第22話 彼女の部屋とシャワーの音

「……ごめんね、こんなところで」


 そこは自宅の裏山に建てられた小屋だった。自宅から急な坂を上がって、獣道を通って十分くらい。確かにここなら人気もない。


 簡素なワンルームで、キッチンやシャワー、トイレは付いているし、電気や水道もある。どういうわけでこんな場所を見つけたんだろうとか、聞きたいことは山ほどあった。


 お互い水浸しになった服を軽く絞って、部屋に入る。


「……ごめんね、替えの洋服ってほとんどないから」


「あぁ、大丈夫。タオルでいいよ」


 そう言いながら、頭を拭いて上の服を脱いだ。ふと彼女の方を向くと、スカートもトップスも体に張り付いていて、スタイルのいいラインが露わになっていた。思わず喉を鳴らしてしまうも、すぐに目を逸らして部屋の隅にあったストーブに目をつけた。


「これ、使える?」


「あぁ、うん。多分使えると思う」


「じゃあ、これ借りるよ」


 ストーブを使うにはまだ早い時期だったが、身体中冷えていた。それに脱いだ服を少しでも乾かさなければと思い、上の服に次いでズボンも脱ごうと思って、ふと彼女の方を見た。すると、ちょうど彼女もトップスを脱ごうとしていたところで、慌ててお互い目を背けた。


「ご、ごめん」


「わ、私の方こそ。あ、えっと、そうしたら私はそのまま、シャワー浴びてくるね」


「わ、分かった」


 辿々しいやりとりの中、彼女が背後を通り過ぎていく。あ、そういえば傷は平気なのか。シャワーに入る直前、足を引きずっているのが目に入って、思い出したように声をかけようとするが、彼女の足には大雑把に布が巻かれていた。既に血が滲んでいたが、なんとか止まりつつあるのだろうか。いや、そんなことよりも。


 水が滴る髪の毛、濡れたうなじ、透けて見えるブラの紐。それぞれが目に入ると心臓が撫でられたような気がして、声をかけることが出来なかった。


 やがてシャワーの音が聞こえてくる。ユニットバスでトイレも同じ場所にあった。壁が薄いせいか、水の当たる音が妙に耳に入って、どうにも落ち着かない。彼女の傷のことやこれまでのこと、色んなことが気になる中で、思わずあらぬ想像をしてしまう自分が情けないと思った。


 彼女が視界から消えて、下着以外を脱いでよく絞る。そしてようやく点いたストーブに申し訳程度に衣類を乗せて、バスタオルを下に巻いて時間を過ごしていた。


そうだ。思い出したようにスマートフォンを取り出すものの、電池が切れていた。いや、まさか壊れてないよな? 生活防水のはずだけれど、流石にこの雨に耐えられなかったのか。分からない。とにかく理於や甘たちとは連絡が取れない。


 ひとまずは椎倉さん、彼女の安全を確保して、話を聞いて、方針を立てる。それから……先のことは分からない。賢かったら元々こんな風に生きられてないんだ。


 窓に叩きつける雨は依然として強く、今にも家の中へと入り込んで来そうだった。


 あまり物色しては悪いと思ったが、彼女の裸を想像しないためにも部屋を眺めて回る。すると、年季の入った手拭いに包まれた箱が置いてあった。


「……なんだ?」


 そっと手拭いを外して、おそらく桐で出来た箱を開けた。そこには鞘付きの短剣が入っていた。サバイバルナイフにしては、流石に古風すぎる。


「……いや、これ本物?」


 彼女の部屋には趣味と言っていいものがほとんどなくて、生活に最低限なものしかなかった。いや、それすらも揃っていない。


 調理器具は最低限で、冷蔵庫とフライパン、鍋。電子レンジもなければトースターもない。パッと見る限りでは数冊の本。リビングというか、部屋の中心部分には一切何も置かれていない。一人用の押入れに、日用品や衣類関係が入っていそうなものだ。


 そんな部屋の片隅にポツンと置いてあったのが、短剣。彼女が言う、拠り所みたいなものなのか。だとしたら勝手に触るのは悪いことをしたと、すぐに元の箱に戻そうとする。


「あ、あのごめん陶磁君、その、タオル取ってもらっていいかな」


「え!? あ、わ、分かった。ど、どこ?」


「えっとね……あっ、それ!!」


「え? あぁ、いやこれは!!」


 気づけば彼女がバスルームから顔だけ出して、タオルを要求していた。けれど俺が短剣を触っているのが分かった瞬間、彼女は指差して飛び出してきた。


「ちょ、ちょっと待って椎倉さん!!」


「危ないから、これ。……真剣なの」


「そ、そうなの? ……じゃなくて!!!」


「え? あ——ッ!!!!」


 短い悲鳴と共に、彼女は急いでタオルを抱えて、まるで見つかった野良猫みたいに一瞬でバスルームに戻っていった。俺は目のやり場に困ってすぐに目を伏せたものの、至近距離で見てしまった。


「ご、ご、ごめんなさい……見たくもないものを見せてしまって……」


「い、いや……こちらこそ……」


「わ、忘れて?」


 彼女が服を着て戻ってくるが、気まずい。風呂上がりだからなのか、彼女は顔を赤く染めていた。見たくないかと言われたら、見たい。それは本当に申し訳ないと思ってます。忘れてと言われて食い気味に頷く。でも、ちょっと、忘れられそうにない。


 そんな邪な気持ちをグッと抑えて、彼女の足の布に目をやれば、少しは落ち着きを取り戻せる。


「傷は平気? 少しは良く……なるわけないか」


「あ、う、うん。でも、血は少しずつ止まってきてたから」


「それならいいんだけど……それでえっと、何から話をしようか」


「そう、だね。あ、でも陶磁君シャワー」


「いやいいよ、どうせ着替えもないし。それに……椎倉さん、あまり血が止まらないなら病院探さないといけないし」


「そう……? でも病院は、多分平気」


「……なら、話を先に聞いてもいい?」


「あ、うん……分かった」


 そう言ってから彼女と向き合い、話を聞こうと向き合う。


 雨が打ち付ける音。季節外れのストーブの匂い。風呂上りの彼女の髪はまだ乾いていなかったけれど。


 さっき見せてくれた照れた表情とは違い、何か思い詰めるような表情だった。やがて彼女の決意が固まったのか、周りの音は消えて彼女の声だけが二人きりの部屋で反響していく。


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