第三話③
ぽつぽつと会話を続けるうちに大通りを抜け、町の中心に位置する広場へとたどり着いた。広場を挟み、正面にどっしりと鎮座する建物は、先ほど遠目で確認した領主邸宅である。
この一帯は大通り以上に物々しい様子で、装備で身を固めた兵士や、武人らしき人々の姿があちこちで見られた。しかも身につけている紋章や装備がことごとく違う。彼らは、異なる領や組織に属する武人というわけだ。
「……東部連合」
私のつぶやきに、リコくんがうなずいた。
「そうみたいですね。……二週間前は、こんなじゃなかったのに。まるで町が占領されたみたいだ」
薄汚れた旅装束の三人組は、広場の中で明らかに異質だった。行き交う兵士たちは、領主邸宅へと足を進める私たちに
そしてとうとう、一つの影が私たちの前に立ちはだかった。
「おい、
体格のいい男性だった。背丈はアドラスさんより高く、
そのねっとりとした視線に
「見かけない顔だが、お前は何者だ?」
男の視線を遮るように、アドラスさんが私の前に進み出る。
怪しい一行に声をかけたはずが、逆に身元を問われて男は顔を
「俺は騎士ボラードだ。この度は東部にてエミリオ皇子生存との
得意顔で胸を張り、こちらの様子をうかがう他の兵士たちに視線を送る。どうやら今の名乗りは、周囲へのアピールでもあったらしい。
「軍部顧問だと。なんだそれは」
アドラスさんは
「まあいい。伯父上──グレイン卿と面会したい。『アドラスが戻ってきた』と今すぐ伝えてくれ、責任者殿」
「アドラスだぁ?」
ボラードは無遠慮にアドラスさんを眺めると、「ふん」と鼻で笑う。
「エミリオ皇子殿下のことを言っているのか? 殿下なら現在、各地の有力者に結束を呼びかけるべく、東部を遊歴中だ。もう少しましな噓をつくべきだったな」
「遊歴? そういうことになっているのか」
「殿下の名前を
ボラードは
予想外の手応えに、ボラードはわずかに
「だめだ、話にならないな。騒ぎを起こすのも面倒だ。領兵も見当たらないし、詰所の方に移動するか」
「アドラス様にしては、珍しく冷静な判断ですね」
「俺はいつも冷静だぞ」
アドラスさんはリコくんと軽口を交わしつつ、くるりと反転して来た道を戻ろうとする。私もそれに従い、彼らの背中を追いかけようとした。
「……おい、待て」
突然肩を
振り返れば、
「女は残れ。各地から有志の兵が集まったせいで、女手が足りんと聞いたからな。俺が屋敷の使用人頭に口を利いてやろう」
ねばつく視線を肌に感じる。不快が面に出ないよう気持ちを抑えつつ、私はボラードの手を振り払おうと試みた。
「いえ、私はそのようなつもりでここに来たわけでは」
「なんなら、俺が雇ってやってもいい」
ボラードは、私を離さない。
「物乞いをするよりは楽に稼がせてやるぞ。奉仕には少々向かぬ体をしているが、その顔なら──」
その言葉は、最後まで続かなかった。
突然視界の横からアドラスさんの腕が伸びてきて、私を摑む腕を目にも留まらぬ速さでひねり上げたのだ。
「ぐぉ!」と痛みに顔を顰めてボラードが体を
石畳と金属が激しくぶつかり合い、派手な物音が響き渡る。とたんに広場は時が止まったかのように静まり返り、人々の視線がアドラスさんとボラードに注がれた。
ボラードは何が起こったのかも分からないようで、うつ伏せに組み伏せられたまま、きょとんとした顔で目をパチクリさせていた。しばらくして、自分が地面に口づけする様を衆目に
「貴様、物乞いの分際で、東部連合軍部顧問たるこの俺に反抗する気か! 離せ、汚い手で触るな!」
「それはこちらの
「ア、アドラスさん……」
もがくボラードを動けぬように上から押さえつつ、アドラスさんは男の腕を容赦なく締め上げた。関節からはぎちぎちと痛々しい音が聞こえてくる。
私がしばらく硬直していると、横からリコくんが飛び出して、
「アドラス様! ひとまず、冷静になりましょう!」
「俺は冷静だぞ、リコ」
とアドラスさんはきっぱりと首を振る。
「ただ、少々怒っているだけだ」
「大丈夫です。この程度のこと、気になりませんから」
やっと口からそれらしい台詞が出てくる。私は笑みを作って、アドラスさんの肩にそっと手を乗せた。
「ここで騒ぎを起こしても、話を
「……」
アドラスさんは険しい表情のままこちらを見上げる。だが不満を口にすることはなく、やがて渋々と立ち上がった。
「すまん。余計な騒ぎを起こしてしまったな」
「いえ、早く行きましょう」
リコくんと二人でアドラスさんの背中を押しながら、逃げるようにその場を立ち去ろうとする。しかし背後から、恨めしげな声が私たちを呼び止めた。
「待て。物乞い風情が、馬鹿にしやがって……」
ボラードだった。彼はよろよろと立ち上がり、土汚れを払いながらアドラスさんを鋭く
ボラードは腰元の剣を荒々しく引き抜くと、刃先をまっすぐアドラスさんに向ける。光る
「お前、この状況で剣を抜くのか」
「うるせえ! 今ここで切り刻んで──」
「アドラス!」
新たな声が広場に響く。ボラードも私たちも、つられて顔を上げた。
いつの間にか、領主邸宅の正面扉は開け放たれていた。玄関の石畳を
その先頭にいるのは、少々肉づきのいい灰色の髪の男性だった。年齢は四十半ばくらいだろうか。
「
アドラスさんがつぶやいた。ということは、彼こそがこの土地の主人、グレイン
卿は息を切らしてアドラスさんの前に立つと、彼の両肩を摑んでがくがくと揺らすのだった。
「アドラス、お前はこれまで一体どこに姿を消していたのだ! 今が大事な時期であると分かっているのか! 帝国中を探し回ったのだぞ!」
「断りもなく領を離れて申し訳ございません、伯父上」
摑まれたまま、神妙な面持ちでアドラスさんは頭だけ深く下げる。
「騎士アドラス、ただいま戻りました」
肝心なことは何も言わないまま、しかし
「ここを飛び出た理由については深く聞くまい。こうして私のもとに戻ってきてくれたのだからな!」
「それですが、伯父上。これは一体何の騒ぎです。門からここに至るまでの間に、見知らぬ武人を大勢見かけましたが」
と言いながら、アドラスさんはボラードをちら、と見た。ボラードはぽかんとして、
「ああ、彼はオルフ・ボラード卿だ。お前の出生の真実を知り、ぜひ
「い、いえ、閣下! その男……いや彼は、一体どちら様で」
バネ人形のようにぎくしゃくとした動きで、ボラードは剣を
「今の話を聞いて分からんかね。彼はアドラス──いや、エミリオ皇子殿下だよ」
「は」
ボラードの大きな顔が硬直した。だがそれも、すぐにくしゃりと崩れる。
「し、しかし! エミリオ皇子殿下は遊歴中でしばらくご不在のままであると、そうおっしゃっていたではないですか!」
「ああ、その話か。事情や予定は変わるものだろう」
おざなりにボラードの疑問をあしらって、グレイン卿はアドラスさんに向き直った。
「さあアドラス、まずは屋敷へ。丁度良い時に帰ってきてくれた。お前に会わせたい方々がいるのだよ」
「……分かりました。連れがいるのですが、彼らも屋敷に招いてよろしいでしょうか」
アドラスさんは、私とリコくんを振り返る。
「アドラス。そちらの女性は?」
「彼女はヴィーといいます。俺の従士の縁者です」
「……そうか。何にしても、お前の客なら私の客だ。部屋も用意させよう。さあ、中へ入りなさい」
グレイン卿が私に何を思ったのかは分からない。敵意のようなものを感じた気がするけれど、彼はすぐに作り笑いを浮かべ、再びアドラスさんを邸内に誘うのだった。
「リコ、なるべくヴィーのそばについてくれ」
声を潜めてそう言い残すと、アドラスさんはグレイン卿と並んで屋敷へ向かう。私もリコくんとうなずきあって、屋敷の方へと足を踏み出した。
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