第17話 束の間の幸せ
「ねぇ、陶磁君」
金曜日の帰り道、別れる間際に彼女に呼び止められた。
「あのさ、こんなこと言うのずるいって分かってるんだけど」
彼女は申し訳なさそうにしながら、いつも見せないような表情で提案してきた。
「明日、デートしない?」
「え?」
「あ、あのね。前に言ってたでしょ、剣豪がどうとか……そのイベント、展覧会が駅前であるらしくて。その、私一人で行ってもいいんだけど、周りに人がいると……」
「あ、あぁ、なるほど」
そう言えば彼女が他の第三者と会話をしているところを見たことがなかった。ただ、匂いにまで影響されるのだとしたら、通行人なら彼女の気配を察して別の道を選ぶようにしているのかもしれない。往々に罵声を浴びせられ、物を投げつけられることだって、あったかも。けれど、買い物とかはどうするのだろう。他人からみて、接客するのは仕事だからと割り切って我慢できる程度の嫌悪感なのだろうか。
とにかく、彼女は普段その手のイベントに行きたがらないらしい。確かに子供がいた時、阿鼻叫喚になるイメージが湧かなくもない。だからといって、付き合ってもいないのにデートをしていいのか。経験不足で答えが出ない。
そう思って、もう一度彼女の方を見た。けれど、それ以上何も言ってこない。俺の回答を待っているようだった。
俺が告白をして、その返事待ちなはずなのに、どうしてこうも三次元の恋愛は難しいんだと二次元脳になってしまう。ただ、少なくともマイナスの感情を持っていたら休日まで一緒にいようとは思わないだろうから、ポジティブに考えるとして。
「……わかった、俺でよかったら」
「本当!? よかった。あ、でも本当にいいの? 陶磁君、別に剣とか興味ないだろうし……」
「いや、いいんだって。さっきも言った通り」
なんて、自分で蒸し返して照れ臭くなってしまう。彼女もその言葉で分かったのか、なんとも甘ったるい空気になってしまって。
「う、うん。それなら、お言葉に甘えるね。それじゃあ、駅前に10時でどうかな」
「分かった、大丈夫」
「……嬉しいな。男の子と出かけるのははじめてだから」
また彼女はそういうことを言う。彼女のこういう男たらしな部分はきっと、天然なんだろうと最近分かってきた。嫌われる呪いだかなんだかがなかったら、とっくにクラスのイケメンに攫われていただろう。
「……お、俺も楽しみにしてるよ」
「うん、私も。それじゃ、また明日ね、陶磁君」
その時はもう、喜びの表情はほとんど隠せていなかったと思う。夕暮れ時で彼女の笑顔がいつもより赤く染まっていたように見えた。
俺はいつも通り彼女がいなくなってから、静かにガッツポーズをした。デートだ、この俺が、女の子と。まだ付き合ってないけど。
*
そうして記憶を遡って時計を見れば、今は九時半を回ったところだった。
迂闊にも彼女の連絡先を聞くのを忘れていた。クラスのグループにも入っていないし、電話番号だって知らない。となれば直接駅前に言って断る他ない。
今一度昨日のことを思い返した。理於は幸い落ち着いて、まだ寝静まっている。甘に連絡をしたらお昼ご飯を持ってくるついでに、それとなく症状を見てくれると言っていた。
と同時に、俺がすぐ椎倉さんの所から戻ってくることまで、監視したいのかもしれない。八方塞がりで、寝不足が加わって頭が痛くなる。
「……行くか」
本来ならウキウキ気分でのデートのはずが、心はとんだ雨模様だった。実際天気も薄暗い曇りで、今にも雨が振り出しそうだった。
そうは言ってもいつも目隠しで選ぶようなダサすぎる服で彼女に会うわけにもいかない。家にあった一番まともな服を選んでから、ほとんど使ったことのない玄関の姿見を見て、これ以上どうにもならないと諦めて駅に向かう。
「あ、陶磁君」
「お待たせ、椎倉さん」
彼女は先に駅前に着いていた。時間は九時四十五分。黒のロングスカートにブラウンのトップス。小ぶりな鞄の組み合わせで、これまで意識したことのない現実の女子を体感していた。要は、めっちゃ可愛いかった。
って、そうじゃない。本当に悔しいが、断らなければ。昨晩のことが頭を過ぎる。どう切り出そうかと考えていたら。
「少し早いけど、行こう? もう展覧会始まってるみたいなの」
「あ、あのその、椎倉さん」
彼女にしては珍しく、足早だった。目をキラキラさせて、まるで遊園地についた子供みたいにする彼女を見て、喉まで出掛かった断りの文句を飲み込んでしまう。いや、それは不味いんだ。なんて思っていたら、不意に手を握られて。
「……こうした方が、不自然じゃないかなって思って」
「あ、いや、まあ……」
思わず口籠ってしまう。不自然ではあるんじゃないですか、椎倉さん。いや、初々しいカップルって案外こんなもんなのか? 心拍数はわかりやすく上昇、手汗が滲み出てくるのが分かる。またいつかみたいに挨拶がわりにこんなことしてくるのかと思いきや、中々に顔を合わせてくれない彼女は、どこか照れているようにも見えた。
そうやって俺は熱に浮かされて、強力な麻酔でも打つみたいに、昨日の痛みを忘れようとしていたのかもしれない。
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