第11話 唯一の味方

 *


 次の日、早めに学校に着いた。彼女の椅子を見れば、ボンドのような物が塗りたくられていた。誰の仕業か知らないが、昨日の今日で学習しないのか。俺は落胆しながら、どうするべきか考えた。

 

 ひとまず雑巾を濡らし、ベッタリと付いたボンドを出来るだけ拭き取っていく。この間にも首謀者が陰から見ているんだろうと思うと、正直ドキドキしていた。いつかのトラウマ、蔑まされる恐怖。けれど、今日は違う。俺のためじゃない、彼女のためなら耐えられると言い聞かせて。


 あとは乾拭きをして、というところで十郎が登校してきた。挨拶をするのかと思いきや、急に不快な表情を隠すこともなく。


「フ、フミヤン……その、前から言おうと思ってたけど……なんで平気なの?」


「あぁ、十郎か。俺も聞こうと思ってたが、何で椎倉さんのことをそんなに怖がるんだよ」


「いや、怖がる、っていうか……直視できないでしょ、あんなの」


 いくら友達の十郎でも、あんなのと言われればムッとしてしまう。けれど十郎はそれを本気で言ってる。つまり、彼女は明確に嫌われているんだろう。


「俺は話が出来てるけどな。それについてはどう思うんだ?」


「そりゃ、はじめは冗談だと思ったけど……その、フミヤンのゲテモノ趣味が開花したのかな、とか? でもそういう次元じゃないって……」


「まあ、お前からどう見えてるか分かんないけど、俺は別に気にならないから」


 諦めるようにそう言って、淡々と椅子を拭き進める。そこで十郎が珍しく息を荒げ、俺の腕を止めた。


「や、やめといた方がいいって、マジで。絶対にあの子はそのうち、いなくなる。だって、みんな我慢できないって言ってる。隣のクラスだってそうだ、もう皆我慢の限界だって」


「……なんでだよ」


「な、なんでって……むしろ、どうしてフミヤンは……」


「さぁな。俺だけおかしくなったのかもしれないけど、それならそれで好都合だから」


 十郎の手を振り解いて、椅子の掃除を完了する。彼は彼なりに気遣ってくれたんだろう。けれど、だからって彼女を見捨てていい理由にはならない。このまま彼女を見捨てれば、彼女はなぶり殺されるんだろうか。だとして、そんなこと耐えられない。


 十郎は無駄だと分かったのか、バツが悪そうに自席に戻った。そしてしばらくしてから、椎倉さんが登校してきた。


「おはよう」


「陶磁君、おはよう」


「なんか今日のテスト、来週になるらしい」


「え、そうなの。勉強してきちゃったのに」


 彼女と何事も無かったかのように話す。彼女もまた、それを了承してくれたみたいで、気を遣う事なく話してくれているようだった。


 瞬間、周りからの視線が痛いことに気づく。けれど、気づかない振り。彼女がどう見えてるか分からないが、俺のことはこれまでクラスメイトとして認識してたはずだ。ぼっちの陰キャで、そこに存在してないようなもんだったとしても、人間としてはカウントされてるだろ。それなら、理不尽な暴力やいじめは起こらないだろうと踏んだ。


 何より、彼女と話せるのは俺だけで、彼女の美貌を理解できてるのは俺だけだってことが、優越感だった。もし俺の目がおかしくなってて、周りから見たら彼女の顔がカマキリみたいになってたら、それはその時だ。今この瞬間、これまで関わってきた彼女は、紛れもなく美少女なのだから。


 *


 昼食も彼女と一緒に取るようになった。ボディーガードという名目で、取り付けた。あんなに自信がなかった俺が、成長したなと褒めてやりたい気分だった。


 彼女は自作のお弁当。俺は買ってきた惣菜パン。中庭だと目に付くからと、屋上に向かった。


 こんなところで彼女の作ったお弁当が食べられたらな。何回アニメやらエロゲやらで妄想してきたことか。そんなことを噛みしめながらコロッケパンを味わっていると。


「あのさ、よかったら陶磁君の分も作ってこようか、お弁当」


 俺は思わずパンを吹き出しそうになった。


「え? え、俺に? 椎倉さんの手作り?」


「そ、そう。あんまり上手じゃないけど」


「あ、いや、そんな。いや、それは嬉しいけど、大変じゃ……」


「大丈夫、一人分も二人分も、変わらないから」


 そ、それならと口籠って答える。内心ではガッツポーズ。美少女からの手作り弁当。明日が楽しみで仕方ないし、昨日も今日も美少女と二人きりの学校生活だ。いつから俺は、こんな主人公みたいな生活を送れるようになったんだろう。日頃から慎ましく過ごしていた見返りだろうか。


 なんて陽気なお昼を過ごしていたが、その日もそんないいことばかりではなかった。



 休み時間から戻ると、また執拗な嫌がらせが起こった。直接的に物を投げてくる奴もいたが、俺は出来る限り彼女の盾になった。


「おい、やめろって」


 名前も思い出せない男子は舌打ちをしてすぐに消えていった。正直内心ビビってたが、言えてしまえばなんて事はない。


「ご、ごめんね」


「いいんだよ、こんなの。どう考えたってやる方が悪いだろ」


 そうして大抵の場合、男子女子どっちにしても軽く注意するだけで収まった。彼女が一人でいる時を狙ってくることもあったらしいが、流石に前のような刃傷沙汰にはなっていない。その度に心配して声を掛けると、彼女は申し訳なさそうにする。


 結局その日は大事にはならなかったものの、彼女を取り巻く環境が変わることはなかった。


 *


「怪我、大丈夫?」


「あぁ、全然。昨日のハサミに比べたら」


「あれは痛かったよね……」


「って、気にしないでよ? そうしたいって決めたのは、俺なんだし」


「まあ、そうだけど……」


 ボールをぶつけてくると言う初歩的で稚拙なやり方だったが、実際身構えていないとそれなりにダメージを食らう。その時は思わずよろけてしまい、机にぶつけて腕に軽くアザを作ってしまう。


 その程度、正直痛くも痒くも……って、正直俺は体育会系じゃないので痛くはあったが、苦では無かった。どちらかと言えばいつまでも彼女に気を遣わせてしまうのが申し訳なかった。


 でもそれは、俺が彼女にとって、単なるクラスメイトでしかないからだ。彼女にとって、俺はどういう立ち位置なのか。転校前はこんな風に嫌われていなかったかもしれない。味方だっていたかも。


 けれど、彼女は見つけにきた、と言っていた。嫌われないように、とか自分を変えたい、とかじゃなく。それは、寄りかかれるような存在が欲しいとか、守ってくれる存在が欲しいとか、平たく言えば恋人……そんなのは俺の都合の良い解釈か。


 そうして昨日と同じ。また分かれ道に着くと手を上げて。


「それじゃ、また明日」


「……あの、陶磁君」


「うん?」


「辛くなったら、いつでも言って。私は慣れてるから」


「……」


 慣れてる——


 彼女はそう言って、心配そうな表情を浮かべた。俺は純粋にショックだった。


 これだけ体を張っていても、彼女に寄りかかってはもらえない。いや、冷静に考えてみたらそうだ。ポッと出の陰キャラが一日二日頑張って、あからさまなポイントを稼ぎをした所で英雄になれると思ったのか。


『文也君、ありがとう。いつも助けてくれて。大好き』


 なんて、言われると思ったのか。本当にアニメとマンガの見過ぎなんだよ。俺は彼女を助ける自分に酔っていた。彼女から言われた言葉で目が覚めた。それが悪意のない本音だからこそ、俺自身自惚うぬぼれていたんだなと悲しくなった。


「……大丈夫。椎倉さんが頼ってくれるように、もっと頑張るから」


 言い訳みたいだと言ってから気がついて、それを捨て台詞みたいにして足早に彼女と別れた。


 彼女に気を遣わせた。だって、常に学校で無視され、いじめを受け、あわや殺されかける。そんなの慣れるわけない。慣れたとしても、受け入れたいと思わないだろう。


 なのに、それを共有出来る立場にないことがすごく焦ったくて、浮き足立ってる自分を恥ずかしく思った。俺はまだ、彼女の唯一の味方になれてないって事なんだろうか。


 隠れていた劣等感がまた顔を出し始めていた。


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