きゅうけつきこわい
長月瓦礫
きゅうけつきこわい
私はため息をついた。
なぜなら、かの皇帝がこの地に舞い降りるからだ。
かの皇帝は大陸の奥にある古城に住んでいる。
夜な夜な町を歩き回っては人間を探し、自分の城へ連れ帰っては肉片一つ残さずに食べてしまう。この町に古くから伝わるおとぎ話だ。
皇帝に襲われるから、夜の町を出歩いてはならない。
これも古くから伝わる言いつけだ。
「ねえ」
「なんや?」
「吸血鬼って何?」
「そんなことも知らんのか? 吸血鬼ってのはな、人間の血を吸うバケモノや」
「何で人間の血を吸うの?」
「いつも鉄分が足りてないんよ、あの人」
数年前、夜分遅くに町を歩いていた住民が何者かに襲われた。
その事件の犯人は皇帝の名を騙っていたが、それは単なる憂さ晴らしの口実に過ぎない。高価な服を人に見せびらかすのと同じようなことだ。
結局のところ、社会に不満を持った人間が起こした事件なのだ。
現代においては、遠いところにいる吸血鬼よりも身近な不審者を警戒するし、顔も名前も知っているお隣さんに恐怖する。吸血鬼なんて幻に過ぎない。
それでも、私はかの皇帝が恐ろしくて仕方がなかった。
皇帝に襲われたくないから、夜の町は歩かない。
こんな古臭い言いつけを律儀に守っているのは私くらいなものだろう。
「ねえ」
「なに?」
「Instagramで吸血鬼さんの写真を見たんだけど、マジかっこよかったんだ。
今度さ、一緒に探そうよ。もしかしたら、会えるかもしれないよ」
「何を言ってるんや!
アンタ、血を吸われて死んじゃったらどうするんや!」
「えー? 鉄分が足りてなかったらサプリメントでも渡せばいいじゃん」
「それで解決してたら最初からそうしてんだよ!
あの人はな、生きてる人間の血が好きなんや。
そんなもん渡してもどうにもならんのよ」
「でもさー、あんなカッコいい人がいるんだよ?
見てみたくない?」
「見てみたくない!」
「そっかー」
ふと、私は違和感を覚えた。吸血鬼は鏡に映らないのではなかったか。
カメラに内蔵している鏡に映らないから、写真が残らない。
だから、皇帝の姿なんて誰も知らなかった。
「なあ、吸血鬼の写真なんてどこで見たんや」
「え? だから、Instagramで見つけたんだよ。
なんか知らないけど、たまたま撮れたんだって」
「それ、どうやって撮った?」
「そんなの知らないよ。スマホで撮ったんじゃないの?」
スマホか。そうか、仕組みが根本的に違うのか。
ミラーレスタイプのものなら写真に残る。
己の姿を記録に残せる。
それにInstagramか。かの皇帝がこのことを知っていたならば、私はとんでもない愚か者だ。あのお方は人々の記憶に自分を焼き付けようとしている。
本気でこの地に戻ろうとしているのだ。
「ねえ」
「なに?」
「吸血鬼さん、来るの楽しみだね!」
「そうやなぁ……」
これではあのお方を怖がっている自分がバカみたいじゃないか。
かの皇帝が己の姿を人々に示すというのであれば、私はそれに従うだけだ。
「そこまでいうなら、盛大にパーティーでもするか?
カッコいい吸血鬼サマが来るんなら、みんなで出迎えようや」
私はそう提案した。
その日の夜、我が皇帝は姿を現した。
影と見間違えるほどほど黒いコート、血を思わせる赤い目、物語に伝わる吸血鬼のそれだ。
かのお方の姿を正確に記録できる時代が来ると誰が思うだろうか。
皇帝自らがその姿を示す時代が来ると誰が思うだろうか。
誰も思うまい。私ですら気づけなかったのだ。
写真を撮った奴もそれを見た奴も、伝説上の生き物が現れたとしか思っていない。
町の住民はカメラを構え、皇帝を迎え入れようと蠅のように群がっている。
吸血鬼に襲われるから、夜の町を出歩いてはならない。
古くから伝わる言いつけなど、誰も頭に残っていないのだろう。
「思っている以上に人間が来ているな」
彼は鋭く生えた牙をのぞかせながら、ぽつりとつぶやいた。
私は恐れていた。いつかその牙が自分に向けられるのではないかと恐れていた。
しかし、それは大きなまちがいだった。その視線は常に人間に向けられている。
「主様の姿を一目見ようと集まられたのです。これは非常に幸運なことです」
「確かに、それもそうだな」
彼は目の前にいたカメラマンの胸倉を掴み、首に嚙みついた。
首筋から赤い血がどっと流れ、丁寧に吸い取っていく。
回ったカメラは止まらない。人々は大声で騒ぎ立てて逃げ惑う。
これぞ驚天動地、欲求を満たしたいだけの蠅にはひとたまりもない。
「聞いて驚け見て笑え、かのお方こそ我らが皇帝であるッ!」
私は声をかけた。
きゅうけつきこわい 長月瓦礫 @debrisbottle00
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