2章 月と彗星

第8話

先生

「今日もお疲れ様でした。それじゃあ、気をつけて帰るように」


ホームルームが終わり、教室は一気にドッと沸き上がる。


そそくさと帰る者、部活に行く者、教室で駄弁る者。

各々、自分がやりたいことを始める放課後の時間が来たのだ。


陽太

「…………」


その中で僕に話しかける物好きは、誰1人として教室にはいない。


従って僕は黙々と頼まれた仕事をこなす。

黒板の掃除、課題ノートの提出、クラス日誌の記入などなど。


本来は日直がこれらをやる手筈になっているのだが、


クラスメイトの男子

「今日さ、俺バイト入っちゃったんだよね……代わりに日直の仕事やってくれない? ごめん、この通り!」


ホームルーム前そう言ったクラスメイトは、教室の中心で友達との談笑に華を咲かせている。


もちろん、僕の方は見て見ぬ振り……というか日直の仕事を投げたことさえ、彼は忘れているのかもしれない。

疑うほど、友達の輪の中で楽しそうにしている。


陽太

「まあいいか……僕がやれば誰かが幸せになるんだし……」


僕には1枚膜が張ったような楽しげな雰囲気の中に割っていって、日直の仕事を返すマネは到底出来ない。


仕方なく、黒板の清掃に手を付け始めたその時、


???

「まったく……また頼まれ事?」


唯一近寄ってきた女の子は腰に手を当て、ため息を吐きながら呆れ顔で言った。


陽太

「――――」


艶のある黒髪を腰まで伸ばし、スラッとした華奢な体躯。

目はつり目がちだが、大きくクリクリとしているためキツい印象は与えない。


全体的に、そこはかとなくネコのような雰囲気を漂わせる美少女だ。


???

「こっちやっとくから、日誌とかクラスのそっちやって」


彼女はテキパキと黒板をキレイにしていく。


ヨウ

「ルナ、いいよ。これは僕が頼まれた仕事だし……ルナにまでやらせるのは申し訳ないよ!」


黒髪をゆらゆらと揺蕩たゆたわせながら、ルナは僕にびしっと指を向ける。


ルナ

「あのね、陽太くん……今日の日直も本当は別の人でしょ? 頼まれたって言っても、もともと違う人の仕事じゃん! それに……」


彼女は俯きがちで急に小声に。


ルナ

「……別に陽太くんのためにやってるんじゃなくて、ルナが陽太くんと一緒に帰りたいから手伝うの……そこ間違わないで」


本人は僕に聞こえないように言ったつもりなのだろう。

しかし、僕にはバッチリと聞こえていた。


陽太

「そっかー。ルナは僕と一緒に帰りたいんだ……?」


手際が良かったルナの手がピタリと止まり、顔が見る見るうちに赤くなる。


ルナ

「聞こえてたの!? って、ち、違うー! 陽太がっ! ルナとっ! どうしても帰りたそうにしてるから、それを見て――」


ルナは羞恥心を誤魔化すため、勢いよく喋りだす。

取り繕うのに必死で、手元が疎かになってしまった結果、チョークが入っている箱を下に落とす。


ルナ

「って、あーっ!!!」


彼女はバイト経験者であるため、いつもはあっという間に作業をこなしてしまう。

何回も日直の仕事を肩代わりして、慣れている僕なんかよりも全然早く。


だが、慌てふためくと大体何かしらの失敗をしてしまうのだ。

いつも通りの彼女に、僕は悪戯心が芽生える。


陽太

「僕もルナと一緒に帰りたいよ」


ルナ

「バ、バカなこと言ってないで早くそっち終わらせ――って、あーー!!」


今度は黒板消しを足下に落とした。

付いていたチョークの粉が床にまき散らされ、ルナは愕然とした表情となる。


コントみたいな余りの慌てっぷりに、僕は思わず吹き出す。


陽太

「あははは」


ルナ

「こら、笑うなー!!」


目尻に涙を浮かべ、叫ぶ彼女。


付き合って半年。僕たちは良好な関係を築けていた。


――心にある、6等星のようなしこりを除けば。




ルナ

「やっと終わったぁー」


腕を伸ばし、しなやかに伸びをするルナ。


ワイシャツから覗く色白な肌の面積が増え、教室に残っている男子の注目の的になっていた。


ルナ

「ほら、陽太くん! ぼーっとしてないで早く帰ろ?」


しかし、男子の視線などものともせず、ルナは僕の手を引く。

そして流れるような動作で僕の腕に抱きつき、枝垂れ掛かる。


男子

「――――」


教室に残っている男子勢から恨めしそうな視線を感じた。


陽太

「えーっと……ルナさん? みんなが見てるよ」


ルナは好きという感情は隠したり、誤魔化したりするくせに、スキンシップは周囲に人がいても割と平気なところがある。

また時に際どいこともしてくるので、僕はその度ドギマギしてしまう。


そういうツンデレで自由な性格が彼女の見た目と相俟って、ネコっぽさに一役買っているのだろう。


ルナ

「大丈夫、ルナは気にしないから……って、もしかして陽太くんは嫌だった?」


僕の顔色を覗き込む彼女はシュンとしている。


陽太

「ううん、それじゃあ帰ろう」


恥ずかしさはあるが、嫌ではない。

僕が首を振ると、パッと花開いたように笑う。


ルナ

「うん!!」


横で今にも鼻歌を歌い出しそうなルナ。


陽太

「――――」


微笑ましさを感じつつ、2人で教室を出ようとしたその時、廊下が沸き立つ。


ルナ

「毎日毎日、ほんとに飽きないねー」


色めき立つ生徒たちの注目を浴びるのは、美男美女の2人組。

昇降口の方から、こちらへ向かって廊下を歩いてきている。


生徒1

「ホントあの2人お似合いよねー」


生徒2

「さすが星カップル。今日も見せつけるねー」


生徒3

星野 王子ほしの おうじくん、今日も王子スマイルカッコいいー」


周囲の視線につられるように、僕も2人に目を向ける。


陽太

「――――」


王子くんと呼ばれた男の子の方は、金髪で派手ではあるが、爽やかさと滲み出る温かな雰囲気から、全くチャラく見えない。

むしろ名前の通り、どこかの王子様みたいな感じだ。


星野くん

「今日も一段とスゴいね……彗星ちゃん、大丈夫?」


春の木漏れ日のような温かげで優しい笑顔。

星野くんは隣を歩いている女の子に、王子スマイルで笑いかけた。


星川さん

「大丈夫だよ! 少し前まではちょっと怖かったけど……今はもう慣れちゃった」


話ながら子どもみたいにコロコロと表情を変える彼女。

会話を心底楽しんでいると傍から見ても分かった。


証拠に、下の方で二つ結びにし、肩ぐらいまで伸ばしている黒髪をフワフワと上下に跳ねさせる。


ルナ

「キラキラ星カップルに当てられる前に早く帰ろ」


ルナはそう言うと僕の腕を再度引っ張って、廊下へ連れ出す。

そして人の花道となっている廊下を、昇降口からやってくる星カップルに向かって、逆流するよう足早に歩き出す。


生徒4

「せっかく星カップルが歩いてんのに、邪魔すんなよ」


生徒5

「月曜……あ、違った――憂鬱カップルは端っこを歩け」


左右からは星カップルの称賛に紛れて、僕たちへの批難の声が聞こえてくる。


憂鬱カップル――それは僕とルナを揶揄する言葉だ。


げつ”と太陽の“よう“で月曜。

そして月曜日は休み明けで憂鬱だから、憂鬱カップル。


そんなあだ名が僕たち2人には付けられていた。


ルナ

「そう言えばルナね、前にも言ったけど今週の土曜、誕生日なんだよね!」


後ろ指を指される中、ルナは揶揄を搔き消すようにあえて明るい声で言った。

まるであなたたちのことなんか、眼中にないですよとでも言いたげに。


陰口、悪口にも一切屈しないルナらしさに、僕は何度救われたことか。

思わず、笑みがこぼれる。


陽太

「大丈夫、ちゃんと予定空けてあるよ! どこか行きたいところがあるんだっけ……?」


ルナ

「ルナね……」


彼女は花道の中、ふと立ち止まると、


ルナ

「ネズミーランドに行きたい!!」


意を決して言った。


陽太

「ネズミーか……」


ネズミーランド――通称、幻の国。


多種多様なアトラクションとそれにまつわる物語設定があり、幻を売りにしている日本屈指の大人気テーマパーク。


大人から子どもまで誰もが楽しめるので、家族連れはもちろん、学生の同性グループもたくさんいる。


しかし、それらよりも圧倒的に多いのが、男女のカップル。

記念日、誕生日など特別な日には定番のデートスポットなので、カップルの宝庫となっているのだ。


陽太

「…………」


キラキラした場所に僕なんかが行くのは、場違いな気がしてやっぱりうら恥ずかしい。

そんなことを考えていたら、行くのを躊躇っていると勘違いしたルナ。


ルナ

「ダメかな……?」


今にも泣きそうな顔で、遠慮がちに尋ねてきた。


僕は誤解を解くため、慌てて首を横に振る。


陽太

「ううん、全然ダメじゃないよ! ルナが行きたいなら、ルナの誕生日はネズミーランドに行こう」


ルナ

「陽太くん、ありがとう……好きー!」


そう言ってルナは僕の腕に抱きつく。


陽太

「――ルナ!?」


右腕に感じるルナの体温と柔らかさ。

そして鼻腔をフワッとくすぐるのは甘い香り。


彼女が珍しく好意を隠さなかったことを忘れ、五感を襲う魅力的な感覚に僕の胸は早鐘を打つ。


ルナ

「あ、これはちが……そう! ほら、くっついてないと通れなくなっちゃうから!」


廊下の左右には見物客がいるため、幅は普段の半分ほどもない。

故に、ルナが言う通り、2人組同士だと横並びではすれ違うことは出来なくなっている。


密着するルナが、言い訳を咄嗟に思いついたように言ってから間もなく、僕たち憂鬱カップルと星カップルはすれ違おうとしていた。


憂鬱カップル

「「…………」」


星カップル

「「…………」」


花道の人たちは相変わらず騒がしい。

それとは対照的に僕たち4人は、今までの会話を打ち切り、示しを合わせたみたいに何故か押し黙る。


ルナ

「――――」


すれ違う最中、ルナは僕の腕にここぞとばかりにしがみつく。

ぎゅー、そんな音が聞こえそうな様は、まるでコアラの子どもみたいだ。


陽太

「…………ルナ」


しかし、どれだけルナが力を入れても感じるのは、フワフワとした柔らかさのみ。

苦しくなるどころか、心地よさが増す一方。


また密着すればするほどルナから香るフルーツのような甘い体臭が強くなり、際限なく心臓が跳ね上がる。


陽太

「…………っ」


ドクンドクン、心臓の音が僕の身体中を鳴り響く。しかし、うるさい拍動の音を掻き分け、すぐ後ろでトスンと物を落とす音が耳朶を打つ。


陽太

「――――」


後ろを振り返ると、床には水色のハンカチ。


横を囲む花道の人々は、星カップルの2人に夢中になっており、気が付かないようだ。

あれはおそらく、自分たちが注目している星カップルの女の子の落とし物だというのに。


陽太

「ごめん、ルナ。ちょっと待ってて!」


僕はルナの抱きつく腕からスルリと抜けると、廊下を戻り、誰も認識していないハンカチを拾う。


――本当に好きならちゃんと見てるはずなんだけどな……。


軽く汚れをはたきながら、水色のハンカチを持ち主に返そうと、名前を呼ぶ。


陽太

「スイちゃ――」


花道の生徒たち

「――――」


思わず昔のあだ名で呼ぼうとした瞬間、花道の人たちが一斉に僕の方を向き、あの時と同じ嘲笑うかのような表情を見せた気がした。


ルナに抱きつかれた時とは違う胸の高鳴り。

不快なほど大きく、痛いほどの鼓動だった。


陽太

「――――ッ」


思い出すは、あの日。


ヨウくん星川さんスイちゃんが疎遠になった、あの事件がフラッシュバックする。


陽太

「――あの、星川さん……ハンカチ落としましたよ!」


僕はついにスイちゃんと呼べなかった。


星川さん

「――――!」


振り返った星川さんは自分のポケットを探り、ハンカチが入っていないことを確かめる。

その後、受け取るために僕に近寄りながら、笑顔でお礼を言う。


星川さん

「あ……ヨウく――」


しかし、星川さんのお礼と受け取りは遮られる。星カップルの片割れ、星野くんの手によって。


星野くん

「――日向くん、どうもありがとう! ……彗星ちゃんのハンカチを拾ってくれて!」


僕に向けた爽やかなスマイルに、周囲がどっと騒ぐ。

今日一番の黄色い歓声だ。


生徒7

「キャー、星川さんの代わりにお礼言って……王子くんってやっぱりイケメンー!!」


だが、笑顔を向けられている当の僕は、全く違う印象を持っていた。


――貼り付けられた様な笑顔


彼の笑顔は、体裁こそ完璧に整っているが中身がまるでない。

目は笑っていないし、口元も口角が上がっているように見えるだけ。


ピエロがする無機質な笑いのようだ。


陽太

「いえいえ、お気になさらず」


星野くんはさっと僕に近付くと、耳元で怒りを押し殺した声で囁く。


星野

「――彗星ちゃんに……二度と近寄るな」


そう言うと、僕から奪うようにハンカチを取った。

そして、そのまま何事もなかった装いで星川さんの元へ。


星野くん

「彗星ちゃん、お待たせ! ごめんねー、俺が気付いてあげられなくて……」


ハンカチを手渡す星野くん。

今さっきのは幻だったのではと疑うほど爽やかで、優しげだ。


陽太

「――――」


この一連の流れ、周囲からは彼が理想の彼氏に見えたことだろう。


学校一人気のカップルの彼女が廊下にハンカチを落とした。

それを拾ったのが虐められてこそいないが、学校一嫌われカップルの彼氏。


陽太

「――――」


何をしてくるか分からない変な虫を自分の大切な彼女に近寄らせないように、自分がお礼を言って受け取る。

しかも、王子スマイルと呼ばれる爽やかな笑顔で。


嫌われている男子にも分け隔て無く笑顔で接する様は、左右の花道側の人たちからしたらさぞかし紳士的に見えたはずだ。


しかし、


ルナ

「あれが王子……? 感じわっるー」


僕と同じ角度から見ていたルナには、星野くんの行動が見えてしまっていた。


ルナ

「べーー!」


ルナは、彼の背中に舌を出す。

それを見ていた周囲から彼女に向けて容赦なく怒号が飛び交うが、肝心のルナはお構いなしだ。


嫌なことは嫌、ダメなことはダメとその場でちゃんと言う。ルナらしい言動だ。


ルナ

「ネズミーの予定も立てたいし……ほら行こ!」


ルナは再度僕の腕を取り、駆け出す。


後ろから怨嗟の念と言葉が、矢のように次々と飛んでくるが、彼女はカラっと笑う。


ルナ

「ほんと元気だよねー」


陽太

「ルナはブレないなー」


ルナ

「ルナは、陽太くんがいればそれでもう十分なんだよ! だから、気にしなーい」


ルナはネコみたいな悪戯な笑みを浮かべて笑った。


陽太

「ほんとルナらしい」


僕は、おもむろに後ろを振り返る。


花道の先には星カップルが仲むつまじく歩いており、2人は僕たちと同じく手を繋いでいた。


陽太

「――――」


スイちゃん――星川さんは、星野くんの本性に気が付いているのだろうか。


星川さんは昔から人を見る目がある方だ。

だからあの時だって、僕の望遠鏡を壊したのが3人組だってすぐに気が付いた。


そのことを考えると、星野くんは本当は悪い人ではないのかもしれない。

少なくとも彼女が選んだ人だから、僕は憎むことが出来なかった。


ルナ

「それでね――って、陽太くん聞いてる!?」


陽太

「あーごめん、ごめん……それで何の話だったっけ?」


ルナ

「もー、陽太くんってば……ネズミーの予定!」


僕の肩をポコポコと叩くルナ。


陽太

「ごめん、ごめん」


ルナ

「そんなに星野のやつにムカついてるの? ルナが文句でも言ってこようか?」


ルナは後ろを振り返り、まだ興奮冷めやらぬ廊下を突っ走りそうになる。


だが、僕は慌てて止める。


陽太

「良いよ、大丈夫大丈夫!! そういうわけじゃないから……本当に」


ルナ

「何かあったら言ってね……ルナが全部受け止めるから」


陽太

「うん、ありがとう……」


ルナの優しさに、僕は上手く笑えなかった。

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