第27話 後生
「私のこと、殺してくれる?」
「……は?」
「私は死ぬ勇気がないの。だって、未練が出来ちゃったから」
「……いや、よく意味が」
「だって、私が生きていられないのは分かったでしょ。それに、私が一人で自殺するのも、陶磁君だって嫌だって言ってくれた」
「い、いやそれはそうだけど」
彼女はそれを嬉しそうに話した。
「……それにね、やっぱり迷惑かけたくないんだ。陶磁君にも、陶磁君の大切な人にも。私のお母さんみたいになる前に」
「……」
「私が別の場所に移っても、同じことが起こる。また陶磁君みたいな人が現れてくれたらいいけど、それはそれでまた堂々巡りだよね」
「……それは、そうだけどさ」
彼女はこの部屋をぐるりと見渡して、手を広げて示してみせた。
「実は私ってもう、戸籍上認められてないの」
「え?」
「存在はしてるんだけど、役所の人に認知されてもらえなかった。まあ、色々理由を言って引っ越しと転校はできたけど。だから死んでも、きっと誰も気がつかない。殺人で陶磁君が捕まるようなことはないの。まあ、絶対って言えないけど。私はこの国からも、世界からも人間として認められてないんだよ。」
「そ、んな……間違ってる、だろ……」
俺が人殺しになるとか、そんなことはこの瞬間はどうでもよかった。いや、そんなの偽善だ。本当は保身を考えていた。彼女のこと、ここで殺せば理於たちはどうなるんだ。けれど、もう彼女の目は、殺されるしか救いの道がないと、そう言っている気がして。
「それで、もし死んで、天使に会えたらね。文句を言おうと思うの。呪いを解いてくれ、って。元々私の身勝手で掛けられた呪いだから。もういいでしょ、って。……それで、来世元どおりの姿で、生まれ変わった陶磁君とまた会えたら、一番幸せかな」
「だ、だからってなんで俺が……」
「……分かってくれる、でしょ? 殺して、って頼むことのしんどさ」
彼女に言われて、またハッとする。そうか、そういうことか。殺すくらいなら自分で死ぬ。けれどその決意が揺らいだら、永遠に苦しみを味わい続ける。
彼女は、それほど受け止めてくれていた。俺の思いを真正面から受け止めて、それと同じ分だけ苦しんでいたんだ。だからって、そんなこと。
思わず唇を噛み締める。手に握った短剣が手汗で滑りそうになる。
「私のこと、殺して、埋めて、お墓を作って欲しいな。わかんないけど、きっと警察犬とかも私のことを嫌がって掘り起こさないと思う。だからこのお墓のことを知ってるのは、私と陶磁君だけ」
彼女が淡々と告げるたびに、目の前が歪んでいく。殺す、殺す? この俺が、人を。それも、どうして愛する人を。おかしいだろ。出来ない出来ない出来ない。もっと何か方法はないのか。
「はぁ、はぁ……」
だめだ、俺にそんなこと。けれど、彼女はすぐに目を合わせてくれた。途端に過呼吸は治って、そのまま彼女は導くように自分の腹部に短剣を突きつけた。それだけで俺は叫びそうになる。俺は急に、サイコキラーに目覚められるような奴じゃなかったみたいだ。
「……斬るのが怖かったら、このまま押し込んでくれる?」
「い、やだ……」
その感覚が、堪らなく嫌だった。分かってる。そうしなきゃって、分かってるんだよ。でも、ダメだ。手に力が入らない。震えてる。今どんな顔をしてるんだ、情けない。
なのに彼女は強い。怖いなんて言ってても、結局死ねるんだ。それが救いになるって本気で信じてるんだろう。いや、それが救いになるなんて絶対に間違ってる。けれど、やっぱり俺に答えなんて出せなかった。
「陶磁君」
名前を呼ばれて、憔悴した顔のまま彼女の顔を見つめる。変わらない、美少女のままだった。今から死に行く者の顔とは、なんとなく違う気がした。だからこそ、彼女は俺の全てを悟ってくれていたんだ。俺という人間を理解して、俺に委ねてくれいた。それが俺にとってどれくらい価値があることかも、知った上で。
俺が拾った唯一の愛は、偶然落ちてきた貰い物。タダより安いものなんてない。この決断が、彼女のためになるのなら。俺のためになるなら、俺は。
「ね、早くしないと」
彼女は急かす。そうだ早くしないと、理於も危ない。いや、そんな確証はなかったけど、今更そんなこと考えられなかった。なら早く殺さなきゃ、なんて言葉では軽いけれど。
急かすように降り頻る雨粒の音が、少しずつ俺の耳の中に入ってくる。時間がゆっくり進むみたいに感じて、俺は現実逃避をやめた。
目を瞑ってから一つゆっくりと深呼吸をして、目を開けた。
「……椎倉さんには、敵わない」
「そう?」
「出来るか分からないよ。痛くするかもしれない」
「大丈夫。痛いのは慣れてるから」
「……それもどうかと思うけどね」
そうして言われるがまま、もう一度短剣を彼女に突きつけた。心臓が過去最高に高鳴っていた。このまま俺の方が先に死んでしまうじゃないかってくらいに。
彼女はじっと見守ってくれていた。そうされることが当たり前みたいに、俺が彼女を殺そうとしているのを、受け入れていて。
「……俺は主人公になりたかった」
「え?」
「昔からアニメとか漫画を見るたび、憧れて。ヒロインを助けるヒーローとか、剣とか特殊能力を使って悪役を倒す。そんなありきたりな存在でもいいから、誰かから尊敬される、必要とされる人になりたかった」
「うん」
「……でも、現実そんな力がないこと、分かってたから。椎倉さんのことを知って、本当に周りが嫌ってることが分かって、最初はチャンスだと思った」
彼女は俺が喋っている間も、いつもの表情で頷いてくれて。
「ただ、過ごしていくうちに勇気をもらえた。誰かのために頑張って、主人公のふりするだけでも、ちょっとは変われるんだって」
やばい。
「そうだね」
「……でも、それと同時に、この世界がうざったくなった。なんでどいつもこいつも、こんなひどいことが出来るんだよって。父親の周りにいた奴らも椎倉さんを裏切った男も、クラスメイトもみんな。塞ぎ込んでた時は、早く隕石でも落ちてこないかって、毎日思ってたけど」
無意識に鼻が詰まる。
「……うん」
彼女も涙声で。
「だから俺は……椎倉さんとアダムとイブみたいになれたらいいな、なんて気持ち悪い妄想をしてたんだ。でもそれが……こんな風にヒロインを殺す主人公がどこにいるんだよ……どうして、どうして椎倉さんが死ななきゃいけないんだよ……!!!」
「……ごめん、ごめんね」
彼女はまた、涙を流していた。それは俺が泣き出してしまったからだ。
この世界に恨みなんていくらでもある。けれど、それをどうすることもできないことだって分かってる。
それなら目の前にあることを、淡々とこなすしかない。そうやってこの十七年間やってきたし、大人になったってやることは変わらないって思ってる。
でもそれが、運命に逆らうみたいなことがあるなら、きっと今日みたいな時だけだと思う。だが無情にも、運命には抗えないまま時は進む。そんなこと、厨二病をこじらせた俺が一番良くわかってる。
「……恨んでやる、その天使とかに会ったら言っといてよ」
「うん、もちろん。私だってもう、文句言えると思ってるから……ッ!」
涙を流しながら、短剣に力を込める。彼女が表情を歪めるので、一瞬力を抜いて。
「し、椎倉さん……」
「あ、あのね、陶磁君。すごく申し訳ないけど……首を切ってもらった方がいいかな」
「え……」
「お腹はちょっと、痛いかも。一回ですぐに、出来るだけ痛くなく死ねるのって、首だとか。ほら、時代劇でも斬首するでしょ?」
「……トラウマになるよ」
「それは、ごめんね」
「……分かった」
1cmにも満たない深さの刺し傷。想像以上に人間の体を突き刺すのは難しかった。彼女の腹部からは血が滲み、衣服を赤く染めていく。
そうしている間にも、彼女は苦しそうだった。すぐに彼女の頸動脈と思われる場所に刃を当てた。ダメだ、もう、何も考えるな。ただこれは、一つの儀式だと思え。自己暗示をかけて、深呼吸する。そして。
「あ、あぁ……椎倉さん、俺は、本当は、こんなこと……」
「陶磁君だから、お願い出来るの」
「あぁああ……わ、分かったよッ!! このッ、クソ天使がぁあああ!!」
「陶磁君……私ね、陶磁君に会えて良かった……忘れないで、絶対に私のこと忘れないでね?」
目の前に赤が走ったかと思うと、そこで意識は途切れた。
が、鈍い音がして、目の前が一瞬真っ白になる。そうやって我に返った。
無意識に掌を見る。血染めになった掌、彼女の足元に転がった短剣。夢じゃないことを知った。
「ッ……!! うぁあああああああああ!!!」
そうしてまた、世界から音が消えた。
あたりの景色が鮮明になり始める。一体どれくらい経った。何をしていた?
だが都合の悪いことに記憶はすぐに蘇る。彼女を殺した。今、この手で。そうして床に倒れ込んだ彼女を覗き見れば、まだ息があった。
咄嗟に彼女を抱き抱えるようにすると、不格好ながら彼女の首筋には無残な斬り跡があった。他でもないこの俺が、殺人。思わず震えながら彼女に触れた。初めて自分から触れた彼女の体は、まだ暖かかった。
「し、椎倉さ……」
「……と、じ君……ありが、とう。私、私ね……」
「あ、あぁ……」
「……陶磁君のこと、愛——」
「椎、倉さん……なん、で……ッ——!」
そうして彼女は、笑顔のまま事切れた。
最後に微かに聞こえた言葉は、耳にこびり付いていた。
理不尽に叫ばないと居られない。声が枯れるまで泣いてやる。と、はじめはそう思った。けれど、彼女の亡骸を見ても尚、現実味が分かない。自分は、主人公ではないと分かる。だから、思うように泣けなかった。
胸に残る例えようのない痛みと苦しみを携えながら、もう一度彼女に触れる。
「……忘れない、忘れるわけないだろ」
俺は短剣を投げ捨てると、少しずつ赤く染まっていく床を尻目に、彼女を抱きしめた。雨の音が先よりも増した気がする。そうして俺は力なくその場に崩れ落ちて、気が済むまで啜り泣いた。
——
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