Day 12. すいか

 案内された古書店の中は薄暗く、少しほこりっぽい。けれどどこか懐かしいのは、祖母の家の書斎が同じように本で埋め尽くされていたせいだろうか。リナは辺りを見回して、うずたかく積まれた本を一冊手に取ってみた。けれど、どれも日本語で書かれているらしく、何が書いてあるかはわからなかった。


「何、なんか気になる本でもあった?」


 柔らかい低い声に目をあげると、背の高い影がこちらを見下ろしていた。真っ赤な花柄のシャツが目に眩しい。顎と頬にはまばらに無精髭、少し伸びた髪を後ろで結んでいるその様子は、やけに人好きのする笑顔でなんとかぎりぎり胡散うさんくささを拭っている。

「日本語、ほとんど読めないから」

「そうなんだ。なら、絵本とか持ってく?」

 そう言って彼が差し出してきたのは、表紙に不思議な格好をした野菜たちが並んでいる絵本だった。色合いは穏やかで、少しおどけた感じの柔らかい絵が描かれている。

相撲すもう、ってわかる?」

「日本の伝統芸能?」

「芸能っていうか娯楽かなあ。それの野菜版だな」

「へえ……」

 にんじんと玉ねぎの対戦——取組とりくみ、というらしい——から始まって、きゅうりにナス、それからだいこんとスイカ。

「スイカってこんなに大きいの?」

「そうだなあ、ものにもよるけど、まあでかいかな。食べたことない?」

「メロンとは違うんだよね? こういう柄のは見たことない」


 そんな話をしていると、からりと店の入口の方から戸が開く音がした。彼女をこの店に案内してきた張本人が戻ってきたらしい。

「お待たせ、ごめんね」

 ぱあっと輝くような笑顔はどこか兄と似た印象を受ける。それはきっと彼女にも流れている半分の、この国の東洋的な印象なのだとようやく気づいた。

「これ、こないだ知り合いがくれたんだけど食べきれないからどうしようかと思ってて、ちょうどよかった!」

 そう言って相手——づきが差し出したのは、ちょうど今絵本で見たばかりの大きな果物だった。


 驚くほどまんまるで、緑の地に黒い縞模様がくっきりと浮かんでいる。座卓テーブルの上に置くと、コンコンとノックするように軽く拳で叩いて見せた。ぽんぽん、といい音が響いて、文月がどうだと嬉しげに笑う。

「いい音がするでしょ。これって美味しいスイカの証拠なんだって」

「へえ」

「ずいぶんデカいな。もう切っていいのか?」

 ひょいと店主の青年が軽々持ち上げて、文月にそう尋ねる。文月が少しはにかみながらこくりと頷くと、空いた手でくしゃりと彼女の頭を撫でて、奥の方へと引っ込んでいった。


 その背中を見つめる文月の顔は少し赤い。店主としか紹介されていなかったが、どうやらその関係は明らかだった。

「ええもうそうですとも、ななさんと文月さんはこれ運命で結ばれた二人ですからね!」

 なんだか偉そうな声に目を向ければ、くだんの小さなアオウミガメがドヤ顔で頷いている。その顔に、けれど文月は少し微妙な表情になる。

「カメさん、運命とかそういうのはちょっと」

「おっとそうでしたね。むしろわたくしの見事な後押しで結ばれたえにしとでも申しましょうか」

「え、何、カメさんキューピッドなの? 魔物じゃなくて?」

「失敬な! 誰が魔物ですか! 鶴は千年、亀は万年と申すように、カメと言えば長寿の生き物。長く生きればこうして人語を解するくらいはお手のもの。人を化かしたり害なすような品のないやからと一緒にされては困りますぞ! そもそも亀の甲より年の功とは申しますがこれ亀の知識知恵も馬鹿にはできぬもので——」

「はいはい、お前さんの知識には助かってるよ」


 滔々と喋り出したカメをよそに、七生が三角に切った鮮やかな赤い色を盛り付けた皿を座卓に置く。瑞々しいその色は、暑い最中に見ても涼しげに見えるのが不思議だった。

 勧められるままに一切れ取って、三角の先をかじる。しゃり、と今まで食べたことのない感触と共に、口いっぱいにひんやりとした甘い汁が広がった。メロンとは違ってもっとさっぱりとした甘味は、この国の夏によく似合う。

「美味しい!」

「でしょ? やっぱり夏といえばスイカだよね」

「いいよなあ。自分じゃあんまり買わないから、たまに食べるやつが美味いとすげー得した気分」

 ありがとな、とニッと笑った青年に、文月の顔が赤くなる。ずいぶん歳が離れているように見えるけれど、親密な空気にちり、と彼女の心のどこかが疼いた気がした。


「いいなあ」


 漏れた呟きに、ハッと二人が顔を見合わせて、何やら気まずげに視線を逸らす。そんな二人にカメがしたり顔でうんうんと頷いている。


「いやあなにしろお似合いのお二人で。ところでリナさんは、どんな殿方がお好みで? その様子では意中の人がいらっしゃるのですか?」

「ちょっと、カメさんいきなりそういうのちょっと踏み込みすぎ!」

 いきなりぐいぐいくるカメに、文月がたしなめるような視線を向けつつも、どうやらその手の話は気になる年頃なのは彼女と同じらしい。


 どこか兄に似た柔らかい笑顔と、それを見守るもう一人にやっぱりどこか似た無精髭の顔。奇妙な符合に、どう話したものかなと考える彼女の口元は、甘いスイカのおかげか異国で得た新しい知己のおかげか、ともかくも自然と綻んでいた。

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