エピローグ -side 甘(前)-
甘にとってふーくんは、唯一と言ってもいいほど尊敬できない異性だった。
小学校の頃、ふーくんと理於ちゃんを連れて、私たち家族と5人で河原でバーベキューをした。その時はまだ、近所のお兄ちゃんくらいにしか思ってなかった。
でも、私がはしゃいで足を切ってしまった時。
「痛いっ!!」
「甘、だ、だ、大丈夫か?」
「う、うぇえ……どうしよ、ふーくん」
「……わ、かんない」
ふーくんは動揺するだけで、何もしてくれなかった。血が怖かったのかもしれないし、緊張してたのかもしれない。でもなんとなく、薄っすらと期待してたのとは違って。
けれど、その直後に理於ちゃんが川辺で遊んでいる時、ふっと足を滑らせて水しぶきを上げた。瞬間、
「理於!!!」
そういってふーくんは川辺から叫んだ。でも、川に飛び込むわけじゃない。ただ川の外から心配そうに見守ってる。
「すべっちゃったぁ」
「お前……気を付けろよ」
理於ちゃんは自力で立ち上がって、溺れたりすることなく戻ってこられた。でも、もしあれで足が攣ってたり、足を怪我して動けなかったらどうするつもりだったんだろう。見て見ぬ振りをしたのかな。諦めたのかな。
「……カッコ悪」
小学生の私は、ひどくがっかりしたのを覚えてる。頼りになる近所のお兄ちゃんじゃなくて、何も出来ない年上の男子。後で聞いたら運動は苦手だって言ってた。
*
それから近所付き合いはしてたけど、他の男の子と遊ぶと大抵、ふーくんよりも色んなことが出来てた。優しく声をかけてくれるとか、手を差し伸べてくれるとか、面白い話をしてくれるとか。
甘のことが好きだって言ってくれた男の子は、徒競走がすっごく早かった。けど、ふーくんは一つ年上でも、いつも後ろから2番目だった。正直、幼なじみっていうのが恥ずかしかった。
王子様。男の子ってそういうものだと思ってたから、ふーくんはそういうのから一番遠いんだなって勝手にわかったつもりでいた。
*
「え……理於ちゃんが?」
ママから聞いた、理於ちゃんたちが襲われたこと。そして、それを撃退したのはふーくんだった、ってこと。それを聞いて私は、嘘だって思った。普段何も出来ないから、そういう時いい格好をしたいんだって。だって、いつも甘が近くに行ってかわいこぶるだけで、照れて目も合わせないふーくんが、そんなことできるはずがない。
なのに、理於ちゃんのお見舞いに行ったら、ふーくんは見たことないくらい傷だらけだった。って言っても、いくつか包帯を軽く巻くくらいだったけど。
「ふーくん? 理於ちゃんは……」
「……甘か」
ドクン。
何、その目。ふーくんは私のこと、なんでもないみたいに見てきた。まるで通りかかった猫を見るみたいに、スッと一瞬目を合わせたら知らん顔して、すぐにベッドに横たわる理於ちゃんを心配そうに見つめてた。
へぇ、妹が可愛いんだ。知ってるよ、それシスコンって言うんだよね。ふーくんは何も出来ないから、妹に頼るしかないんでしょ。
ずっと一人で自問自答しながら、グズグズ燻っていく黒い気持ち。何、これ。私はお姫様だと思ってた。もちろん、ふーくんは王子様なんかじゃない。でも、あの目。あんな風な目で見られたことが、堪らなく私のプライドを傷つけた。
*
それからというもの、男子と付き合って見ても面白くなくなった。みんな判を押したような褒め言葉ばっかりだったから。何を買ってもらうとか付き合うとか別にいらない。苛々は日に日に大きくなってた。
そんなある日、学校で突然ふーくんと鉢合わせして、ドキッとした。するとふーくんは、
「甘」
「え? ふーくん?」
「おばさんにありがとうって言っておいて。昨日、理於の面倒みてもらってたから」
「あ、うん。分かった、言っとくね」
「おう、よろしくな」
「……あ、あのねふーくん」
「うん?」
「……そんなに理於ちゃんが大事?」
「……あぁ。当たり前だ」
そう答えたふーくんが、また自分の知らない顔をするのが心を騒つかせた。なんで、どうして。私では何も感じないくせに。私のことは助けようとしなかったくせに。
「……わ、私も」
「え?」
「私も、理於ちゃんのこと、助ける」
「……それは、ありがたいけど。いいのか?」
「うん」
この人が、ふーくんが理於ちゃんに執着するなら、まずは理於ちゃんから仲良くなる。それで、いつか教えてあげるの。甘を見ないと損するよって。
*
「え? ふーくんに?」
「そ、そう……甘、幼なじみでしょ?」
「そう、だけど」
小学校を卒業する前に、同じクラスの女子からラブレターを託された。それは、ふーくんに宛てたものだった。
「……分かった、渡してみるね」
「ほ、本当! うん、ごめんね。よろしく」
私は笑ってそのラブレターを受け取って——家で破り捨てた。
要らないよ、こんなの。ふーくんはみんなが思ってるほどカッコよくない。ふーくんは理於ちゃんが好きなんだからさ。こんなことしたって振り向くわけないじゃん。分かってない、皆ふーくんのこと分かってないよ。
そうしてラブレターを破り捨ててから、自分の中で何かが変わった。気づいたらふーくんのことに執着する自分がいた。それはずっと自覚出来なかったものだったけど。
*
私が中学校に入って、理於ちゃんと話す病院での日課。今日は通院の付き添いだった。
理於ちゃんは唐突に尋ねてきた。こういうとこ、兄妹で似てる。
「あのさ、甘ちゃん」
「どうしたの?」
「もしかしてだけど、さ。甘ちゃんって、お兄ちゃんのこと、好き?」
「……え?」
理於ちゃんの言葉に、すぐに否定する。
『いや、違うよ。近所のお兄ちゃんとしては好きだけどね』
……って、言葉がすぐ出なかった。なんで? どうして?
それは、理於ちゃんが不安そうな目で見てたからだ。この何年かで、理於ちゃんが弱くて、甘から守りたくなる人って分かってた。だから理於ちゃんのことは、平気で仲良く出来たし、助けようって思えてた。
でも、ふーくんのことは。
あぁ、そっか。
「……そう、かも」
「あ、やっぱり?」
「あ、えっと、でもね、理於ちゃん」
「よかったぁ。甘ちゃんなら安心だよ」
「……え?」
「だってお兄ちゃんあんな感じだからさ。絶対彼女とか出来ないじゃん」
理於ちゃんはそう言って笑って答えた。でも、違う。嘘だよ。だってさっきまで、不安そうな顔してた。
彼女のその気持ちがわかるような気がした。だって、私もいつも間にか、ふーくんのことばっかり追ってた。何も出来ない男の子。期待しても、何も返してくれない。魅力がある他の男子とは、全然違う。なのに、理於ちゃんばっかり贔屓して、馬鹿みたいって思ってた。
でも、だからって他の彼女ができるのは、嫌だったんだ。理於ちゃんに言われて、初めて気がついた。
「だからね、甘ちゃんなら安心だなって」
「ま、まだ分かんないよ」
「うん、お兄ちゃんだってまだ童貞だろうし」
「どっ……そ、そっか」
「そういうの、甘ちゃんの方が色々知ってそうだけどなー?」
「や、知らないよ〜!」
*
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