Day 13. 切手

 ひとしきり恋バナ——づきが想定していたのとはかなり違っていたとは思われたが——やリナの故国の話をし、それからカメが語る長い古書店との由縁ゆえんを聞いているうちに、いつの間にか日は傾き始めていた。今日は一人で出てきていたから、あまり遅くなって黄昏たそがれどきに外を歩くのはまだ不安が残る。


 そろそろいとまを告げようと立ち上がって店の方に視線を向けた時、ふと何かが光ったように見えた。サンダルを履いて、本が積み上がった一角へと足を運ぶ。一際ほこりをかぶった本の山の中に、何かがふわりと柔らかい光を放っている。そっと手で本を押さえ、引き抜いたそれは一枚の古びた封筒だった。表面には流れるような文字と、封筒と同じように少し黄ばんだ、それでも美しいたかが描かれた切手が貼られている。

「おや、これは先代のいやそのまた先代でしたかなあ。それにしてもお懐かしい。見事な手跡ですねえ」

 ぴょこんと彼女の肩から顔を覗かせたアオウミガメがしたり顔でそう告げた。

「先代のそのまた先代……ってうちのひい祖父じいさんあたりか?」

「ええ。この流麗な文字、間違いございません。思えばあの頃がわたくしの運命の転換点エポックでもございましたなあ」


 遠い八月の記憶。父から何かの折に話には聞いたことがあったが、遥か北の国で育った彼女にとってはなかなか身近に感じるのは難しい。それでも、故国は常に大国からの脅威が消えないこともあって、カメの語る焼け野原の情景は、昔話ではあってもじわりと胸に暗い影を落とすほどには実感を伴っていた。


「こちらの手紙も出す間もなく出征となってしまったのでしょう。なんとも無念な」

「でも宛名も書いてあるから、ポストに入れてみたら届くんじゃないのか?」

「さすがに古い切手ですから、料金も足りぬでしょう。ただ、確かに住所も記載済みですから、直接届けるのも手ではありますな」

「緑森二丁目……なんだ、わりと近所じゃねえか」

「緑森二丁目って、あのケーキ屋さんがあるところ?」

 文月がスマートフォンで見せてきたのは森の外れにこぢんまりとたたずむ小さな洋菓子店のようだった。

「ここ、そんなに高くないけど美味しいって評判なんだよね。まだ行ったことないけど」

 マップで見れば、今夜夕飯をまたご馳走になる兄の友人の家の近くのようだった。ふわりと光る封筒と地図を見比べて、配達を申し出た。もし相手が見つからなければまたこちらに返しにくることにして、位置情報を送ってもらうとそのまま礼を言って店を出る。


 日は傾き始めたといっても空はまだずいぶん明るい。それでも、故国の夏の夜遅くまでダラダラと続く昼とは違って、どこか遠くでカナカナカナと、物悲しいような声で鳴くセミの声のせいか、この時間でも少しどこか心細い感じがしてしまう。


 ——寂しいのならこっちへおいで。


 ふっと心の隙を読んだように、くらい声が響いてくる。まだ日は高い。塀の影や側溝の淀みに何か蠢く気配を感じても、ただ見て見ぬふりをして進むだけだ。けれどぞわりと背筋が冷えた。今は太陽のような暖かさで守ってくれる長兄も、視て一緒に逃げてくれる双子の兄もいない。


 こんなに世界は心細い場所だっただろうか。異国だからというばかりでなく、なんだか心に穴が空いてしまったような気がして、リナの足はぴたりと止まってしまった。


 ——よしよし、寂しい子。一緒に遊ぼう。そうすればほら、もう寂しくないよ。


 ざわざわと闇が影から手招きをする。ふらりと足がそちらに向きそうになったとき、がしっと肩を掴まれた。見上げた先には、無精髭の顔。少し痩せ型の身に纏っているのは渋い茶色の着物。背の半ばまで伸びた髪を一つに括った横顔は、どこかで見覚えがあるような気がした。


「こんなお嬢ちゃんをたぶらかすとは、最近のものは節操がねえなあ」


 にぃっとどこか不穏に笑って、男は彼女の肩を抱いたまま、だん、と威嚇するように片足で地面を踏み鳴らす。すると影はざぁぁぁっと怯えたような気配を残し、あっという間に消え失せてしまった。


「大丈夫か、嬢ちゃん」

 唐突な展開に言葉を失っていた彼女に、男はニッと人好きのする笑みを浮かべて顔を覗き込んでくる。片手は懐手をしたままで。着物姿に違和感がないのは着慣れているように見えるせいだろうか。なんとなくその素性に予測はついたけれど、思い切って尋ねてみる

「誰?」

「俺か? たか

 楽しげに笑った顔は、精悍ながらも愛嬌もあって、思わず引き込まれてしまう。けれど、手に握っていた封筒の切手に描かれていた鳥と、そして読めないはずの裏書きの文字。


 倉沢鷹生、と流麗な字で書かれたそれが、どうしてだか彼女にも読めてしまったのだった。

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