今日は『燃える』ゴミの日

九戸政景

今日は『燃える』ゴミの日

「ふんふんふふ~ん♪」

「…………」


 よく晴れたある日の朝、空の明るさとは逆に俺の心は暗かった。その理由は至って簡単だ。俺がドアの陰から見ている先で妻がドレッサーに向かって機嫌良さそうに化粧をしているからだ。

妻の白戸乙子しろとおつことはお見合いで出会った。そのお見合いの一回目の時から乙子の容姿に俺は間違いなく惚れていた。

その茶色いセミロングと右目の下の泣きほくろ、セクシーさを際立たせる厚い唇にすぐにでも抱きつきたくなるようなスタイルの良さ、とこの機会を逃したら確実に後悔すると感じる程だったため、俺は猛アタックをしてなんとか乙子を落とす事に成功した。

その後、結婚もしてこの数年間は幸せな夫婦生活を送れていたと自負している。しかし、ここ最近の乙子の様子を見て、俺は乙子の事を怪しいと思うようになっていた。


「はあ……なんだか緊張するわぁ。あまり自分より若い子と出かける機会がないから、どうしたら良いかわからなくて迷惑を掛けちゃったらどうしよう……」


 そう、乙子を怪しんでいるのはこれが理由だ。結婚して数年が経った頃、家計の足しにしたいからと言って乙子も近くのスーパーでパートを始めた。

これ自体は別に悪いわけじゃない。会社勤めである俺を支えるために乙子が頑張ってくれようとしているのは嬉しいし、結婚してからまだ子供もいないという事もあって、どちらかが家にいないといけないというわけでもないからだ。

けれど、俺は後に乙子にパートを始めさせた事を後悔する事になった。それは乙子が口にしていたように一緒になって出かけるような若い相手をパート先で作ってしまったからだ。

その相手がまだ同じ女性だったら良かった。けれど、相手は俺と同じ男で、乙子の携帯を盗み見て調べた限りでは、まだ二十歳になったばかりの若者なのだ。

俺も乙子もまだ28だ。他の異性に興味を引かれてもおかしくはないし、乙子と出会ってなかったら俺だって女遊びに明け暮れたいと思うくらいだ。

だけど、俺という夫がいて若い男に熱を上げるのはどういう了見なのだろう。俺が毎日会社であくせく働いている中で乙子はその男に熱い視線を送り、こうして出かける予定を作っていたというのは明らかな裏切りだ。

こうなってくると、結婚の際も夫婦別姓を持ちかけてきたのはこういう事のためなのかもしれないと疑ってしまう。乙子は自分をただの妻ではなく、一人の女として見続けてほしいからと言っており、その気持ちを汲むために俺は乙子の名字を俺の胡宮ごみやではなく元々の白戸のままにしていたのに、本当にそういう理由からだったとすれば俺の気持ちはなんだったのだろう。


「くそ……!」


 気付かれるわけにはいかないため、声を潜めて言ったが、本当なら証拠も揃えた上で相手の男もここへ呼んでその関係を終わりにさせたい。

そして、同じような事を起こさないために乙子を専業主婦にして、出かける際には俺への連絡と買い物をしたという証拠をしっかりと俺の携帯に送らせるなどの対策を練る。それくらいはしても良いと思うのだ。


「……さて、そろそろ出掛けようかしらね」


 俺が怒りを感じている内に化粧を終わらせたらしく、乙子は静かに立ち上がり、俺は隠れて見ていた事を悟られないようにするためにスッと陰に身を潜める。そして乙子が出てくると、まるでちょうど通りかかったかのように装って乙子に声をかけた。


「おお、乙子。なんだか化粧をしてるけど、どこか出かけるのか?」

「あ……ほのおさん。うん、ちょっと学生時代の友達と出掛けてくるの。学生時代の友達と一緒とはいっても、化粧もせずに行くわけにはいかないもの」

「まあ、それもそうだな。何時くらいまで行ってくるんだ?」

「そうね……夕方くらいかしら。だから申し訳ないけど、お昼は冷蔵庫に入れてある物を食べてね。最近、新しい料理の研究に付き合わせてあまり美味しい物を食べさせてあげられてなかったから、しっかりと美味しい物を作ったの」

「そんな事ないよ。色々頑張ってるのは知ってるから、料理の研究の手伝いくらいいつだって付き合うさ」

「……うん、ありがとう。それじゃあ行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 嬉しそうに笑う乙子が玄関へ向かって歩いていくのを手を振りながら見送っていたが、話に出てきた新しい料理とやらを思い出した瞬間、その味を思い出して俺は思わず吐きそうになる。


「うえ……思い出しただけでも吐きそうになるのを俺はよく食えたよな。そもそも新しい料理の研究なんてしなくてもいいんだよ。どうせ俺を実験台にしてもっと良い物を今から会う奴に食わせるつもりだったんだろうしな」


 どうにか吐き気を抑えた後に俺はポケットに入れていた携帯を取り出してGPS追跡アプリを起動する。何かあった時のために乙子の携帯をアプリで追えるようにしていたのだが、まさかこんな事で役に立つとは思わなかった。


「位置は……家から数分程度のところか。とりあえず気付かれないようにしながら俺も追おう。現行犯で問い詰めたらアイツらも言い訳は出来ないはずだし、ウチの妻に手を出した事を後悔する程に相手から金を踏んだくれるだろうしな」


 相手が二十歳だろうと知った事じゃない。人の女に手を出したのだから、それくらいの覚悟はあって良いはずだ。

そんな事を考えた後に俺は出かける準備をして外へと出た。乙子との距離は程よく離れており、遠くから監視していれば、問題なく二人の様子を見られる程だった。それを確かめた後、俺は尻尾を掴んでやるという気持ちを高めながら歩き始める。

空は綺麗に晴れ、散歩や日向ぼっこ、ピクニックなどには最適だと思えたが、乙子の監視のために出掛けている俺の心は曇り空なため、その青空すら忌々しい。そんな事を言ってもしょうがないとわかっていてもそう思うのだから仕方ないだろう。

歩き始めてから十数分後、街の人々が待ち合わせ場所によく使う像の前に立つ乙子の姿を見つけた。化粧をして黒いワンピースに身を包んだ乙子の姿に道行く人々、特に男達の視線は次々と向けられ、中にはイヤらしい視線を向ける男もおり、俺はそれに苛立ちを覚える。そうして待つ事数分、乙子のところにカジュアルな服装の若者が近づいた。


「白戸さん、お待たせしました」

「あ、遊間あそま君。ううん、さっき来たところだから大丈夫よ」


 待ち合わせの相手、遊間秋男あそまあきおを見て乙子は嬉しそうにする。遊間は肌が健康的にやけた短い茶髪の大学二年生であり、乙子が言うには仕事の飲み込みも悪くないのだという。

そんなに女に不自由しなそうな奴だというのに、どうしてウチの乙子に手を出そうと思ったのか。そこは本当にわからない。因みに離れていても声が聞こえるのは、乙子が今日着ている服に盗聴機をつけているからだ。本当ならば犯罪なのだろう。だけど、浮気も裁判が出来る程に立派な犯罪なのだから、どっちもどっちだろう。


「……あ、動き出したな」


 考え事をしている内に話は終わったらしく、二人はゆっくりと歩きだし、俺もそれに合わせて歩き出す。歩いている最中、遊間も視線は向けられるものの、乙子への視線の集中具合は圧倒的であり、夫として誇らしい反面、視線を向ける全員を今から殴りに行きたいと思った。

けれど、そんな事をしてはこの尾行がバレてしまい、俺にとって不利な材料になってしまうため、それはグッとこらえる。そうしている内に遊間は自分達に向けられている視線に気付いたのか少しキョロキョロとし始める。


「あら……どうしたの?」

「……いや、やっぱり白戸さんは視線を集めるなぁと思って。パート先でも既婚者だってお客からナンパされてますし、白戸さんが美人なのを改めて思い知った気がします」

「ふふっ、ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」

「お世辞なんかじゃないですよ。それにしても……旦那さん、大丈夫ですか? こうやって別の男と一緒に出掛けてるって知ったら、カンカンになって怒るんじゃ……」

「大丈夫よ。そこまで心が狭い人じゃないから」


 その乙子の言葉に胸を打たれ、こうして尾行をしている事に良心が痛んだが、それでも俺はこの尾行を止めない。乙子の言葉は嬉しかったが、自分の妻が他の男と出かけるという事を心配するのは、夫として当然の務めだと思うからだ。


「……もしも、遊間が乙子の事をベタベタ触ろうとしたらその時は出ていって阻止しないとな。乙子の体に魅力を感じたり引き寄せられたりするのはわかるけど、自分の妻を他の男にベタベタと触られていい気分でいられる男なんていないからな」


 そう決意しながら俺は二人の尾行を続けた。どうやら二人は特に目的地などを決めていないらしく、雑貨屋やジュエリーショップ、花屋などを色々巡っており、それらに訪れた際の二人の楽しそうな様子は俺の中の嫉妬の炎を燃やすには十分過ぎる程だった。

けれど、俺は出ていきたくなるのを我慢し、拳を握った事で爪が手のひらに食い込んで血が出ても気にせずに二人の尾行をし続けた。

そうして尾行を続ける事数時間、日もすっかり傾き、そろそろ二人の間にも終わりの空気が流れ始めたその時、不意に乙子は無言で携帯を取り出して操作し始めた。

すると、俺の携帯が突然鳴り出し、それに慌てて切らずにいると、遊間が不思議そうにキョロキョロとする中、乙子だけは俺の方をジッと見ており、これ以上は隠しきれないと思った俺は観念して乙子達へと近づいていった。


「え……ま、まさか……」

「……ああ、そうだ。君と一日楽しくしていた乙子の旦那だよ。遊馬秋男君」

「…………」

「乙子、学生時代の友達と一緒と言って、俺よりも若い男と一緒に出掛けてるなんて驚いたよ。驚いたし裏切られた気分だ」

「……でも、こうして貴方が私達の後をついてきていたのも私にとっては裏切られた気分よ。今頃、家に一人でいさせてるから、退屈してるかもしれないなと思っていたのにこうしてついてきていたわけだから」

「それならお互い様だろ。嘘をついてまでそこの彼と一緒に出掛けたかったのか?」


 俺の言葉に乙子が黙り、その様子を見た遊間が何かを言おうと前に出ようとしたその時、乙子はそれを手で制し、諦めたようにため息をつく。


「……本当は家に帰ってから渡したかったんだけどね」


 そう言いながら乙子はハンドバッグから何かを取り出す。見てみると、それは黄色い薔薇の刺繍が施された白地のハンカチだった。


「これは……?」

「貴方への贈り物よ、炎さん。最近、持ってるハンカチもぼろぼろになってきたって言ってたから、お仕事いつもお疲れ様の意味を込めて手紙を添えて贈る予定だったの」

「そうだったのか……けど、それなら遊間君が一緒じゃないといけない意味は……」

「……安心してください、俺は“虫除け”ですよ。白戸さんが一人だともしかしたら変に声をかけられて贈り物を落ち着いて選べないかもって言うので、少し前から相談をしてこうして今日一緒に来てたんです。

 まあ、白戸さんみたいに綺麗な人と一緒に出掛けられていい気分だったのは認めますけど、心配してるような関係じゃないですから」

「そ、それじゃあ俺は……」


 告げられた真実に俺が愕然としていると、乙子はどこか拗ねたように頬を軽く膨らませる。


「私はそうやって贈り物を選んでいたのに浮気を疑ってついてくるなんて……私は貴方からそこまで信用されてなかったのね」

「う……ご、ごめん。でも、俺はそれくらい心配で……!」

「うん、それはわかってるわ。その気持ちは本当に伝わってきたから。さて……それじゃあそろそろ帰りましょうか。遊間君、今日は本当にありがとうね」

「いえ、俺こそありがとうございました。それじゃあまた」

「ええ、またね」


 手を振りながら遊間が去っていった後、俺達もそのまま家へと帰り、帰宅後に改めて俺は乙子から黄色い薔薇の刺繍が施された白地のハンカチを贈られた。

渡す乙子の嬉しそうな笑顔に俺は改めて罪悪感を覚えたが、今回の件で俺は乙子が俺の事をしっかりと愛してくれている事を改めて知り、安心感から眠気に襲われた。


「ふわぁ……緊張してたからか少し眠くなってきたな」

「ふふ、それなら少し眠ってて。私はちょっと買い物に行ってくるから、帰ってきても寝ていたら起こすわ。もしも私が帰ってくる前に起きたら、今朝も言った冷蔵庫に入れてる物を食べてて良いからね」

「ああ、わかった」


 そう言いながら目を閉じると、すぐに眠気が押し寄せてきたが、ふとある事が気になった。


「黄色い薔薇に白いハンカチ……あれ? なんか忘れてるような……?」


 それを思い出そうとしたが、突然漂ってきた良い香りとパチパチという何かの音で気持ちが安らいでいき、俺はそれすらもどうでもよくなり、そのままゆっくりと意識を手放した。





 青白い月が黒い空に昇る夜、とあるホテルの一室のカーテンには寝転がる人物とその上に股がる人物のシルエットが浮かび上がっており、二つのシルエットはしばらく大きな声を上げながら上下に動いていた。

それから十数分後、動きを止めた二つのシルエットの声が部屋に響いた後に股がっていた人物は下にいる人物に体を預けると、その人物は愛おしそうに自分を見る人物と熱い口づけを交わしてから、シミ一つないキレイな背中に手を回し、もう片方の手でその人物の頭を撫でた。


「……貴女はやっぱり最高ですよ、“乙子さん”。最初に誘われた時はなんで俺なんかにって思いましたけど、乙子さんとこういう関係になれたのは本当に良かったです」

「ふふ、貴方だって素晴らしいわ、“秋男君”。八歳しか違わないと言っても、若いと肌ツヤもよくてエネルギッシュでやっぱり素敵よね。あの人じゃ私はもう満足出来ないもの」

「それ聞いたら、旦那さんが怒りますよ? というか、本当に今日はビビりましたね。乙子さんから旦那さんがついてきてるって聞いた時はまさかと思いましたけど、乙子さんがどうにかしてくれなかったら今頃はボコボコになって家に帰ってましたよ」

「あの人は本当に単純だから。それでいて束縛が強いし、仕事で疲れてるからって言って家事もあまり手伝ってはくれないから、いい加減飽きてたのよね。

顔はよくても中身がダメなら、どうしようもないわ。夫婦別姓を提案したのもあの人の名字を名乗りたくはなかったからだし、これで一安心ね」

「一安心……そういえば、家に旦那さん残してるのに大丈夫なんですか? たしか買い物に行くっていう建前で来てるわけですし、今頃また疑ってるんじゃ……?」


 遊間秋男が不安そうに言う中、白戸乙子はどこからか聞こえてくる消防車のサイレンの中で妖艶な笑みを浮かべ、それに不安と恐怖を感じる秋男を見下ろした。


「問題ないわ、今頃“燃えるゴミ”でも出してるもの。ただ、火花で飾り付けた“愛情の薄れ”と“手切れ”にも気付けずにリラックス効果のある香りの中で眠っていたわけだし、やっぱり保険の“安眠料理”はいらなかったかしらね」

「……乙子さん、俺は捨てないですよね?」

「……どうかしらね。でも、貴方の事はまだ味わいきれてないし、まだまだ飽きる事はないんじゃないかしら。だから、もう少し私を楽しませてよね? 私の可愛い玩具あきおくん?」


 身体中白くねばついた液体にまみれながら舌で唇を舐める乙子のその快楽に満ちた不気味な笑みに秋男は自身の性欲を掻き立てられ、その体をなめ回すように見ながら息を荒くしていたが、その表情には乙子への恐怖の色が濃く浮かんでいた。

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今日は『燃える』ゴミの日 九戸政景 @2012712

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