3−2
昼食をどうするかも莉子の胃の具合に合わせて相談してくれる。些細なことでも彼は相手を気遣うタイプらしい。
こんな男がモテないはずがない。片想い時代に友人の知咲に童貞ならどうするかと聞かれたが、純の童貞疑惑はきれいさっぱり消えていった。
それもなんだか悔しい。純の心を奪った存在が確実にいると考えると、ふつふつと湧き上がる対抗心と嫉妬心の黒い感情。
莉子が過去の女に対抗心を燃やしているなど思いもしない純は、地下駐車場から緩やかに車を発進させた。
「その服、可愛いね」
「ありがとう」
先程まで過去の女への嫉妬に支配されていた黒い心は服を褒める一言で薔薇色に塗り替えられる。
散々悩んだ今日の服は6月のあの雨の日に着ていたワンピース。涙の思い出しかないこの服を楽しい初デートの思い出に上書きしてあげたかったのだ。
「もしかして俺のために?」
「そうだよ。今度こそちゃんと見て欲しくて……」
「そっか……、ありがとう。俺のために着てきてくれて。今日はちゃんと見てる。見ないでと言われても莉子ちゃんのこと見てるからね」
「もうっ……」
この一連のやりとりのすべてが気恥ずかしい。
「それにいつもと雰囲気違うよね」
「そうなの?」
「うん。仕事の時とはまた雰囲気変わるよ。何て言うか今の方がもっと女の子って雰囲気になる」
「仕事の時は地味にしてるから……」
バイトの時はシャツとジーンズに書店のエプロンをつけ、髪も後ろで束ねるだけだ。プライベートと仕事で雰囲気が変わると言われても不思議ではない。
「そういうところ、女性は凄いと感心するよ。女性は仕事とプライベートでガラっと服装や化粧も変えるだろ? 境目がはっきりしてる」
「オンオフがはっきりしてるのかな。でも学校は素っぴんで行く日もあるの。だから学校ではオンオフどっちなのか謎なんだよねぇ」
「素っぴんで行っちゃうの?」
「美容専門学校だから周りは女ばかりだし、メイク実習の日は生徒同士でメイクし合うから素っぴんじゃないといけないんだ」
それからは莉子の学校の話となり、聞き上手な純はハンドルを操りながら莉子の話に耳を傾けていた。
車内を流れるBGMは莉子が子供の頃に流行ったと思われる男性歌手のラブソング。おそらくこの男性歌手と純は同世代だ。
運転中に聴くくらいだから、純はこの男性歌手のファンなのだろう。
(これがジェネレーションギャップか。私が10歳の時に純さんは26歳だもんね。10年前だと物凄く犯罪臭が漂ってきちゃう)
莉子にとっては音楽番組の名曲特集でしかこの歌手の歌は耳にする機会がない。彼女が最近気に入っているアーティストは
現在メジャーデビュー3年目にしてアルバムとシングルがミリオンセラーとなった大人気バンドである。
莉子は彼らがデビュー間もない頃から応援し続けてきた。そんなUN-SWAYEDは全国ツアーで来月この地方にやって来る。莉子もライブに参戦予定だ。
けれど純がUN-SWAYEDの歌を知っているかはわからない。男女比なら男性ファンが多いバンドらしいが……。
(UN-SWAYEDはファンの世代は幅広いし、音楽好きな人なら知ってる人多いけど、純さんは知ってるかなぁ? 車で流す歌手のラインナップ的に、最近の音楽は聴かないタイプ?)
10代20代の間で流行るものと30代の流行りはまた違うだろう。自分と彼の間に隔たる16歳の差を改めて実感した。
コーヒーが美味しいと評判の店は市街地から外れたのどかな風景の一角にポツンと建っていた。よくあるチェーン店のカフェではなく個人が経営する昔ながらの喫茶店では、人の良さそうな初老のマスターが出迎えてくれた。
純はホットコーヒー、莉子はアイスコーヒーを頼み、莉子だけがラザニアを注文した。
アイスコーヒーは確かに美味しかったが、コーヒーの違いがわかるほど莉子の味覚はまだ大人ではなかった。チェーン店のコーヒーとの違いも正直よくわからない。
でも美味しかったコーヒーの味は莉子の記憶に鮮明に刻まれた。今はそれだけでいいと思える。経験値はこれから上げていけばいい。
ラザニアもとても美味しかった。ラザニアを頬張る莉子を眺めて微笑する純と交わす会話も楽しい。
外は夏の日差しがさんさんと照りつけていても、快適な温度で冷房の効いた店内では穏やかなランチタイムが過ぎていく。
しかし会計の時に莉子はほんの少し戸惑いを感じた。純は手際よくふたり分の金額をマスターに渡していた。
莉子も財布を出そうとしていたのに、彼の動作があまりにも洗練されていて出しそびれてしまった。
「お金……」
「気にしないでいいよ。男が出すのは当たり前」
年上だから奢って当然、年下だから奢られて当然ではないけれど、純からは莉子よりも長く生きている分、蓄積された大人の余裕を感じた。
※
→【Quintet】
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