第25話 懺悔

「……それが、これまでの私」


「……信じられないね」


「私もね、最初はずっと疑って生きてた。でも、ここに越してくる直前も、酷い目にあったの。今までは何もなかったのに、急に嫌われ始めた」


 彼女はどこか具合が悪そうだった。段々と顔色が悪くなっているのが分かった気がして、足元を見ればまた血が滲み始めていた。


「私のことを唯一嫌わないでくれたのは母親だったんだけど、二人して理由もわからないまま暮らしていて、ふとあの夢のことを思い出した。天使との会話は、ただの夢だと思い込んでた」


「夢……つまり、今の椎倉さんは、元の本人じゃないってこと?」


「……ううん、私はずっと今の母親に育てられてここまで暮らしてきた記憶もある。でも、その夢を見て以来、天使との会話で話していた、前世の人の記憶や経験、感情は鮮明に思い出せる。私の中に急にもう一人のメア、って言う人格が増えて……今も生き続けている感覚。それが転生、って言い方で正しいか分からないけど」


「……まあ、俺も正直聞いててそんなことあるのかって思ったけど」


 急なSFチックな話に戸惑うも、ようやく彼女の嫌われてる理由がようやく分かった。いや、分かったって納得なんか出来ないけど。急なアニメ展開にそのまま頷いていいのか分からない。


「私もね、いつ変わったのか分からないんだ。元々こうだった気もする。メアって人格を持ってたのに忘れてたとか、新しく二重人格になっちゃったのかもしれないし。でも、私の中ではあの夢で繋がったんだ。あぁ、呪いをもらって、生き返ったんだな、って」


「……椎倉さんがそう思うなら、そうだと思う」


 それが、現実なんだ。経緯や過程はどうあったって、今の彼女が嫌われて、苦しんで、傷ついていることに変わりはない。


 単なる不運、呪い、神様の悪戯なんて言葉で済ませられないような、心の傷も、大病も、差別も、この世界には蔓延ってる。


 どれもこれも目に見えないだけで、突然その人に訪れる不幸だ。彼女は原因不明の呪いに冒されている。それだけが目の前にある事実だった。


 喋っていたらようやく緊張から解放されて、体を動かせるようになった。立ち上がってストーブを消す。窓の外ではまだ雨が激しい音を鳴らしていた。


 と、彼女の方を見ると、急に目眩がしたかのようにふらついて、座ったまま倒れ込んでしまう。咄嗟に抱え込もうとしても間に合わず、彼女は崩れ落ちるみたいに床に倒れてしまった。


「し、椎倉さん!」


「ご、ごほっ……ご、ごめんね、陶磁君。ちょっと思い出したら、気持ち悪くなっちゃって」


「……そりゃ、そうだよ。俺だって聞いてただけで頭が痛い。それに、足だってまた血が……」


「うん、こんな話聞かせたくなかった。足の怪我は、きっと大丈夫。それより、私後悔してるの。……あのね」


彼女は床に倒れたまま、目に涙を浮かべるとそのまま泣き出してしまって。


「お母さんを、今の母親を……死なせてしまったの」


「え?」


「引っ越してからもしばらく、近所の人の嫌がらせは続いたの。けれど、お母さんは私が嫌われるようになってからも、変わらずに接してくれていた。見えない所でずっと盾になってくれてたの。でも、半年くらいしたら急に倒れて、病院に運ばれた」


 彼女は早口に、鼻を啜りながら子供のように話して行った。その涙声だけで心が締め付けられるように痛む。


「お母さんはストレスで参ってたの。私はいい加減、天使との出来事を信じるようにした。でも、どうすることもできない。毎晩寝る前に祈って、やっぱりなかったことにして良いから、この呪いを解いてってお願いした。けれど、天使とは会えなかった」


「うん」


「それならもう、私と離れて暮らさないと、このままお母さんがおかしくなっちゃうよ、って。でも、怖かった。出来なかった……私一人で、あんな沢山の悪意に晒されるなんて思ったら、そんなこと無理だ、って。だから私、出来るだけ自分でなんとかするから、お母さんと一緒にいたいって、言っちゃったの。そしたら、お母さんも……そうしたい、って言ってくれて」


 俺はただ、時折肯いて彼女の目を見据えて話を聞き続ける。


「……けど、ダメだった。病院の人も冷たくするし、弁護士の人も掛け合ってくれない。みんなが敵になって、寄ってたかってお母さんを責めた。それで……」


「……お母さんは」


 もう、彼女は啜り泣いていた。嗚咽が混ざって、声が震え出す。


「私が、私が殺したようなものなの……それも、椎倉時雨として生まれた時はこんな呪い、持ってなかった。今の私が、もう一回生き返りたいなんて思わなかったら……転生しようなんて思わなかったら、お母さんは死ななかった……死なずに済んだの!!」


 彼女の涙腺は決壊した。涙を流して、両手でぐしぐしと目を拭いながら訴えた。それを俺は、抱きしめてやることもできない。俺は彼女の特別じゃないし、あの時彼女が俺のことを突き放して、一人になろうとする理由も分かった気がしたから。それが堪らなくもどかしくて、悔しかった。


「でも、それはさ。椎倉さんじゃなくて、呪いのせいで……」


「違う、違うよ。私は私だけど、この私になってからは分かるの。元の私が持ってなかった所も、それで得したことだってある。けれど、周りの人を巻き込んで不幸にするなんて、もう沢山……罰を受けるのは私だけで良い。だからね、陶磁君……」


「俺は……俺はそれでも、椎倉さんのこと助けたい」


 彼女の言葉を遮った俺の声は、震えていた。今こんな状態でそんなことを言うのは、空気が読めないと思われるだろうか。でも、違う。こんな、子供みたいに泣き喚いてる女の子がいて、じゃあ一人になってくれなんて、言えるはずがない。


 彼女はいつだって笑顔で、平然と振る舞っていた。けれどそれだって、限界だっんだ。沢山の後ろめたさや、悪意に傷付けられた傷を持って、必死に生きてきたんだ。


 今の彼女は十七歳で、同じ十七歳で亡くなった前世の記憶を重ねて生きてる、ってことなんだろう。性格とか知識とかどうなってるのか分からないけど。彼女は変わってしまったこと、呪いを甘んじて受け取ってしまったことで、他人が不幸になるのが嫌なんだ。自分が損をすれば良い、その方が楽。あぁ、すごく分かるよ。


「……陶磁君なら、そう言ってくれると思ったの」


「え?」


「ね、覚えてる? 私がここに探しにきたもの」


「あ、えっと」


「唯一無二の愛。私は沢山のものを犠牲にして、別に何も得られなくて良いって思ってた。でも、心のどこかで求めてたんだろうね。私は、愛されたいんだって。愛されたかったんだって」


 彼女は目を腫らしたまま、強がるみたいに笑顔を見せた。けれどそれはいつもの彼女とは違っていて。


「ねぇ、陶磁君……分かってくれる? 私は陶磁君が好きって言ってくれて、嬉しかった。泣き出して、全部放り出して、君に全部委ねたかった。でも、そんなこと出来ないって思った。それで陶磁君が死んじゃったら、私はもう耐えられないよ」


「……椎倉さん」


「でも、ね。それでもいいって言うなら、私もいいかなって思ったの。私のことを全部知ってくれた、陶磁君だから。私のことを受け止めてくれるなら」


「し、椎倉……さん?」


 段々と様子がおかしくなっていく彼女は、どことなく声が甘ったるくなっていて。それはもう、正直堪らなかった。いや、違う。さっきまで泣き腫らしていた彼女をそういう目で見ちゃダメだ。だって、何かおかしい。彼女は正気じゃない。


 頭では分かってはいたけれど、湯上りの彼女が、好きな人が、直視できない程の美少女が誘惑してきてるのだ。今までは天然で、そんな素振りも見せなかったのに。自制心とは裏腹に高鳴っていく心臓。俺は思わず生唾を飲み込んだ。

 

 彼女はゆっくり近づいてきたかと思うと、そっと頬に手を添えてきて、思わずびくっとしてしまう。そのまま悪戯に微笑んだかと思うと、顔まで近づいてきて。


「……私に陶磁君の愛をくれる?」


「あ、いや、ちょ、ちょっと」


「あ……陶磁君、その、気にしてたらごめんね。確かに私の記憶では、妊娠とか流産って言ってるけど……」


 このまま彼女の誘いに乗ってしまったら、どうなるんだろう。二人きりの部屋で、誰にも見つからない場所で、雨の中音も漏れない空間で。


「……この体は、まだ何もしてないよ?」


 耳元で囁かれると、はち切れてしまいそうだった。もう、限界だ。そのまま彼女を押し倒して——



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