Day 11. 緑陰

 ミーンミーンとやたらと耳につく音がセミという虫の鳴き声だと兄に聞いて以来、どうして日本人はこんな騒音に耐えられるのだろうと思っていたけれど、意外と慣れてしまえるものだ。木陰でぱたぱたと団扇うちわをあおぎながらレオが空を見上げると、抜けるような青さが目に沁みた。


 ——暇そうじゃの。りょうかこつそなたもなかなか絵になる美しさではあるが。


 団扇の中でぴちゃんと水を跳ねた金魚がくすりと笑う。基本的には真冬の暗い夜に多く現れる故国と違い、この国の異形たちは昼日中でも、ずいぶん気軽に姿を見せている。


いな。我らとて隠れておる。ただそなたらの瞳が我らを捉えてしまうだけ』

「そんなこと言ったって、見えるものは仕方ないじゃないか」

『常には見えても見ぬふりをするじゃろう。だが、そなたらは見えぬふりがとびきり下手じゃの』

「まあ、うちの実家の方にいるのと比べると、あんまり害もなさそうだしね」

『北の魔物はもっとしょうわるかえ?』

「性悪っていうか、話が通じない感じ? だいたいカイが吹き飛ばしてくれるから、あんまり気にならなったけど」

『そなたの兄か。あれの相手はいい男なのにのう』

「ああいうのが好きなんだ?」

わらわを裏切った想い人に似ておるな。取り憑いてしまいたくなる切ない気持ちもわかろうよ』


 いや、わかんないし、とレオはまた団扇であおぎながら呆れたようにため息をつく。大体兄は昔からまったく視えないくせに、闇を払ってしまう光の強さは圧倒的だ。この金魚がしつこくまとわりついたら、無意識のうちに焼き尽くされてしまうに違いない。


いのちが惜しかったら近づかない方がいいよ」

『ふむ、心配してくれるとは心優しい童子わらしよな』


 ふふ、と笑う気配がして、気がつけば目の前に艶やかな顔が見えた。真っ直ぐな黒髪に、赤い唇。黒い瞳は吸い込まれそうな闇の色だ。今は先日のような長い袖の着物ではなく、白地に大きな赤い花をあしらった浴衣を身にまとっている。


「そなたのその瞳、妾は好きじゃな。遥かな昔、野で摘んだすみれの花を思い出す」

「だからってえぐり出すとか言わないでよ? 大体なんで出てきちゃうの。まだ昼日中だっていうのに」

「そなた妾をなんだと思っておる。暇そうゆえ、昼寝に膝でも貸してやろうと思っただけじゃ」


 そう言って、レオが腰かけているベンチに膝をそろえて座る。そうして彼の頭を引き寄せると、本当に膝にのせた。

「どうじゃ、気持ち良かろう」

 笑った顔は、やけに屈託がなくて、無垢に優しげだ。寝転んで見上げたその頭越しには緑の木陰。強い日の光は茂った葉で覆い隠され、水の気配と共に吹く風が心地いい。


「どういう風の吹き回し?」

「寂しい者には妾は優しいのじゃ」

「別に寂しくないし」


 異国で新しい知己を得て、彼を置いて遊びに行ってしまった妹。でも、笑っていてくれるならそれでいい。それは本音のはずだ。なのに子供をあやすようにいやに優しげに笑った女の顔が悔しくて、手を伸ばしてその顔を引き寄せる。


「ふむ……童子と思うたは妾の勘違いか」


 揶揄からかうように笑った顔はそれでもやっぱり優しげだったから、もう一度引き寄せてその口を塞いでしまった。

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