Day 25. キラキラ

 それはほんの数日前。寝苦しい夜にうなされて目を覚ましたリナの枕元に立っていたのは、見たことのある老人だった。何だか必要になる気がしてなあ。一度会ったきりだった透き通る老人は、そう言って「それ」を差し出してきた。物理法則を完全に無視して。

 端から見れば、不自然に浮いているように見えただろう。彼女が手を伸ばすと、それは不意に重力に引かれるようにぐっと重さを増して手の中に収まった。鷹生がそうしていたように、片方の端を持って引き抜くと、以前見た時とは全く違って錆ひとつない鋭利な刀身が現れた。

 驚いて目を上げたが、老人の姿はもうなく、ただ、彼女の手の中でその白刃が不吉なほどに鮮やかに煌めいていた。


 鷹生にその変化が訪れた時、リナは老人が言っていた「必要」の意味を悟った。彼女が見つけ、彼女の危機に際して人の形を取り戻した鷹生。その彼が、人のかたちを失ってしまうのであれば、それを止めるのは彼女の役割だと思った。だから、ためらってはならないのだと、飛び込んだのに。


 握った白刃は、不思議なほど抵抗なく沈み込んだ。それも、予期せぬ相手の胸元に。


「ほんに愚かな兄妹よのう」

 言葉よりも兄に向けられたその声と表情が、真意を物語っていた。同時に聞こえたレオの悲痛な声で、彼女が彼にとってどういう存在であったのかも理解する。

 刃から発せられた視界をくような白い光と、呼応するように降り出した叩きつけるような雨は全てを押し流そうとする。赤く流れるそれは、もう一つの形を持つ魂の流出なのだと知って、ぐらりと傾いだ体をとっさに抱き止める。右手に握った刃はそのままに。

 守られて、安穏と過ごした幸せな日々。守ってくれた人々の想いに応えるために、まだできることがあるとすれば。


「——鷹生、助けて!」


 彼の本質は炎だと、このひとは言っていた。兄の記憶にある、そのこえを確かに受け取って、そうして彼女はもう一度呼びかける。

「炎を収めて! 今ならまだ間に合う。この人がくれた機会を逃さないで! 鷹生は言ってた、守りたかっただけだって。ずっとそうしてくれてた。例え過去に何があったとしても、それでもあなたはあなただから——」

 正気を失うほどの苦痛にさいなまれ、どれほど運命を呪い、人を恨んでいたとしても、彼女と出会った時、鷹生はその本性ほんせいとしての善良さを失っていなかった。迷子のような彼女を救い、手を伸ばし、明るい方へ導いてくれた。


 東の果ての遥かな異国の夏の日々。その出会いが偶然に過ぎないとしても、共に過ごした時間は彼を知るのに十分だった。


「俺、は——」

 昏い炎の色に染まっていた瞳が穏やかな色を取り戻す。

「嬢ちゃん……?」

「リナだよ。璃南」

「璃南」

「助けて、鷹生」

 初めて出会った時にそうしてくれたように。鷹生は瞬きをすると、驚いたように彼女を見つめ、それから彼女が抱き止めている女と、その胸に突き立てられた守り刀に目を向ける。

 ぐっと眉根を寄せて一瞬目を閉じ、けれどすぐに開かれた瞳は強い色を浮かべ、安心させるようにふと笑った。大きな手がリナの手ごと守り刀を握る。手のひらから熱が伝わって、同時にぱりんと高い音が響いた。女の胸に突き立てられていた刀身が、粉々に砕け、キラキラと光って宙に舞う。同時に雨もぴたりと止んだ。


 白く煙っていた周囲がクリアになった瞬間、いつになく血相を変えたレオが駆け寄ってくる。彼女の腕から女をもぎ取るように引き寄せる。

深緋こきひ、何やってんだお前は!」

「……何じゃ、面白うない」

 女が掠れた声で呟く。蒼白な顔をした兄に、けれど女は皮肉げに笑う。

「もう手遅れじゃ。せめても道連れにしてやろうと思うたに、わらわだけ骨折り損じゃ」

「ふざけんな、身勝手な異形のくせに、こんな——ッ!」

「ふむ、愚かな上に泣き虫か。所詮まだ童子わらしよの」

 嘲るように言った顔は、それでも艶然とひどく幸せそうに笑っていたから、リナはそっとその手を握る。それから鷹生を見上げた。

「鷹生、何とかして」

「何とかってなあ……ああ、これなら使えるか?」

 がりがりと頭をかきながら鷹生が取り出したのは、割れた刀の欠片かけらだった。それから兄の方に向き直る。

「璃南が俺と絆を結んだように、お前さんが必要なら、そうするといい。だが、よく考えろ。あやかしとの絆は一度結んでしまえば容易には解けない」


 鷹生の言葉に、兄は無言で刃の欠片を受け取ると、まるで当然のように——全てを知っているとでも言うように、指先をそれで傷つけて、滲んだ赤いしずくをぽとりと女の口元に垂らした。

「……ほんに愚か者よの」

「お前ほどじゃない」

 見たことのない、どこか不敵な笑みを浮かべて言った兄に、女は不機嫌そうに眉根を寄せた。そうしてふうっとその姿がかき消える。兄の手にあったはずの欠片も粉々に砕けて、あたりにキラキラとした光を振りまいていた。

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