第23話 メアの絶望
彼女が話し続けていた数分、ずっと頷きながら、時折相槌を繰り返していた。しかし、遂にそれが途切れてしまった。彼女の発した台詞が、あまりに非現実的だったから。俺は耐えきれず、
「……今、なんて?」
聞き返すと彼女はもう一度、答える。
「……私は、一度死んでるの。天使に生き返らせてもらって、転生してここにいるんだ」
*
彼女は一人っ子で、人懐っこい性格の子供だった。両親とも彼女を可愛がって、不自由ない生活をしていた。
けれど小学校になって母親が病気になると、家庭が不安定になった。家事、家計の管理、手探りでも手伝うしかなかった。自分でやらないと、大好きな二人が苦しんでしまうのだから、と。
その分彼女は、依存した。食は細く、睡眠もあまり必要としなかったから、心の内側で増え続ける不安、焦燥感、愛情への飢えから、気がつけば異性に縋るようになる。特に、拠り所になるような大人の男性を探し求めていた。
中学生になると、それは顕著になる。元々人当たりが良かった彼女はすぐに現実で彼氏が出来た。その傍ら、彼氏との付き合いや家のことが上手くいかなくなると、インターネットでSNSを使って、話をしてくれる男性を探した。
「私、メアって言います」
「メアちゃんか、よろしくね」
彼女は外で初めて知り合った男性と食事をして、彼氏の愚痴や家でのことを話すようになった。
相談をして、言うことを聞いて、時にはアドバイスをしてもらった通りに彼氏と別れ、新しい人と付き合うこともした。
自宅やホテルに誘われることがあったが、それは流石にダメだと頭で分かっていたから、断っていた。
けれど、いろんな男性と会うたびに要求される。段々とうまく断れなくなっていく。
『毎回金出してるのはこっちなんだから、一回くらいホテルいいだろ』
『ね、本当に何もしないからさ。ちょっとだけだって。頼むよ』
『可愛い顔してるからって、男を弄ぶな……』
それが怖くなって、ついにその時の彼氏に相談してしまった。すると、人生で初めて思い切り顔を叩かれた。
「痛ッ……!」
「お前、清楚系かと思ったらクソビッチじゃねぇか、騙しやがって」
「や、やめて……離して!!」
「学校に言いふらしてもいいんだぞ」
「そ、それは……」
「なら、大人しくしろよ」
彼は激昂して、そのまま彼女を押し倒す。別れを切り出すのではなく、浮気をしたからと、彼女を屈服しようとした。それが彼女にとっての初体験だった。
*
その翌年、母親は亡くなった。
彼女はその彼と同じ高校に進んで、交際を続けていた。実際は別れさせてくれなかったのだろう。彼は美男子で、高校でもモテた。故に仕返しとばかりに浮気を繰り返しながら、都合が悪い時は彼女を呼び出して好き勝手振る舞った。
「……お父さん、大丈夫?」
「あぁ、平気だよ。ごめんな、心配掛けて」
父親は家では毅然と振る舞ってくれたが、日々疲弊していくのが分かった。父親は母親のことが大好きで、母親も同じだった。
彼女はその分、自分に注がれる愛が少ないことも承知だった。昔からずっと疎外感を覚えていたのだ。そのため、彼女は父親に相談する事もしなかった。
彼女は一人にならないようにと、模索した。そんな時、父親の書斎で見かけた本をきっかけに剣に興味を持ち、部活動の剣道に打ち込んだ。優柔不断な自分に喝を入れてくれるような、そんな剣と剣道が大好きだった。
「ごめんね、私が悪いんだよね」
彼に殴られるたび、同じ文句で謝っていた。彼女は自分の代わりに誰かが傷ついて欲しくない、他人の気持ちを察するのが得意だった。できることなら彼女自身が身代わりになりたいと思っていた。いろんな人の気持ちを悟って、苦しい仕事や嫌な仕事を引き受けるのも苦じゃなかった。その分感謝されることが、彼女にとっての価値だったから。
『私のせいで彼は傷ついた。裏切った傷が残っているんだ。それを埋めようとして、私を従わせたいんだよね……それなら仕方ないよ。私が悪いんだもの』
それが彼女にとって、彼氏からの愛情表現。歪曲していても、今の自分にはそれくらいの価値しかない。いや、その価値があるのだから、必要とされている。
けれど、DVが日常化していたある日。
「……もう、殴らないで。お願い」
「うるさい。お前が中学の時にやってたことを、バラすぞ」
「い、いや……違うの……」
「なんだよ」
「……赤ちゃんが」
「……は?」
そして、妊娠が判明した。途端に彼は掌を返して、彼女を捨てた。そしてあろうことか、彼女を捨てたのは中学のことが原因だとして、吹聴して回った。
『へぇ、〇〇さんってヤリマンだったんだ、意外』
『あの顔で結構やり手だったんだね』
『アイツも悲惨だったな、まさかビッチに釣られるなんて』
『いやいや、聞いたら三年も面倒見たってんだから、頑張ったほうじゃね?』
彼女は即座に、イジメを受けた。けれど、別にそれは苦ではなかった。何故なら、他に被害をうける人がいなくなったから。彼女は一人で人生を省みていた。
一人になった部屋で、彼女は呟いた。
「お父さんは、お母さんのことを埋めようと仕事を頑張ってるんだから、邪魔しちゃいけないよね。そんなこと分かってるけど……結局私のことを、誰も見てくれなかった。誰も愛してくれなかった。
ねぇ、お母さん。どうして私のことを置いて行っちゃったの。もっともっと二人でいろんなところ行きたかったよ。もっともっと二人に、好きだよって、愛してるよって、言ってもらいたかったのに。それだけだったのに。
でも、ここにいるの。ずっとずっと欲しかった、私の家族。私がこの子を愛してあげるんだ……何でもしてあげる。それで死ぬ前に一度だけでも、お母さん、愛してるって、言ってもらえたら、私はそれで幸せだから——」
彼女は、学校をやめて働くことを決意した。
最終登校日に荷物を揃えて教室を出ようとした時、黒板には心ない言葉ばかりが並んでいた。けれどもう、彼女の心にそれは響かなかった。
と、教室を出ようとした瞬間に、何かに躓いて転んでしまった。思い切り顔から倒れ込み、体が廊下の床に打ち付けられる。それを見てクラスの不良たちが手を叩いて喜んでいた。その内の誰かに足を掛けられたらしい。
痛みに耐えながら、ふと思い出すようにお腹を抑えた。
”ダメ、この子だけは。無事でいてくれますように”
そう願った。けれど。
「おい、こいつ腹守ってるけど」
「あぁ、あれだろ。アイツの子供」
「あぁ。こんなビッチから生まれてくる子供なんてロクなもんじゃないし、産まないでくれた方がいいと思うんだけど?」
「そうそう、流産してくれたらいいのに」
「なら、こんなのはどうだ? 確かアイツサッカー部だったし。俺のスーパーキックに耐えられたら、見事将来有望サッカー選手、ってね」
起き上がろうとして、数人の男女が盛り上がっているのが見えた。そしてその台詞を聞いて、思わず青ざめた。
「や、やめて……それだけは、それだけはやめて……」
「まあ見てろって。俺の華麗なキックを」
「やっちまえ!!」
「い、いやぁあ!!!」
グッ、と差し込まれた上履きが彼女の腹部に減り込んでいった。彼女は一瞬呼吸が止まって、腹部を抑えながら悶えてしまう。過呼吸になって、そのまま涙を流して呻く。
「はっ、はっ、はっ……赤、ちゃん……ッ、私の、赤ちゃん……」
間も無く教師が来て、彼らはその場を去っていた。
しかし、翌週。
——産婦人科に行った時には、流産が判明した。
*
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