏡で見るわ」
どんなに外で遊んでも日焼けを知らない白い肌。
照りつける太陽にも負けず光り輝く金色の髪。
エメラルドのような瞳は大きく、鼻は高く、唇は化粧をせずとも適度に色づく。
美少女、だと思う。しかし、だからなんだというのだ。
「違うの!いえ、言いたいことはわかるのよ。けれど自分の顔は所詮自分の顔なのよ。小さい頃から見続けているんだもの」
目の保養には全くならない。
ライラは力説したが、聞き役のアルビーは「ふうん」と気のない返事をするだけだった。
「なによ。少しくらい聞いてくれてもいいじゃない。みんなイケメンなんだから、私なんかに気を取られてないで、もっと他の女の子を見たらいいと思うのよね。絶対にモテるわけなんだから。でも聖女だから、無下にもできないって思われてるのかしら」
ライラは思い至った考えを即座に否定した。
「いいえ、そんなの願ったり叶ったり。むしろそうしてもらえたほうがこちらとしてもありがたいのに! 聖女の力に、男性を引き寄せる力みたいなものがあるのかしら。でもそうね、遭遇する力、とかだったらちょっと眺めてさようなら、ってできたかもしれないわね。遠くから眺めるだけなら目の保養になってとても楽しいのに。気軽におしゃべりするにはみんなキラキラしすぎだと思うのよね、眩しすぎて自分が消えちゃいそう……そう思わない?」
それからも散々、悪口とまでは言わない──国を背負う方々のこれは何があっても言えなかった──が、愚痴に近いものを吐き出し続けた。
ライラは満足したように、手でおでこを拭うそぶりをした。
「ふう、貴方って、優しいのね。たくさん聞いてくれてありがとう。またきてもいいかしら」
「いや来るな。優しくした覚えもない」
アルビーの言う通り、彼は話を遮らなかっただけ。──それでも、だ。
間髪入れずに聞こえた拒否の言葉は、聞こえなかったフリをして、ライラは都合の良いように返事した。
「ふふ、ありがとう。また来るわ!」
目は隠れて見えないが、きっと険しく細められているだろう。忌々しげな舌打ちが聞こえる。
けれど、これまた聞こえなかったフリを実行した。
だって、こんなに穏やかな気持ちになったのなんて久しぶりだもの。
聖女という立場からか、王子たちに好意を寄せられているからか、王宮内では使用人たちに付かず離れずの距離を保たれている。
どう取り扱っていいものか悩んでいるのだろう。
対等で話せる、まるで子爵家にいた時のような、久しぶりの感覚にライラは胸をときめかせた。
一方的に追われるのではなく、こちらから歩み寄りたいと思わせる相手に出会ったのは王宮に来てから初めてだった。
──もしも、心を開いてくれたなら。
想像してにやけそうになる顔を押さえながら、ライラは与えられている私室へ戻っていった。
これが恋の始まりとは気づかないまま、ライラは癒しを求め、毎日アルビーに会いに行くようになったのだった。
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