第15話 天罰
「……ふーくん、甘じゃ嫌?」
「い、嫌とかそういうんじゃないが、お前今日おかしくないか?」
「ふーくんがおかしいの。三次元の女の子に興味なかったのに、変だと思わない?」
「……まあそりゃ」
「ううん、椎倉時雨が、おかしいの。ふーくんは私の知ってるふーくんだよ。……ふーくんだって、おかしいの分かってるでしょ?」
彼女の聞き慣れた声で、少し自分も落ち着いてくる。確かに、全く疑わないわけでもない。けれど今更そんな疑いを掘り起こしたって、どうなるんだ。彼女を彼女と認識できるのは事実、俺だけなんだから。
「ふーくん、あんな気持ち悪い子の所に行かないで。甘と一緒にいよう?」
「いやだから、俺は別に死ぬわけでもないし、椎倉さんは」
甘は少しずつ艶やかな声を出しはじめている気がする。そんな器用な真似ができるわけないので、これは元々の天然。ただの甘えん坊なら、それでもいい。けれどもう甘は十六で、いい女子だ。
いい加減、無理やり起き上がって剥がしてもいい。けれど、可愛い幼馴染に押し倒されるイベントを味わっていたい下心が拭えない。椎倉さんに告白しておいて、情けないと思わないのか。一種の浮気だろ。純粋無垢な脳内の童貞は口々にそう叫ぶ。というかそもそもここにいたら理於が帰ってきた時にまず——
「甘と楽しいことしようよ。いいでしょ? 甘はいいよ、ふーくんなら。だからあの子のこと、諦めて欲しいの」
思わずぞくっとした。耳元でそんなこと、どこで覚えてきたお前。
「ど、どこで覚えてきた、そんな言葉。いいからもうどけ、甘」
魅力的な提案だ、じゃないじゃない。今の甘はどこか普通じゃない。もういい加減帰らせないと、そう思った時。
「じゃなきゃあの子、殺しちゃうよ」
その言葉に、思わず手が止まった。殺す? 聞き間違いか。あの甘が。
『教えてくれなきゃ、理於ちゃんに言いつけちゃうよ』
小さい時からの、彼女の常套句。可愛い可愛い脅し文句で、何度もはいはいわかったよと承諾してきた。
今日のそれも、同じ表情だった。少しだけ悪戯に微笑んで見せて、むしろ得意げにそれを言って見せた。お使いでも行ってくるみたいに、簡単に。
俺はゆっくり起き上がって、甘もそれに従うように玄関に座り込んだ。俺も同じ目線で、確認するように甘の目を見据えた。
「……殺す、って」
「ふーくんのためだもん」
「……わかった、わかったよ。諦める。だから今日はもう帰れ」
「それにね、理於ちゃんのためでもあるんだよ?」
「理於?」
「椎倉時雨とふーくんがもしそういう仲になったら、きっとふーくんは耐えれるかもしれないけど。その時、理於ちゃんが狙われたら?」
「ッ——!!!」
甘に言われた瞬間、全身に鳥肌が立った。脂汗が滲んで、思わず生唾を飲み込んだ。理於を守る。そうだ、そんな根本的なことが抜け落ちてた。
椎倉さんのことは未だ、何かの間違いだと思っている。けれどもし、これから先も甘が言うように、周りからは”おかしい”という認識が続いたとしたら?
俺がこの先で椎倉さんと付き合うだとか、距離が縮まっていくとして。それを隠れて交際するのは限界がある。それがどこかで知れた瞬間、身代わりになるのが妹である理於……その可能性は十分にある。
……理於をそんな目に合わせるわけにはいかない。絶対に。
「……わ、分かったよ」
「それに、ね。あの時のことで、理於ちゃん今でも話してくれるよ。ふーくんに、本当に感謝してるんだ、って」
「……そう、か」
「面と向かっては言わないけど、きっと家族以上に信頼して、一番好きなのはふーくんだ、って。きっと、兄妹じゃなかったら、結婚したいって思ったんじゃないかなぁ」
「そりゃまた、怖い話だな。理於に言ったら殴られそうだ」
「そんなことしないよ。理於ちゃんは、ふーくんのこと好きだよ。甘も二人さえよければ、別にいいかなって思うくらい」
「……唯一の、家族だからな」
「ふーくんが本当に困ったら理於ちゃん、多分お願いしたらエッチなことも許してくれると思うけど」
「いや、それは遠慮しておく」
彼女は冗談を言わないので、それは本当に近いのかもしれないが、流石にそういう目では見られない。ただ、理於との過去を思い返せば、それだけの絆があってもおかしくはない、とは思うが。
今はそういう下世話な話よりも、甘に言われて想像してしまった、理於の不幸な将来だけが頭にこびりついていて。
「……それじゃ、甘は帰るね。でも、ふーくん」
「あ、あぁ。なんだ?」
甘はさっと立ち上がると、いつものようなふんわりとした表情に戻った。かと思ったが、また一瞬目のハイライトを消したように。
「……もう手遅れかもしれないから、気をつけて」
「え?」
「本当にあの子のこと諦めないと」
「……椎倉さん、だろ。分かったよ」
「うん。それじゃあ、おやすみなさい」
甘はそれだけ言い残して、帰って行った。俺がまだこの後に及んで椎倉さんに未練があるとか、下心があると思ってるのか。
いや、あるに決まってるだろ。下心はともかく、初めて想いを持てた人なんだ。自分を変えてくれた。だから、なんとかして両立する方法を考えるんだ。それでなんとか、うまくやっていこう。そうすれば甘も納得してくれるはず。
そう思って玄関の電気を付けて、リビングの電気も付けた瞬間。
「きゃああああああああああ!!!!」
「な、なんだ!! 理、理於!? 帰ってきてたのか?」
リビングの隅で丸くなっている彼女がいた。真っ暗な部屋の中にいたせいか、全く気がつかなかった。というか、俺たちに気づかなかったのか。
その理由は、すぐに分かった。俺は雷に打たれたみたいに、先の甘の言葉を思い出しながら絶望していた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「理於、大丈夫だ。俺だ、お兄ちゃんがいるぞ。平気だ」
「あ、あぁあ……やだ、やだやだやだ、やだよ……!!! うわぁああああ!!」
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