第一話②

「私の予言も絶対じゃあない。行動しだいで回避することも、より良い未来を得ることも可能だ。……ま、つまり。これからどうなるかは、お前たちしだいってことさね」

 私が聖女となった日。ジオーラ先生はそんなことを言っていた。人を無理やり聖女にしておきながら、なんて無責任なことを──と思わなくもなかったが、こちらを見る目が真剣味を帯びていて、不平がのどもととどまったのを覚えている。

 先生は型破りな人ではあったけど、自分が視た未来については絶対に偽りを口にしようとしなかった。だから本当に、私が聖女となって人々の役に立つ未来というものも存在したのだろう。──残念ながら、その未来ははかなく砕け散ってしまったけれど。

「しかし、私のみならずジオーラ先生の信用までおとしめようとするなんて。オルタナ様は一体、何をされるおつもりか……」

 ジオーラ先生が生前に残した予言の数々は、聖遺物として神殿の禁書庫に保管されている。その中には遠い未来の戦いや、災害についての記録もあると聞いているが、この騒動で先生の信用が落ちてしまったら、それらの価値も紙くず同然と化すだろう。

 しかし、聖女から〝自称霊感女〟にまで格を下げた私が、この事態をどうこうできるとも思えない。

 今だって、嘆き苦しむ霊を救ってやることすらできないのだから。

『寒いわ……』

「寒いですね……」

 凍える霊に同調する。

 今や足先の感覚までなくなりつつあった。思考がかすみがかったように、頭がぼんやりとしてくる。このまま眠ってしまえば、わざわざ追放される必要もなくなるかも──

「聖女殿、ここにいるのか」

「え。はい、起きています」

 扉の向こう側から響く男の声に、意識がぱっと浮上する。

 寝ぼけ眼をぱちくりさせながら私は数度うなずいて、それから「おや?」と首をかしげた。

 見張りは私への声かけを一切禁じられているはずだ。それなのに、どうして人の声が聞こえるのか。

「……あの、どちら様ですか?」

「夜分遅くに失礼。俺はアドラス・グレインという者だ。先日お会いしたのだが、覚えているだろうか」

 妙に堂々とした声がそう応えた。

 もちろん覚えている。審問会に乱入してきた、あの自称帝国の騎士ではないか。

「ええ、覚えております。その節はどうもお世話になりました」

「別に世話はしていない。むしろ、力になれず申し訳なかった」

 本当に申し訳なさそうに言われて、こちらは面食らってしまう。

 審問会の時には、ずいぶんと珍妙な人が紛れ込んできたものだと思ったけれど。一対一で語らう彼の態度には、どこか紳士的な空気が感じられたのだ。

「……いいえ、お気になさらず。こちらこそ、見苦しいところをお見せしてしまいました。でも、どうして貴方あなたがここに? ここは懲罰房ですよ。部外者の立ち入りは禁じられているはずですが」

「君に用があってな。ここにいると聞いて会いにきた」

 用? そう言えば、審問会でもこの人は私に頼みたいことがあると言っていたっけ。

 しかし懲罰期間中の人間に面会することが許されるなんて、一体どんな案件なのだろう。

「オルタナ様が面会の許可をお出しになったのですか?」

「まさか。頼みはしたが、取り付く島もなかったぞ。威厳のある女性だが、あの感じの悪さはいかがなものかと思うな」

「んん? つまり、貴方は無断でこの場にいらっしゃるのですか」

「その通りだ」

 アドラスさんに、まったく悪びれる様子はなかった。しばらく開いた口がふさがらず、私は鉄扉を見つめる。

「……それはそれは。ですが、どうやってここまでいらしたのです? 見張りがいたと思うのですが」

 塔の内部はぐるぐると螺旋らせん階段が巡っているだけの構造となっており、入り口から懲罰房までは基本的に一本道だ。見張りの目を盗んで忍び込む、なんて方法は不可能なはず。

「どうやって、と言われてもな。『入り口から歩いてここまで来た』としか言いようがない。途中何人かに騒がれそうにはなったが、彼らにはとりあえず気を失ってもらった」

「なるほど」

 疑いようもなく、立派な不法侵入者だった。

 ここは「きゃー」と、大声で叫んでみるべきだろうか。

 しばし悩むが、やめておく。ここで叫んでみても、駆けつけて来るのは見張りぐらいなものだ。私にとっては、見張りと不法侵入者にさほど大きな違いはない。

 ならば、彼の話を聞きたいと思った。かなりふてぶてしいけど、悪意は感じられないし、この人は審問会で唯一私をかばってくれた人物でもある。彼が私に何を求めているのか、興味があった。

「そんな危険を冒してまで私に会いに来るとは、一体どういったご用件ですか」

「実は、物見の聖女である君に証明してもらいたい事があるんだ。そのために帝国からはるばるこのアウレスタまでやって来たのだが、いざ到着してみれば『しばらく神殿は締め切りだ』と門前払いされてな。それでは困ると神殿内に立ち入ってみれば、まさに君が聖女位はくだつと追放を言い渡されているところだった」

「それは……本当に切羽詰まっているご様子で。それで、私に証明してもらいたいこととは?」

「俺が『レオニス皇帝陛下の実子ではない』と証明してほしい」

「……」

 しばらく、彼の言葉を受容できなかった。

 レオニス・エデルハイド。その名前は、よく知っている。いや、この大陸上においては、知らない人間を探す方が難しいだろう。

「……一応、確認ですけど。レオニスというのは、エデルハイド帝国の現皇帝陛下であらせられる……?」

「そうだ。そのレオニス皇帝陛下だ」

 あっさりとそう返ってきた。残念ながら冗談ではないらしい。

 エデルハイド帝国。それはこの大陸上において、最大の領土を誇る一大国家の名前だ。国土は大陸西部に位置し、土地はよくで資源にあふれる。また有数の軍事国家としても知られており、今なお周囲の国々を飲み込んで、支配の腕を広げていると聞いている。

 そんな大国の頂点におわす皇帝の名を、こんな陰気な場所で耳にするとは思ってもいなかった。

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