第7話

 スイ

「きゃっ! 誰!?」


 考えるより先に、咄嗟にスイちゃんの前に出る。


 ヨウ

「――――!!」


 ???

「おやおや、ちゃんと女の子を守れて偉いねー」


 低く不気味な声は僕たちの恐怖を煽った。


 更に追い打ちを掛けるように、黒い影はぐーんと上に伸び、僕たちの二倍もの大きさへと変化する。


 ???

「なになに怪しい者じゃないよ……ちょっと君たちと仲良くしたいんだ」


 黒い影は一歩、また一歩と僕たちの反応を確かめるようににじり寄ってくる。


 スイ

「やだ! 近付かないで!!」


 スイちゃんは目を瞑り、僕の背中にしがみつく。


 ヨウ

「――――!」


 ここでスイちゃんママの一言が脳裏に過ぎった。


 ”不審者とかもしものことがあったら……”


 ――不審者


 ヨウ

「…………」


 身体中の血の気が一気に引いた。


 後ろは崖。叫んでも誰も来ない。


 逃げるのも、助けが来るのも、絶望的。


 不審者

「さあ、僕と一緒に――」


 不審者は腕を大きく広げ、僕たちを捕まえようと一息に近付く。


 スイ

「きゃー!!」


 ヨウ

「――――ッ!!」


 どうにかスイちゃんだけでも――そう思った瞬間、


 ???

「――帰って、ママのご飯でも食べようか」


 星明かりに照らされた不審者の顔は、よく見慣れた――スイちゃんパパの顔だった。


 スイちゃんパパ

「ちょっと驚かせ過ぎちゃったかな……?」


 傘を2本持っているスイちゃんパパは、僕たちと目線を合わせながら苦笑い。

 スイちゃんの目に涙が溜まっているのを見た瞬間、今度はパパの血の気が引く。


 スイちゃんパパ

「え、ちょ、待って……」


 スイ

「……ヨウくん」


 スイちゃんの目にはメラメラと怒りの炎が。


 ヨウ

「……スイちゃん」


 僕たちは一目合わせるだけで、何をしようとしているのかが分かる程、心が合わさっていた。


 ヨウ・スイ

「「パパのバカーーッ!!」」


 右頬には僕の、左頬にはスイちゃんの――猛烈なビンタがスイちゃんパパにキマった。


 スイちゃんパパ

「わぶ!!!」




 予報通り、雨が降り始めた帰り道。

 後ろではスイちゃんパパが1人で話している中、スイちゃんと僕は一緒の傘に入って歩いていた。


 そこであることを思いだす。


 ヨウ

「そう言えば、僕たちが最初に出会った時の事覚えてる……?」


 スイ

「望遠鏡の時のことだよね!」


 当たり前だよ、と言いながらスイちゃんは大きく頷いた。


 ヨウ

「その時の帰り道にさ、僕がアルタイルが好きって話した……よね?」


 スイ

「確か……アルタイルって飛ぶ鷲って意味で、空でずっと飛んでるのがかっこよくて憧れてる、って話だよね? ちゃんと覚えてるよ!」


 ヨウ

「そう、それ! その時に僕が好きな星あるか訊いたとき、スイちゃんはまだ無いって言ってたよね? だから僕に星のこと教えてくれーって」


 スイ

「そ、そうだね……」


 何やら口ごもるスイちゃん。

 違和感を覚えながらも僕はそのまま話を続ける。


 ヨウ

「僕いっぱい教えたと思うんだけど、そろそろ好きな星見つけた……?」


 ここ数年間、僕はスイちゃんに星について教え続けていた。

 誕生日に当てはめられている12星座はもちろん、レチクル座というマニアックな星座まで、実に多種多様に。


 そのため、そろそろ好きな星座を見つけてもおかしくない頃合いだと思ったのだ。


 スイ

「わ、私が好きな星はね――」


 大きく息を吸い、意を決したような様子の彼女。

 こちらを向き、好きな星を言おうとしたまさにその時、


 ヨウ

「わーー!!」


 僕たちをゲリラ豪雨が襲う。


 バケツをひっくり返したかのような雨が、僕の持っている傘をはたき落とそうと、これでもかと叩きつける。


 爆発音にも似た轟音が、傘の中を乱反射。


 スイ

「――だよ」


 そのため、スイちゃんの声は綺麗さっぱりとかき消されてしまった。


 ゲリラ的に降っていた大雨は、徐々にポツポツ雨に変わっていく。


 ヨウ

「あ、通り過ぎた。って、え……? スイちゃん今何て言ったの……?」


 雨のせいで聞こえなかった僕に、スイちゃんは顔を真っ赤にして、


 スイ

「ヨウくんの……バカ!」


 僕の肩をぽんぽんと叩いた。


 ヨウ

「えー! 僕のせいじゃないのに……」


 スイちゃんは頬を膨らませ、反対側を向いてしまった。

 それでも華奢な身体は、僕にぴったりとくっついたまま離れないのだから、彼女の愛らしさが滲み出ている。


 だから、きっと僕は笑みを浮かべているだろう。

 何故なら、いつも通りの本当のスイちゃんがやっと戻ってきたから。


 ヨウ

「――――」


 こうやって怒られたり、呆れられたり、でも笑ったり、喜んだり。

 雨の時も、晴れの時も、いつまでも彼女とは一緒に歩いて行きたいな。

 この時、僕は薄ぼんやりとそう思った。



 スイはむくれながら呟く。


 スイ

「せっかく勇気出して言ったのに……私、あの時からずーっとあの星が一番好きなんだよ? ヨウくん……」


 スイのその声はヨウはもちろん、誰の耳にも届かなかった。

 いや、ただ一つだけ届いていたのかも知れない。


 ――2人をそっと見守る、天の川星デネブには。



 スイちゃんパパ

「酷いなー……そろそろ口ぐらい聞いてくれても良いんじゃないー?」


 右頬、左頬に紅葉の赤いマークが付いたスイちゃんパパは口を尖らせながら、僕たちに声を掛ける。


 ヨウ・スイ

「…………」


 しかし、2人とも無視。

 あの時感じた恐怖から、僕たちはまだ腹を立てていた。


 スイちゃんパパ

「パパ、泣いちゃうよー」


 スイちゃんママ

「パパ、いくら何でもやり過ぎです……嫌われて当然です!」


 スイちゃんパパ

「ごめんってばー。でも、ママを説得したのボクなのに……そんなことされちゃ食事が喉を通らないよー。チラチラ」


 うぇーんと誰でも分かる嘘泣きをしながら、スイちゃんパパは唐揚げをパクパクと口に運ぶ。

 この場にいる誰よりも子供っぽいスイちゃんパパに、僕たちは揃ってあからさまにため息を吐く。


 ヨウ・スイ

「「――――」」


 しかし、パパがママの説得に失敗していたのなら、僕たちは強引にでも家の中に連れ戻されていただろう。

 子どもを危険から守るのは、親の仕事でもあるから。


 あるいは、パパがあの場で僕の背中を押さなかったら、そもそも山に向かうことも、罪悪感に潰されそうになっているスイちゃんに掛ける言葉を見つけることも、出来なかった。


 ヨウ

「――――」


 結果、スイちゃんは今この場にいなかった可能性が高い。

 スイちゃんが好きな唐揚げを中心とした、この和気藹々とした団らんの中に。


 その点では、スイちゃんパパは今回の立役者であることは疑いようがないので、


 ヨウ

「……スイちゃんパパありがとう」


 スイ

「……パパありがと」


 僕はもちろん、スイちゃんも心の底から感謝していることは間違いない。


 蚊の鳴くような小さな声で、どちらからともなく感謝を呟く。


 スイちゃんパパ

「え……? ヨウくん、スイちゃん、今なんて言った……?」


 だが、間が悪いスイちゃんパパ。大きな口を開けて唐揚げを頬張ろうとしてた。

 そのため、僕たちの感謝は耳に届かなかった。


 スイちゃんパパ

「ねぇー、2人ともさっき何て言ったの?」


 口いっぱいの唐揚げを飲み込んだ後、テーブルから身を乗りだし、執拗に迫る。


 ヨウ・スイ

「…………」


 しかし、もちろん僕たちは再度無視だ。


 そして、


 ヨウ

「言わなーい――」


 スイ

「内緒だよー――」


 ヨウ・スイ

「「――ねー」」


 顔を合わせて笑みを溢す。


 スイちゃんパパ

「あー、内緒にされたー、ボクだけひとりぼっちじゃんー。ねぇーママー」


 今度はママに助けを求める。


 そんなスイちゃんパパの左頬には、スイちゃんの手跡が。

 右頬には僕の手跡。


 スイちゃんママ

「良いから早く食べなさい!!」


 たった今、怒号と共にスイちゃんママのげんこつ。そして、間もなく頭には大きなたんこぶが。


 計3箇所の怪我が、スイちゃんパパに刻まれた。


 スイちゃんパパ

「みんなして酷いよー……」


 涙目になりながらも貪欲に唐揚げを頬張るスイちゃんパパに、僕たちは顔を見合わせて笑う。


 ヨウ・スイ・ママ

「「「あははは」」」


 僕とスイちゃん、そして彼女のパパとママ。

 このままいつまでも一緒にいるんだと、この頃の僕は信じて疑わなかった。


 ヨウ

「――――」


 ちょうど星たちが寄り添い合って、夜空に星座を形作るように――何年も何十年もずっと変わらない、と。


 ――しかし、僕とスイちゃんはある事件をきっかけに、疎遠に。


 お互い別々の道へと歩み始めるのだった。


1章 ~約束と記憶の夜空~ Fin

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