第6話
黒い木や草が生えているのかと思うほど、一灯の明かりもない森。
傾斜と起伏の激しい獣道を、僕たちは進んでいた。
ヨウ
「あと少しだから、ね……スイちゃん!」
手を引き先導する僕は、彼女に木の枝が当たらないよう、何かに躓かないよう、細心の注意を払いながら木々を掻き分け進んでいた。
ヨウ
「――――」
腕には擦り傷、頬には切り傷。ヒリヒリと痛む。
だが、彼女が今抱えている心の痛みと比べれば、文字通り
2~3日もあれば治る程度の。
スイ
「…………」
しかし、石ころ1つたりとも見逃さない努力も虚しく、スイちゃんは俯きがちに無反応を貫く。
時間だけで癒える問題では無いと、改めて痛感した。
ヨウ
「――――!」
だが、ずーっと暗闇続きだった先に、一筋の光が見え始めた。
ヨウ
「スイちゃん、光が見えたよ! あと少し!!」
興奮の余り、次第に足早に。
一歩、一歩と土を踏みしめる音、枝を折る音がどんどん勢いを持つ。
また、先に見えていた光も近付いていき、輝きを増す。
ヨウ
「ここを抜ければ……!」
ラストスパート。ゴールは目前。
僕は最後の木を掻き分け、光に包まれる。
ヨウ
「――ほら、スイちゃん着いたよ」
闇を抜けた先では、眩しいぐらいの月明かりに照らされる僕たち。
柔らかくも力強い月光を疲れきった身体に浴びる。
スイ
「…………」
この場所はU字型に草木が拓けており、曲線の先端側は崖になっているので少々危険だ。
また、崖側以外の三方から聞こえる木々がざわめく音は、夜ということも相まって不気味さを助長する。
しかし、崖の先は畑や田んぼが広がっており、市街地もちょうど木々が生い茂っている森側にあるので、無駄な明かりがほとんど届かない。
故に、他人を寄せ付けず、明かりがないこの場所は、天体観測にはうってつけのロケーションなのだ。
ヨウ
「――――」
望遠鏡の一件から、僕は1人で星を見る時はいつもここに来ている。
誰にも邪魔されない、星と僕だけの場所。
ヨウ
「スイちゃん、辛いと思うけど顔を上げてみて」
僕は顔を塞ぐスイちゃんの腕を取る。
強引過ぎる気がしなくもないが、泣いている彼女を連れ出した時点で、今更の話だろう。
それに時には強引さも必要な時があるのだ。
教えてくれたのは、他の誰でもない彼女自身。
スイ
「…………ッ!!」
腕を取られた彼女は、視線を彷徨わせる。
どこを見れば良いのか分からないといった様子だ。
ヨウ
「スイちゃん、上を見て」
僕は無数の光が待つ空を指し示す。
ヨウ
「スイちゃんにこの景色を見せたかったんだ」
指を追って見上げるが、スイちゃんは無反応。
表情は固まっているかのように変わらない。
スイ
「…………」
無言のまま、過ぎていく時間。
荒れていた息が整い、体温が下がり出す。
汗も徐々に引いた今、無音がやけにうるさく感じたこの時、
ヨウ
「――――」
我に返った僕は、一気に不安に駆られた。
こんなことして彼女のタメになるのか、そっとしておいた方が良かったのではないだろうか。
僕なんかが彼女の心を救い出せるはずが無いだろう。
沸々と湧く、疑念と後悔と、諦め。
思いつきと衝動に突き動かされていた温度のある気持ちは、どうやら目的地に到着したことですっかりと冷え切ってしまったようだ。
彼女の顔さえ見れない。
スイ
「…………」
ヨウ
「――――」
ただただ無音が流れる。
その間中、不安も迷いも、憂慮も増していくばかり。
しかし、それらは全て杞憂だった、と証明される。
スイ
「…………わぁ、キレイ」
沈黙を破ったのは、溢れ出た彼女の驚嘆の声。
一つ隣のスイちゃんは口をぽかんと開け、うっとりと恍惚の表情を浮かべる。
釘付けになったように、星空から目が離せないでいた。
ヨウ
「良かった……」
ひとまずはここに来た意味と甲斐があったようだ。
反応が遅れたのはおそらく、幻想的な景色を前にしても、スイちゃんの悲しみが解けるまでに時間が掛かってしまったためだろう。
僕は胸を撫で下ろし、一安心する。
ヨウ
「――――」
僕は、隣にいるスイちゃんには星空がどう見えているのか気になり、その瞳を見つめる。
ヨウ
「――――」
ただでさえ、スイちゃんの青い瞳はキラキラしていて、見る者の目を奪う。
それが先ほどまで流していた涙で潤いが増し、煌めきを放つ。
そんなキャンバスの上には、世界中のクレヨンを振りまいたような小宇宙が広がっていた。
ヨウ
「――――」
――この世界のどんな星よりも、キレイだった。
僕は我を忘れ、その一等星にただただ見惚れていた。
しかし、僕が心を奪われていた小宇宙は、キャンバスを飛び越え、下へゆっくりと溶け出す。
頬を伝うは夜空を溶かした透明な絵の具。
スイ
「…………」
彼女は涙を流していた。
ヨウ
「スイちゃん……?」
スイ
「キラにもこの景色見せてあげたかった……」
僕の心臓が刃でも突き刺されたかのように、鋭い痛みをあげる。
スイちゃんが見惚れていたのは、束の間の幸せに過ぎなかった。
僕が危惧していた通り、キラへの罪悪感に黒く上書きされ始めたのだ。
スイ
「キラ……どうして、私の前からいなくなったの?」
後悔の言葉を機に、青くてキラキラと輝いていた瞳は、徐々に灰色に陰る。
このままでは雨に濡れた絵画のように、何もかもがぐちゃぐちゃになってしまう。
そして、一度ぐちゃぐちゃになった絵はもう元には戻れない。
スイちゃんの笑顔は取り返せなくなってしまう。
ヨウ
「――――」
しかし、何も言葉が出てこない。
彼女になんて言葉を掛けるのが正解か、あるいはどんな言葉を掛けてしまうのが不正解なのか、僕には皆目見当が付かないのだ。
答えを考えれば考えるほど、暗闇へと落ちていく感覚に陥る。
スイ
「キラ、また会いたいよ……」
完璧な僕の父さんなら、なんて言うだろう。
あるいは聞き上手な母さんなら何を尋ねるのか。
常識人のスイちゃんのママなら?
自由で遊び心のあるパパなら?
もしくはスイちゃんなら、こんな時どんな魔法を使うのだろうか?
グルグルと考えている僕は何も出来ず、ただただ悲しみの涙を流す彼女を、外から見ていることしか出来ない。
ヨウ
「――――」
絶望的な状況の中、ある人の言葉を思い出す。
――娘を死んでも守れよ
それは、快く送り出してくれたスイちゃんパパの言葉。
ヨウ
「――――」
託す言葉は身体的にも守れ、という意味ももちろんあるのだろうが、別の意味もおそらくある。
精神的にも守れ、だ。
ヨウ
「――――」
スイちゃんパパは、あの場で止める腹づもりだったのだろう。顔色が物語っていた、さすがに夜遅くて危ないから、と。
しかし、スイちゃんの顔を覗き込んだ後、結局僕たちを送り出した。
何故なら、笑顔を取り戻せるのは僕だけしかいないと、垣間見た彼女の表情からパパが察したからだ。
――だから、僕が彼女の笑顔を死んでも守らないといけない。
僕は自分の頬を両側から思いっきり叩く。
ヨウ
「――――ッ!!」
おかげで目が醒めた。
正解も、不正解もない。
父さんの言葉でも、母さんの言葉でも、スイちゃんのパパママの台詞でも駄目なんだ。
僕が考えた言葉を、僕自身の声で、彼女に届けなくては意味が無い。
ヨウ
「――――」
軽く深呼吸。
深い息を吐き出し終えると同時に、彼女の手を強く握る。
そして、僕は言葉を紡ぐ。
ありったけの思いを乗せて。
ヨウ
「スイちゃん。キラはね……いなくなったんじゃないよ――お星様になったんだよ」
昔の人は言った――人は死んだら星になる、と。
スイ
「お星様に……?」
ヨウ
「そう、お星様に。そうだなー、あれかもしれないし、あれかも! ……あ、やっぱりそっちかも!」
僕は次々と色々な方角の星を指さす。
スイ
「――――ッ!」
そのたび彼女は、視線を忙しなく変えた。
指を指された星々は、”ここだよ!”と瞬いているようにも、”ここじゃないよ!”と煌めくようにも、どちらとも見える。
そんな状況にスイちゃんは痺れを切らす。
スイ
「結局どこにいるの!?」
ヨウ
「それは僕にも分からない……」
キラがどの星なのか、僕にも分からない。
ヨウ
「でも、絶対この星空のどこかにいる。それでキラは僕たちと同じこの景色を見てるはずだよ。むしろ、羨ましいぐらい向こうの方がキレイかもしれないね」
スイ
「え……? キラも……?」
ヨウ
「うん! だからスイちゃんがいつまでも泣いているとね……」
僕はスイちゃんの目尻に溜まる雫を指で拭う。
ヨウ
「キラも”スイちゃん、僕がいなくなって大丈夫かなー”って心配になっちゃうからさ――」
キラはスイちゃんが落ち込んでいたり、風邪を引いていたりすると、誰よりも真っ先に気が付いた。
そして、心配そうな顔で彼女のそばにずっと寄り添おうとする。
水が嫌いなはずなのに、お風呂やトイレまで一緒に入ろうとしたりするほどだ。
それぐらい心配性なキラを安心させるにはやっぱり――
ヨウ
「――だからさ、スイちゃんはちゃんと幸せになって、いっぱい笑わないとダメなんだよ。キラを心配させないためにも」
スイちゃんが元気になって笑えば、キラは尻尾を振り回しながら大はしゃぎするだろう。
その後、安心してゆっくりと静かに眠ることが出来る。いつでもスイちゃんを見守れる位置で。
スイ
「そっか……そうだよね」
下を向いてばかりいた彼女。
今日初めて自分の意思で上を向く。
スイ
「キラ……もう大丈夫だよ」
空のどこかにいるキラへ話しかけるためだ。
スイ
「私キラの事絶対に忘れないし、心配されなくなるぐらい幸せになる! だからキラも……安心して眠って!」
スイちゃんは、キラと一緒に遊んでいた時よりも、更にとびっきりの顔で笑った。
――頬にキラリと流れ星を辿らせながら。
ヨウ
「うん、やっぱりスイちゃんが笑ってる方が僕も幸せだ!」
彼女の笑顔につられて僕も笑う。
ヨウ・スイ
「「――――」」
その頃、うたた寝をし始めた月が、地平線へひっそりと隠れてゆく。
スイ
「あ、お月様が……」
夜空で一番明るい月がいなくなった今、先ほどよりも星空はくっきりと姿を現わした。
ヨウ
「そろそろ……!」
そして――僕たちを祝福するようにキラは応える。
ヨウ・スイ
「「――わぁ!」」
空に散りばめられた無数の星々。
それらが一斉に、デネブの方向から放射状に流れ始めた。
はくちょう座
その極大が今、僕たちを祝福する。
スイ
「も、もしかして! ”どうしても今行かないと”ってママに言ってたのはコレ!?」
スイちゃんは興奮気味で言った。僕はそれに頷く。
ヨウ
「――――」
デネブ星流星群は今日、つまり七月七日に1日だけ限定で振る流星群。
流星群はこの先、いっぱいあった。
ペルセウス座流星群、みずがめ座、やぎ座など。
でも、どれよりもスイちゃんに見せてあげたかったのは、このデネブ星流星群だ。
ヨウ
「どうしてもスイちゃんに見せてあげたかったんだ……スイちゃんを笑顔にしたくて」
スイちゃんは手で顔を覆い、足を地面にバタバタさせる。
喜怒哀楽、全身で表現する姿。
それは、いつも通りの彼女だった。
スイ
「私ね、決めた!」
星が無数に振る中、彼女はその星たちに負けないぐらいキラキラとした目で言う。
スイ
「私ね、キラの事も……今日のこの景色も……――ヨウくんの事も絶対に忘れない。何があってもぜーったいに忘れない!」
スイちゃんはおもむろに小指を差し出した。
何をしようとしているのか、言われなくても直感で分かる。
ヨウ
「ぼ、僕も! ……僕も絶対に忘れないから」
そして、僕たちは小指を結ばせる。
スイ
「
ヨウ
「
流星群はもともと、彗星が出す塵が地球に当たって起こる現象。
そして、その彗星が出す塵は、
だから、僕とスイちゃんの星降る場所での約束は――
ヨウ・スイ
「「――
――この瞬間が永遠に続けば良いのに。
僕たちは心の中で呟き、この景色を、この瞬間を、そして互いのことを忘れない。
そんな約束と記憶を、無数の星くずたちにしっかりと刻んだ。
ヨウ
「さ! スイちゃんのパパママに怒られちゃうからそろそろ帰ろっか」
スイ
「そうだね。あー……ここ3日間、何にも食べてないからお腹減ったよ……」
いつも通り、手を繋いで帰ろうとしたその時、茂みから真っ黒な人型がゆっくりと出てくる。
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