第20話 罠

 重く、破裂するような音が二つ教室に響いた。教室の後ろ側にある黒板が丸ごと倒れてきたのだ。確認したら、教室の前も。


 すんでのところで彼女を押し倒して、俺たちは黒板の下敷きにならずにすんだ。ちょうど黒板は教室の机につっかえて、俺たちはその陰に隠れる形で事なきを得た。


「はぁ、はぁ……大丈夫、椎倉さん」


「な、なんとか……でもどうして、黒板が……」


「……偶然にしてはおかしいよな。って、ご、ごめん」


「あ、ううん……」


 彼女の覆い被さるような体勢になっていて、すぐに退いて黒板の下にしゃがみこむ。彼女も続けてスカートを直しながら、頭上の黒板をおそるおそる眺めていた。


 甘の言うことが正しかったかもしれない。まだ通話はつながっていて、スピーカー越しに不安そうな声が聞こえるが、次に何が起こるか分からない恐怖で、応対している余裕はなかった。


「悪い、甘。また掛ける。すぐ帰るから、理於のこと頼んだ」


そう言って通話を切る。とにかくここを出た方がいい、そう直感していた。


が、次の瞬間。


パァン!! パリンッ……。


「きゃあああ!!」


「な、何だよ次は」


 蛍光灯が割れる音。少し遅れてその破片が落ちてくるのが分かった。幸い黒板が盾になって、怪我はない。流石に銃撃、じゃないよな。でもやっぱりこれは、仕組まれたものだ。怪奇現象にしちゃ出来すぎてる。


「……とにかくここを出よう、椎倉さん」


「う、うん」


 そう言って黒板下から這い出るように、頭上にも気を配りながら忍足で教室を抜けようとする。扉を開けてから彼女の声小さな悲鳴が聞こえた。


「大丈夫?」


「ご、ごめん。足がちょっともつれて」


「慎重に行こう、じゃないと……ぐぁッ!!」


「陶磁君!?」


 突然走った痛みに、何が起こったか分からなかった。痛みの元を辿ると、左肩に血が滲んでいた。ナイフで切ったような跡。床を見ればナイフが転がっている。


 よく見ると扉にテグスが張られており、これも仕組まれたようだった。先にこちらの扉から入ってきていたら、思い切り刺さっていたかも知れない。


「……殺す気かよ」


「陶磁君……」


「俺は大丈夫。でも、ここまでしなきゃいけないのかよ……」


 彼女の手を見ると、小さく震えていた。俯き気味になって、いつものような元気はない。


「……私ね、実は言われてたんだ。校長先生にも、本当に入学するのか、って」


「え?」


「私には、選択肢がなかったから。そうしたら、どうなってもしらないぞ、って」


「……マジかよ」


 彼女は目を潤ませて、項垂れていた。


「さっきの陶磁君の話もね、木曜日の夜に……もしかしたらって思ってたの。自宅に手紙が届いてた」


「手紙……?」


「『ゴキブリの仲間もまとめて駆除してやるよ』って。これってきっと、陶磁君や、その家族のことも言ってたんじゃないかな……」


「……やっぱり、外の連中には害虫にしか見えてないってのか」


「それに、SNSのリンクも書いてあった。私はスマートフォンがないから見れなかったけど……もしかして、私のことが拡散されてるの、かも」


 彼女は懺悔するみたいに、早口でそう言った。声も震えていて、当たり前だが慣れているで済むような状況じゃない。まさかと思ってスマートフォンのSNSアプリから彼女の名前で検索をかける。


 今のところ、何も拡散されていないように見えた。が、一件のツイートに目が留まる。


『椎倉時雨の件は教育委員会に苦情申請完了。直に駆除されるでしょう』


 1日前のツイートで、アカウント主は不明。けれど、説明欄にはうちの高校の名前があった。これが本当だとしたら、教師も第三者もグル? 


 嫌な記憶が蘇る。あぁ、そうだった。淘汰してもいい、共通の敵が出来さえすれば、事実なんて関係ないんだった。アイツは悪者だ。それならあの悪者と結託する奴だって、殺したっていい。そういう正義っていう名前の悪意に俺たちは虐げられてきたんだ、痛いほど分かってる。


 最早ここにいたら殺されたっておかしくない。言われてみれば金曜日になって教師が気がつく様子も、彼女へのいじめを止める行動もなかった。何であの時におかしいって気づかなかったのだろう。甘はそういうことまで知っていたのかもしれない。


パッ。


「なっ……次はなんだ、停電? おかしい、こんな時間に」


 教室から廊下までの電気が消されていく。外は土砂降りになっていたせいで、まだお昼過ぎなのにほとんど校内は真っ暗だった。


 何かされる前に、逃げないと。場合によってはツイートを見た野次馬が集まってくるかもしれない。野次馬ならいいが、最悪実行犯が来たら丸腰の俺たちになす術はない。


「走れる、椎倉さん?」


「う、うん」


 スカートの彼女に無理を承知で、お互い早足で廊下を抜けていく。またナイフや他の罠があってもおかしくない。


けれどそれ以上の罠は無かった。昇降口に辿り着くと、外は土砂降りのまま。


「いつの間にこんな降ってんだよ……」


 校庭も水溜りが出来、一歩踏み出せば泥まみれだ。彼女の格好は、それは俺のためか分からないが、デートだけあって大事な服だと思った。けれど、今にも背後にナイフを持った男がいる気がして、呟く。


「……このままここにいる方が、危ない気がする」


「行こう? 陶磁君。私もそう思う。それに……妹さんたちも心配、だよね」


 彼女は自分を戒めるように言った。彼女を責めたくはなかったが、確かにその通りだった。今は甘に任せてるから幾分安心だったが、それでも女子二人だ。何かあれば抵抗のしようもない。


 けれど、それならどうすればいい。彼女とこの土砂降りの中駆け抜けて、俺たちはどうすれば。


「……うん。あ、けど椎倉さんは……」


「……いいよ、私のことは。もう、仕方ないよね。みんな気づき始めてる。私が嫌いで、嫌われるべき存在で、愛す人は誰もいない。それならやっつけろって、その声がどんどん大きくなってるのがわかる」


「けど、良いって言ったって」


「……陶磁君、付き合ってくれたでしょ、今日。だからそれでいいの、もう」


 彼女は無理して笑っているように見えた。たった五日間と半日一緒にいただけなのに、その笑顔を見ているだけで苦しかった。それでも彼女は、最初会った時のような静かな微笑みを崩さなかった。


 彼女は俺のことを思って、告白の返事をしないのだろうか。これ以上巻き込むまいと、俺の気持ちを知って尚、突き放そうとしてくれているのか。そんな自惚れた感情が湧いてくる。けれどこの際、自惚れだっていい。だからって、彼女をこの世界から救い出せる方法なんて、あるわけもない。


 俺に出来ること。そうだ、俺は妹を守らないと。自分の無力さに、嫌気が差した。けれど、憂いてる時間も感傷に浸ってる時間も惜しいんだ。そうして自ら土砂降りの中に飛び込めば、あっという間に濡れてしまう。


「……行こう」


 彼女を先導するように、校門に向かって走った。そうして学校を脱出する。


——が、通り抜ける寸前、細いワイヤーが足元に張られているのに気がついて、咄嗟に飛び越える。瞬間、振り返って叫んだ。


「危なッ……椎倉さん!!!」


「え——」


ドサッ。


 土砂降りの中、彼女は鈍い悲鳴を上げて倒れた。

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