13.切手
使い慣れた万年筆で書き上げた手紙を、老女は丁寧に三つ折りにして封筒に入れこんだ。液体のりでしっかりと封をして、織り合わせのフタ部分へバツを書く。
「切手、買ってきましょうか?」
そう尋ねたのは、麦茶を持ってきた家政婦だった。夏の盛り、暑さに鈍くなった自分が体調を崩さないようにと、仕事の合間にこうして茶を持ってきてくれる。
彼女の視線は、今しがた風を閉じた封筒へと注がれていた。老女はゆるやかに首を横へ振った。
「あぁいえ、いいの。これはこのままで」
麦茶を受け取りながら、老女はそう答えた。ほどよく冷やされた麦茶を一口飲んでから、封筒を返して宛名面を見せる。
そこに書かれていたのは、数年前に鬼籍に入った老女の姉の名だった。家政婦が息を呑んだのが分かる。どう反応していいのか迷っているのが老女にも分かった。
「別にボケてるわけじゃないの。これはこれで出す方法があるのだけど、あなたはそういえば知らなかったね」
家政婦は老女の言葉に首を傾げる。要領を得ないと、といった感じだ。
「切手の代わりに、えぇと……今の時期なら琥珀糖かな。通りの先の和菓子屋さんに売ってるはずだから、買ってきてくれない?」
老女はそう家政婦へ財布を渡した。
障子窓の向こうは日がさんさんと降り注いでいるのが部屋の中からでも良くわかった。足を悪くした自分が買いに行くには少々荷が勝ちすぎる。
少し不思議そうな顔をしたが、家政婦はひとつ返事で引き受けた。まだ掃除が終わってないところもあるため、様々家の雑事を終わってから買いに行くと言ってくれた。
その日の夕飯の食材も一緒に買い込んで、家政婦が家へ戻ってきたのは日も少し落ち始めた夕暮れ時だった。ちょうどいい頃合いだ、と老女は穏やかに笑った。夕飯の支度の前に呼ぶとしましょう、と続ける老女の言葉に、家政婦はやはり首を傾げていた。
文机の引き出しの中から巾着を取り出した。興味深そうに家政婦が見る中、老女はその巾着を開いた。
中に入れていたのは水琴鈴だ。取り出す代わりに、買ってきてもらった琥珀糖を巾着に移す。
「贈り物、ですか?」
「これは切手の代わり。何事もタダとはいかないからね」
ふたり並んで縁側に腰掛けた。老女は水琴鈴を鳴らす。
軽くささやかな音色が小さな庭に響いた。
次の瞬間、強い風が庭に吹き込んできた。老女と家政婦が少し目を閉じ、再び目を開いたそこには、大柄な人影が立っていた。ひさしのついた特徴的な形の帽子――思えば昨今の局員はあまりかぶらなくなった――に、かっちりとした立て襟の制服をまとい、肩からは大きなカバンをひとつさげている。顔があるはずのそこは黒々としていて、表情など分かるよしもない。
いつ見ても、影が服を着てそこに立っているようだ。
隣の家政婦が息を呑む。ガタンと音を立て、後ずさるように立ち上がろうとした彼女の手を取った。
怯えた目でこちらを見た彼女へ「大丈夫よ」と老女は笑い、その手をきゅっと握った。
「お久しぶりですよ、郵便屋さん。最近あまり時間が取れなくて。便りはある?」
老女の問いに、郵便屋と呼ばれた影の男はカバンをガサゴソとあさる。袖口からスラリと伸びた手も、顔同様に黒々としていた。
そっと差し出されたのは封書の束だ。老女はそれをどこかうやうやしく受け取った。差出人を見れば、姉の他に夫の名もある。夫からの手紙は初めてだった。筆不精だった彼を思い出し、老女は思わずくすりと笑った。ようやく、返事をひとつよこす気になってくれたらしい。
「はい、たしかに。それじゃあ、これをよろしくね」
代わりに差し出すのは、先程書き上げた封書と琥珀糖を入れた巾着だ。
影の男はその封書を手に取ると封が閉じていることを確認し、続けて巾着の中身を見た。中の琥珀糖をつまみ上げ、透かすように上へとかざした。
夕暮れ時の淡い光を受けて、柔らかく琥珀糖がきらめく。
顔の見えない影の男が、ふと笑んだように老女には見えた。
その琥珀糖を封筒とともに丁寧にしまいこみ、男は一度こちらに頭を下げた。彼が来たときと同様に、一迅の風が吹く。目を閉じ、開いたその先に、男の姿はなかった。
「――あれは、何なんです?」
「郵便屋よ。死者の国と、こちらを行き来している郵便屋」
あの影の男が、この世のものでないとは家政婦も肌で感じとっていたらしい。
けれど、死者と手紙を交わすことができる、などにわかに信じがたいと思うのもまた、無理からぬ話であった。老女もはじめは信じていなかった。
「他の町では、陽炎が立つ日に配達してくれる、なんてところもあるらしいけど、こちらは鈴で呼ばないと届けてくれないし、持っていってくれない。でもそれだけ。ちょっと変わったサービスね」
「サービス、ですか……」
「読んでみる? 詐欺とかじゃあないから」
そう手紙を差し出したが、家政婦は丁重に辞退した。他人宛の手紙を読むのは気が引けるという。
「……それは、誰でも呼べるんですか?」
その眼差しは、未だ半信半疑という風ではあったが奥底に希望がのぞいていた。
「呼ぶ鈴さえあればね。あとは、切手代わりのお菓子を忘れないこと。――今度、私がまた手紙を書いたら、一緒に届けてもらいましょうか」
自然と声音は柔らかくなった。家政婦はゆっくりと、そして確かに頷いた。
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