Day 18. 群青
「おやまあお懐かしい、
鷹生が
「失敬ですね。わたくしのように情緒豊かなカメであれば、心揺さぶられる事態に出くわせば涙を流すのは当然でございます! ここ
「カメさん、血涙ってちょっと違うんじゃ……」
「文月さんそこは論旨ではないのでございますよ。よいですか——」
「わかったわかった、まあ落ち着け、カメ」
ぽんぽんと、マシンガンのように喋るカメの頭を大きな手が撫でる。ぴたりとカメが口をつぐんで、じっと着物姿の顔を見上げ、それからまたその黒目がちな両眼からぽろぽろと大粒の涙が流れ出した。
「ああ、こんなにおやつれになって……しかも身なりにはあれほど気を使われていたお洒落な鷹生さんが、なんとも地味な
「え、何だ。この色そんなに地味か? 俺としちゃあわりと気に入ってるんだが。なあ、嬢ちゃん。似合ってるだろ?」
「はぁ」
突然振られても他の格好をした鷹生を見たことがないから比べようもない。大体和服自体を見慣れないから、違和感なく着こなしている以上の感想は述べにくい。
「似合ってるとは思うけど」
「いいえ、お嬢さん。鷹生さんの真価はこんなものではございません! わたくしにお任せあれ!!」
甲羅を反らせて胸を張ってそう言ったカメがぱたりと姿を消したのが数日前。
そうして本日、彼女たちの前に現れたのは何やら布包みを持った着物姿の子供だった。少しくすんだ緑色の着物には波のような模様が描かれている。抜けるような色白で、髪と目は対照的に真っ黒だ。黒目がちなその様子で容易にその素性を推し量らせる。
「さあ、鷹生さん。こちらをお召しになってくださいまし!」
布包みを開いて差し出すと、さあさあさあとなんだかものすごい勢いで詰め寄っている。当の鷹生といえば首を傾げているが、どうやら同様にその素性に思い至ったらしい。
「お前さん、カメか?」
「ああ、そういえばこの姿でお目にかかるのは初めてでございましたか。これは失敬。荷物を運ぶのに
「……お前さん、これはどうやって手に入れたんだ?」
「おやおや、わたくしをそこらの盗っ人
「お、おう……、そりゃあ疑って悪かったな」
カメの勢いに圧されて頭をかきながら鷹生がそう謝ると、カメはいえいえお疑いもごもっとも、さあなにはともあれ、と言いながら包みを勧める。
鷹生はちらりと彼女の方を見やって含み笑った。首を傾げた彼女にけれど何も言わずに隣の部屋へと消える。ややして戻ってきた姿を見て、彼女は思わず目を丸くした。
小さな模様が一面に散らされた落ち着いた色の浴衣に、ほとんど黒に見える濃紺の帯。伸びた髪は相変わらずだが見るたびに雑に残っていた髭を綺麗に剃った顔は、若々しく、なるほどカメが言うように実に端正だった。
「いやあ、やはり鷹生さんには群青色がよくお似合いで」
感極まったように、よよと泣き崩れる姿はいつの間にかカメに戻っている。
「そうか? まあ、確かにいい色だな。お前さんがよく言っていた、海面から見上げた時の真昼の空の色、か?」
「ええ、ええ。よく覚えていらっしゃいますねぇ」
ぐしぐしと
「どうだ、嬢ちゃん?」
不意に向けられた視線に心臓がどきりと跳ねる。穏やかな笑みは初めて会った時から変わらない。けれど、髭を剃った顔はどこか鋭利さを増していて、じっと向けられた視線に何やらざわりとした胸の騒ぎは、どちらかといえば不安に近い。
そう——不安だ。
からりとした笑い方も、優しく頭を撫でる手も、異質なものと相対する時の堂々とした態度も。どれも彼女にとっては頼もしく、間違いなく惹かれているはずなのに、それが甘い何かに変わるのを許さないのは、本能的に感じる何かの不安のせいだ。
「何だ、似合わねえか?」
笑いながらも怪訝そうに少し眉根を寄せた顔に、慌てて首を横に振る。立ち上がって、頬に手を伸ばすとすっきりとした頬はやはり初めて会った時と変わらず温かい。
「……どうした?」
頬を引き寄せて、真っ直ぐにその
——真っ赤に燃える炎、その中で聞こえる苦悶の声。
「嬢ちゃん?」
ハッと我に返ると、心配そうな鷹生の眼差しがこちらを見つめていた。頬に触れていた彼女の手を握り、それから反対の手で額に触れる。
「また熱、出てんな。布団敷いてやるから寝ろ」
そのまま寝室になっている隣の部屋に移動しようとする、その胸元を掴んで、彼女はほとんど無意識に尋ねていた。
「鷹生、覚えてる?」
じっと見つめる彼女の菫色の眼差しに、男は魅入られたようにしばらくどこかぼんやりと見つめ返してくる。彼女の瞳を通して何かを見つけたかのように、ふとその目が大きく見開かれ、それから微かに暗赤色の光を浮かべて揺らめいた。けれどそれは瞬きした後には消えてしまう。
「……何をだ?」
何事もなかったかのように口の端を上げて笑って、彼女を包み込むように軽々と抱き上げる。真新しい群青色の生地はさらさらと肌に心地よく、伝わる温もりはまるで生きている人のそれと変わらないのに。
その存在の確かさこそが、異質なのだとようやく彼女は気づいた——気づいてしまった。
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