Day 8. さらさら

 ベッドから起き上がり、外を見ると相変わらず太陽が眩しい。窓を通じて伝わってくる外気はそれでも少しはましになっているだろうか。

 気怠さはまだ残っているものの、今朝に比べればだいぶ体は軽い。これならレオについて一緒に行けばよかったかもしれない。一人でどこかへ出掛けてしまった兄は、連絡のスタンプをよこしたきり音沙汰がない。

 それでもたまには一人で散歩も良いかとリナはお気に入りのバッグを肩にかけて、財布とスマートフォンだけ放り込んで外へ出た。


 頭上にはどこまでも広がる青い空。周囲の木々からは、ジージージーと心臓に響いてくるようなセミの声が降ってくる。せみ時雨しぐれ、というのだと教えてくれたのは長兄の友人、なぎの同居人のあきだ。初対面ではいかつい印象だったが意外と面倒見が良い。細々こまごま世話を焼いてくれるし、その家も影の気配がなくて居心地がいい。やっぱりそちらへ向かおうか、と考えた時、ふとさらさらと何かが流れるような音が聞こえた。


 水の気配など感じられないのに、いやに耳につく。その音に惹かれるようにして、足が向くままそちらへ向かう。見えてきたのは実際には川ではなく、ぐるりと何かの建物を囲うようにして作られた堀だった。


 もっとよく見ようと身を乗り出して、草むらに足を踏み入れた途端、ずるりと足元が滑った。そのまま斜面を滑り落ちる。なすすべもなく目を閉じた途端、ぐい、と後ろから腕を引かれた。おかげで何とか体勢を立て直す。


「ほんにかつな兄妹よ」


 呆れたような響きを宿す、それでもやけにつややかで美しい声に目を向ければ、声のままに驚くほど美しい女が彼女の腕を掴んでいた。風にふわりと揺れるまっすぐな黒い髪。切り揃えられた前髪から覗く眉は優美な弧を描き、瞳も吸い込まれそうな黒だが、肌の白さと対照的にふっくらと赤い唇が艶かしい。

 この暑いのに朱色と黒の着物に身を包み、額に汗ひとつ浮かんでいないその姿はどう見ても只人ではない。


「この先は、無念を残した死者が眠るふち。そなたなどあっという間に食われてしまうぞ」


 ぞっとするような響きはそれでもどこか愉しげだ。からかわれているのかと頬を膨らませた彼女に、女は心外だ、というように肩を竦める。そうして眉を顰めた顔は美しいのは変わらないが、どこかほんの少し幼く見えた。


「そなたらは北の果てからきたのであろ? やけに闇と影の気配が強い。その気配があれらを惹き寄せる。闇も影も恐ろしいばかりではないが、すでに人の形を失ったものたち。ことわりが通じぬ」


 いかに人に似せても別物。せいぜい取り憑かれぬよう——惹かれぬよう気をつけることじゃ。


 くすくすと笑って、ふっとその姿が消える。

 あとにはさらさらと堀の中で、切れた草の葉が流れていた。


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