第24話 唯一無二の愛を探して

「……私は小さかったし、転んだのが原因だったかもしれないけどね」


「……」


 ストーブのおかげで部屋が暖まり始めて、少し温度を下げたかったが、体が思うように動かなかった。


 彼女の話を聞いて、思う。人間のすることじゃない。いや、でもこれが現実なんだ。人間を人間と思わない奴が、この世界には大勢いる。


「……だからって」


「うん……こうやって話すと、あの時が一番しんどかったって思い出す」


「ご、ごめん」


「陶磁君が謝るの?」


「い、いや、だってさ」


 彼女はとても大丈夫そうに見えなかったが、こちらを気遣ってか小さく笑って見せた。けれどすぐにまた暗い顔に戻ってしまう。


「いいの、それが運命だったんだ。私には出来ないっていう」


「……その後は?」


「その後?」


「ほら、いじめてた奴とか、彼氏というか父親とか、椎倉さんのその後とか」


「あぁ……その、他の人は分かんない」


 それを聞くと、彼女はなぜか少し表情を明るくしていた。あははと笑うみたいにして、


「私、自殺したの。その後」



 *



 流産と聞いた時、想像以上にこの世に未練がなくなって自分でもびっくりしていた。


 そこからは溶けるように死ぬことが出来た。どうやって死んだかは忘れちゃったけど、痛かったことは覚えてる。


 でも、あれ、それじゃあここは死後の世界? そんなものあったんだ。もしあったのなら、会いたいな。お母さん、それに、生まれてこられなかった私の赤ちゃん。


 そんな時、声がした。


「……誰かいるの?」


「えぇ」


 実態の見えない人の声は、私の頭に響いてきた。まだ視界は真っ暗なまま。これが眠っているのか夢の中なのかさえ分からない。


「あなたは?」


「私は天使。可哀想な魂を救いに来てあげたの」


 中性的な声は、天使と名乗った。それを冗談でしょうと笑い飛ばせるような気分では無かったし、むしろ死後の世界で天使に出会えるなんて素敵だと思った。だから、私は疑うことなくその声と会話することにした。


「可哀想?」


「そうよ。貴方は恵まれなかったわね。お金に困らず、食べるに困らず、寝るに困らなかったけれど、自死を決意してしまうほどに追い詰められていた。恵まれていたのに死んでしまう、そんな人は可哀想でしょう?」


「……あまり自覚はないです」


「あらあら、それも原因の一つかもね」


 真っ暗な視界が、だんだんと真っ白に変わっていく。次第に見えてくるのは、天使らしきシルエットだけ。目が霞んでいるのか、よく見えない。けれど、男性か女性か分からない天使が、表情豊かに笑っているのだけ認識できた。


「それで、私をどこかに連れていくんですか?」


「いいえ、貴方にはチャンスをあげようと思うの」


「チャンス?」


「そう。もう一度、生き返らせてあげる」


「……どうして?」


「言ったでしょう。貴方は可哀想。そんな残念な人生に同情しているの」


 彼女の声は演技をしているみたいで、大袈裟だった。けれど私は冷静で。


「でも、そんなことしなくても。私はもう、死んでしまったので」


「ふぅん……やり残したことはないの?」


「やり残したこと……」


 それは、たくさんあった。けれどどうせ、どれも叶わないことだ。お父さん、お母さん、みんな揃って生きて行きたかった。それか、赤ちゃんがいてくれたら。ううん、恋人でもいいから、私は。


「あ、あれ……」


 私は、気付いたら涙を流していた。


「貴方のしたいこと、分かるわ。愛されたい、とびきりの愛が欲しいんでしょう?」


「わ、私は……」


 ふふ、と天使は笑う。まるで分かってましたと言わんばかりの口調で。


「私は愛を司る天使なの。だから愛に飢えた貴方を生き返らせることが出来る。ただし、一つだけ条件があるわ」


「……条件、ですか?」


 生き返る、という言葉にも正直実感はなかった。ただ、愛に飢えているのだと指摘されて、少しずつ胸の奥が痛むようだった。


「あなたは生き返った先で、皆に嫌われるの。そういう呪いと一緒に転生するのが条件」


「……嫌われる?」


「そう。つまり愛されない、ってことよ」


 正直、意味がわからなかった。けれどもう、これはきっと死んだ後の夢なんだって思いながら、話半分で聞いていた。


「……なら、意味ないんじゃ」


「そうね。けれど、だからこそ生き返った先で愛されたら、それは真の愛だと思わない?」


「真の愛?」


 彼か彼女か、その天使はまるで子供みたいに楽しそうだった。


「口先だけの愛なんて、面白くないもの。じゃあ何が本当の愛かって、考えたことある?」


 私は首を振った。


「もし相手が殺人鬼だって分かってたら、好きになるかしら。独裁者だったら、心から愛せるかしら。そういう当たり前を覆せる、想像を超えるのがあなた達、人間の面白い所。天使にも神にも予見出来ない、奇跡みたいな本当の愛の力。私はそれが見たいの」


「愛の力……」


「そう、例えば……生まれてくるはずだった貴女の赤ちゃん。その子だけは、貴女を愛してくれるかしら。それとも、王子様みたいな誰かが現れて、貴女を救ってくれるかもしれない」


 天使の言葉は、私の心を動かしていた。さっきまで絶望していた私が、諦めてこのまま成仏するだけだった私が、何かを求めている。


「どう、そろそろ気分が変わった?」


「そう、ですね」


「生き返りたい?」


「……はい」


「条件は分かってる?」


「分かってます」


「でもね、赤ちゃんから始められるわけでも、死んだ貴女が生き返るわけでもないの」


 天使はもう一つだけ、と指を立てたようだった。


「貴女と同じような子が、いるの。その子に転生してもらうわ」


「え? それってどういう……」


「それはなってからのお楽しみ」


 そうして指を鳴らすと、視界が暗くなっていく。


 私は、欲張りなんだろうか。同じような子、愛に飢えている子だろうか。


 私は、誰かが損して欲しくない。私の力で救われるなら、救われて欲しいと思う。けれど、心のどこかで求めて欲しかったのかもしれない。ううん、でも誰かが犠牲になるくらいなら、私が犠牲になりたい。


 でもその代わり、私を愛して。もしそういう人がいるのなら、私を見つけ出して欲しい。もしそんなものがあるのなら。


 本当の、唯一無二の愛の力を信じてみたい。


「それじゃあ、行ってらっしゃい。貴方の名前は、椎倉 時雨よ」


 段々と天使の声が遠くなる。そうして気づけば、意識が落ちていった。


 *


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