Day 19. 氷

 そうだ、かき氷食べにいこう。弟妹を呼びつけた長兄は、外で照りつける太陽並みに明るい声でそう言った。平日はまだ授業があるからと基本的には放置だが、週末くらいは弟妹と遊んでやらねばと謎の使命感に駆られたらしい。

 レオだけでなく、リナまでが若干微妙な表情になっていると、カイはぽんと手を打ってさらに満面の笑顔を浮かべた。


「さては、ちょっとかまわなかったからって拗ねてんのか?」


 真っ直ぐすぎる言葉に妹が頬を膨らませる。図星というやつだったのだろう。このところ、物憂げな顔をしていることが多かったから、そんな表情にはどちらかといえば彼としてはホッとしたのだけれど。


 ぐしゃぐしゃと妹の柔らかい金色の髪をかきまわして、それから待ち合わせ場所にしていたカフェを出て、軽い足取りで駅へと向かう。どこへ向かっているかもよくわからないまま、あまり混んでいない電車内から流れる景色を眺めていると、カイがそういえば、と思い出したように尋ねてくる。


「なんだっけ、いるか堂古書店だっけ? 俺、挨拶に行かなくてよかったのか?」

 海のものという以外の共通項のないうろ覚えっぷりに、それでも妹がぶんぶんと首を横に振る。それはもう不自然なほどに。

「だ、大丈夫。お父さんとお母さんがもうちゃんと話してくれてるし、そんなに堅苦しい感じじゃないし」

「……何か俺に隠してない?」

「な、ないよ!」

 あからさまに挙動不審な妹を見て、カイはレオの方に視線を向けてくる。理由に予測はついたけれど、説明するのも面倒だったので、ちらりとリナの方を見てから兄の耳元に口を寄せる。

「好きな相手がいるんだよ」

「えっ、何それ俺聞いてないよ! 父さんと母さん公認ってこと⁉︎」

「カイ、うるさい。レオ、適当なこと言わないで!」

 さらに頬を膨らませたリナの頭を撫でたところでカイが慌てて降りる素振りを見せたから、妹の背を押して後に続く。


 降りたのはかなり大きなターミナルだった。なぜかやたらとあちこちで白黒の巨大な獣の像やイラストを見かける。首を傾げた彼に、兄がああ、と相変わらず陽気な笑みを浮かべながら頷いた。

「この先に動物園があるんだよ。パンダが名物なんだよな。見たことある?」

「パンダ? あのなんかやたらのんびりしてる白黒のWWFのロゴマークになってるやつ?」

「そうそう、日本だとここと、あとは和歌山の方にもけっこういるらしいけど」

 ワカヤマがどこかはよくわからなかったが、まあ今回は訪れることもなさそうだったから、とりあえず適当に受け流しておく。気にならないわけではなかったが、この炎天下で、それでなくとも体調を崩しがちなリナを連れて動物園というのはあまり得策には思えなかった。

「かき氷食べたい」

「そっか。じゃあ動物園はまた今度な」

 屈託なく笑った兄は、スマートフォンを取り出して何やら検索すると、少し離れた路地裏の店へと彼らを案内する。やってきたのはこぢんまりとしたビルの一階にある、おおよそカフェやスイーツを扱っているようには見えない店だった。どうやら夜は別業種の店を昼間だけ間借りして営業しているらしい。


「わ、綺麗!」

 運ばれてきたふわふわのかき氷に妹が目を輝かす。スプーンですくって口に含んで、さらにその表情がぱあっと輝いた。

「さらさらしてて、甘くて冷たくて美味しい!」

「だろ?」

 兄のドヤ顔にもうんうんと頷いている。レオも供されたグリーンのそれを口に運ぶと、口の中で冷たい氷が溶けて抹茶の香りが広がった。以前食べたかき氷はもっとざりざりしていたけれど、まるで違う食感に思わず目を丸くする。

「すごい。全然違う」

「普通のかき氷もリーズナブルでいいけど、たまにはこういうのもいいよな」

 にかっと太陽そのもののように明るく笑うカイに、リナも満面の笑みを返す。こんな表情は久しぶりだったから、つられて気がつけば三人顔を見合わせて、小さな子供のように笑っていた。


 カイが会計を済ませている間に先に店を出ると、じりじりと強い日差しが照りつけてくる。リナは顔色は悪くはなかったけれど、少し疲れている様子だった。

「大丈夫?」

「うん、平気。かき氷、美味しかったね」

「そうだね」

 他愛のない会話をして、楽しげに笑いながら空を見上げたリナの背中に、それでもざわりと胸が騒ぐ。

「ねえ、リナ。カイに話さなくていいの?」

 そう問いかけると、びくりとリナの背中が震えた。彼らが関わっている古書店のあの男は人ではない。けれど、影のように曖昧なものでもない。金魚は「成りかけ」だと言っていたけれど、その言葉の本当の意味は聞けないままだ。

は普通じゃないよ」

 彼らが視る影は、そのほとんどがカイが近づけば、それだけで灼熱の太陽にさらされた氷のようにあっという間に溶けて消えてしまう。もしカイをあの古書店に連れていったら、あの男もそうなるだろうか。


「わかってる。でもまだ、もうちょっと待って」


 ちゃんと考えるから、と振り返った彼と同じ色のはずの菫色は、今にも泣き出しそうな色をしていた。

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